幕間の十三・黒光に導かれて──雪の聖地へ
>村を呑み込んだ黒い光の柱、変異体へと変わり果てた人々。
孤独と恐怖に押し潰されそうになりながらも、ルキは胸元の箱と謎の声に導かれ、雪の聖地オルンド山を目指します。
彼女の小さな決意が、やがて黒光の灯りを呼び覚まし、聖殿への道を照らし始める――
ルキは悲しみに胸を締めつけられながら、聖地を目指して走っていた。聖地はリリマラの最高峰――オルンド山の頂にあり、彼女のいる山腹の村からは、まだかなりの距離があった。
けれど村はすでに黒い光の柱に呑み込まれ、村人たちも一瞬にして黒い変異体へと変わり果て、低くおぞましい唸り声をあげながら、後ろからずっと彼女を追ってきていた。
「みんな、変な生き物になっちゃって……私ひとりだけ……どうしたらいいの……」
考えれば考えるほど怖くなって、ルキの小さな足取りはたちまち乱れていった。
その一瞬の隙を突くように、一体の変異体が勢いよく追いつき、彼女を地面へ叩き倒した。
「きゃあっ!」
ルキは悲鳴をあげ、地面を転がる。膝は荒れた地面で擦りむけ、すぐに血がにじみ出てきた。
「いたい……」
彼女は両手をついて、どうにか小さな体を起こした。けれど顔を上げた時には、もう黒い変異体たちにぐるりと囲まれていた。
見慣れていたはずの姿は、いまやどれも恐ろしいものへと歪んでいた。黒い皮膚は焼け焦げたようにひび割れ、喉の奥からは濁った低いうなり声が漏れ、一歩、また一歩と彼女へ迫ってくる。
ルキは、ふっと寂しそうに笑った。
「みんな、来てくれたんだね……」
「こんな姿になっちゃっても、みんなと一緒なら……それもいいのかも……」
変異体たちは、低く濁った声で唸った。
「ヴゥゥ……ウゥゥ……ヴゥゥ……」
ルキは、もう後ろへは下がらなかった。
彼女は両手を伸ばし、いちばん近くにいた変異体をそっと抱きしめた。その歪んだ腕が、今にも彼女の肩へ触れようとした、その瞬間――胸元の箱がふいに熱を帯びた。
次の瞬間、銀白と青が交差する光が、彼女の胸元から一気に弾けるように放たれた。
変異体たちは驚いたように一斉に後ずさりし、逃げ遅れた数体はその光に触れた途端、体が一瞬でほどけるように消え、青と銀の光の粒となって、ゆっくりと宙へ消えていった。
「これ……どういうこと?」
ルキは驚きに声を震わせながら、そっと呟いた。
その時、優しい女性の声が、ふいに彼女の心の中へ響いた。
「ルキ……」
「誰?」
ルキはすぐに辺りを見回し、声の主を探した。
「ルキ、悲しまないで。エイラから託された役目を、勇気を出して果たしなさい」
声はもう一度、静かに響いた。
「怪物たちが近づいてきたら、箱を開けなさい。そうすれば、あの子たちはあなたに近づけない」
ルキは目を大きく見開き、もう一度あたりを見渡した。
「ルキ、早く聖殿へ。そこには、すべてがある……頑張って」
「待って!何が起きたのか、ちゃんと教えて!」
ルキは思わず顔を上げ、空へ向かって声を張り上げた。
けれど、今度は何の返事もなかった。
あの優しい女性の声は、そのまま静かに消えてしまった。
呆然と空を見上げ、声の主を探すようにあたりを見回していたルキは、しばらく待ったあと、そっと俯いて深く息を吸い込み、きゅっと背筋を伸ばした。
「うん、わかった! 私、急いで聖地へ行く!」
ルキはもう一度気持ちを奮い立たせると、箱を大事そうに抱き直し、はっきり見えるようになってきたオルンド山を目指して、足を速めた。
オルンド山は、リリマラの中で唯一、一年中雪の降る場所だった。そして山頂の聖地には、古びた神殿が静かに建っている。
一族の最高守護者を除けば、村人たちは誰ひとり、本当の意味でそこへ足を踏み入れたことがなかった。
ルキはオルンド山のふもとへ着くまでの道すがら、花や木の実を少し摘んで、山頂へ登るための食糧にした。
ふもとまで辿り着くと、目の前には、現代の最高守護者であるエイラが氷の術で築いた氷の階段が続いていた。ルキは深く息を吸い込み、その階段を一段ずつ登り始めた。
「はぁ……はぁ……ふぅ……」
息を切らしながら登るルキの体を、道中の雪と氷の風が容赦なく打ちつける。そこへ突然、激しい吹雪が吹き込み、小さな体がぐらりと傾いて、危うく階段から滑り落ちそうになった。
「やっぱり、ここは普通の人が来られる場所じゃないんだ……」
「エイラ村長、私……本当にこの役目を果たせるのかな……?」
厳しい寒さと不安に押し潰され、ルキはついに耐えきれず、その場に倒れ込んだ。
吹雪は無情にも彼女の体を覆い、意識も少しずつ遠のいていく。
「ルキ……ルキ……起きて……眠っちゃだめ……」
あの優しい女性の声が、再び心の中に響いた。
「う……あれ……この声……さっき山の下で聞こえた……」
ルキは、風雪で凍えそうな目をどうにか開き、心の中に響くその声に必死に耳を澄ませた。
「ルキ、迷わず進みなさい。私があなたを守るから……」
その刹那、ルキの全身は銀と青白い光に包まれ、積もっていた雪もみるみるうちに溶けていった。
その時になって、彼女はエイラが話していたことを思い出した。
この極寒の地には、赤龍果という寒さに強い植物があって、その葉を口に含めば、体温を保てるのだと。
ルキはもう一度立ち上がり、山頂を目指して進みながら、道の途中で赤龍果を探し始めた。
「見つけた!」
凍りついた氷の湖のそばで赤龍果を見つけた彼女は、すぐに葉ごと丸ごと引き抜いた。
「わあ、この実、大きい……きっとおいしいよね~」
彼女が外皮をむいた、その瞬間だった。赤龍果の中から、紫色の液体が何本も勢いよく噴き出した。
「シュッ――シュッ――」
ルキはびくっと手を震わせ、慌てて実を地面へ放り投げた。
紫の液体が雪の上に落ちた途端、地面には縁の紫がかった穴がじゅっと開き、鼻を刺すような腐食臭が立ちのぼった。
「あ……そうだ……エイラ村長、実は食べちゃだめって言ってた……」
ルキは胸を押さえながら、ほっとしたように息を吐いた。
「あぶなかった……あと少しで死ぬところだった……」
仕方なく葉だけを摘んで口に含み、さっき山の下で集めてきた花や木の実を取り出して、氷の湖のそばの石に腰かけ、小さな口で少しずつ食べ始めた。
だが、少し休んだだけで、山の奥から地鳴りのような轟音が響いてきた。
「ゴゴゴゴ……ゴゴゴゴ……」
ルキは怯えながら顔を上げる。すると、山肌を覆っていた雪が、大きく崩れ始めていた。
「な、何が起きてるの!?」
その時、彼女は氷の湖のそばに、雪崩で露わになった洞穴を見つけた。
「とにかく、先にあそこへ逃げないと!」
彼女は箱をぎゅっと抱きしめ、まだ震えている足を無理に動かしながら、大きな雪玉が転がり落ちてくるより先に、慌てて洞穴へ飛び込んだ。
「あぶなかった……」
ルキはその場にへたり込み、胸を押さえながら大きく息をついた。
少し落ち着いてから、彼女はそっと周囲を見回した。すると洞窟の中には、黒く光る小さなものがあちこちに散らばっていた。そのかすかな明かりのおかげで、真っ暗な洞穴の中でも、どうにか周囲の地形だけは見て取ることができた。
「これ、何だろう?」
ルキは不思議そうに手を伸ばし、そのうちの一つにそっと触れた。
すると、触れたその黒い光の粒は、瞬く間に二つに分かれた。
最初に触れた方は光を失って、ただの黒い小石になった。けれど、分かれたもう一つは、さらに強く輝きながら、山壁に沿って素早く走っていった。
「なに、これ……」
ルキは目を見開いたまま、目の前で起きたことに息を呑んだ。
その時、あの優しい声が、また心の中に響いた。
「あれは黒光こっこう」
「黒光……?」
「黒い石の中に宿り、触れられると分かれるの。怖がらなくていいわ。それを連れて、洞窟の石段を上へ進みなさい。その先が聖地よ」
「あなたは誰なの?」
ルキはすぐに問い返した。
「ルキ、進んでください。」
声は一拍だけ間を置いて、さらに柔らかく続けた。
「『光』を想えば、それは応えてくれる。見ているのは強さじゃない。あなたの意志よ……頑張って」
そう言い終えると、その声はまた静かに消えていった。
ルキは手のひらほどの黒い石をひとつ拾い、心の中でそっと「光」と念じた。
すると次の瞬間、山壁にいた黒く光る粒のひとつが、ふわりと彼女の手の中の黒石へ降りてきて、黒石もまた、かすかな黒い光を放ち始めた。
「できた!」
ルキは左手に黒光を持ち、その灯りで前を照らしながら、洞窟の奥へと進んでいった。そして最後に辿り着いたのは、不思議な記号がびっしり刻まれた一枚の扉の前だった。
彼女は黒光を高く掲げ、扉に刻まれた文字をじっと読み取っていく。
「古語――『マタラシド、クラバム・イドマシャ』……この門を開かんとする者、黒き聖光を台座に置け」
「台座……?」
ルキが辺りを見回すと、左後ろと右後ろに、それぞれ燭台のような台座があり、その上には小さな黒石が置かれていた。
「きっと、これのことだよね!」
彼女が右後ろの台座へ黒光を近づけると、その光は生き物みたいにひとりでに飛び移り、燭台の上に灯った。続けて彼女は、もう片方の燭台にも同じように光を灯した。
すると二つの燭台が同時に灯った瞬間、扉の前に高い台座がせり上がり、その中央には大きな黒石が現れた。
さらに扉の奇妙な記号の下にも、新しい古文がゆっくりと浮かび上がってくる。
「古語――『ラサマラ・クラバム・ペシャブ』……偉大なる黒き聖光よ、道を示せ!」
ルキはその文字を丁寧に読み上げると、高台の上にある黒石を見つめ、胸の内でそっと考え込んだ。
たぶん、この高台の石に黒光を灯せばいいんだよね……でも、私の精神力で足りるのかな……。ううん、まずはやってみよう! エイラ村長、どうか力を貸してください!
ルキはリリマラで、エイラにとても可愛がられていた子だった。
リリマラには代々、女性の妖精しか存在せず、エイラ自身もまた、大自然の恩恵によって生まれた存在だった。彼女は幼い頃からルキに基本的な術を教え、いつか自分の後を継いで、氷の術の最高守護者になってほしいと願っていた。
けれどルキは生まれつき優しい性格で、本当に身につけたのは、水の癒やしの術や花草を蘇らせる術のような補助系の術ばかりだった。それらはリリマラでは、ほとんど誰でも使える基礎の術でもあった。
その一方で、古代語に関しては非常に高い才を持っていて、古文を読み解く力だけなら、エイラに次ぐほどだった。ただ、精神力だけは、どうしても特別強い方ではなかった。
「はぁ……はぁ……ふぅぅ……」
ルキは意識を集中し、高台の黒石を光らせようとした。
けれど、どれだけ試しても、その黒石は何の反応も見せなかった。
「どうしよう……早くここを越えないと……」
「エイラ村長、お願い……助けて!ち、力をください~!」
ルキは焦りのままに呼びかけた。
その時、ふいにエイラがいつも言っていた言葉が、彼女の胸に浮かんだ。
『術を使う時は、その力を信じること。そして、心に愛を持つこと。そうすれば、術はきっと応えてくれる――』
その言葉を思い出した途端、ルキの目には涙がにじみ、乱れていた心も少しずつ静まっていった。
「エイラ村長……あなたの言葉、ちゃんと思い出したよ……」
「私、頑張る!」
今度の彼女の心には、もう迷いはなかった。ただ、きっと自分なら高台の黒石を光らせられる――
その思いだけを、まっすぐに抱いていた。
「光って!」
ルキの意志は、手の中の黒光へと伝わった。次の瞬間、黒光は一本の光の筋となって、高台の黒石へ真っ直ぐ射し込んだ。
すると高台の黒石はすぐにその呼びかけへ応え、銀と青の交差する光を放ち始めた。
その光は、燭台に灯った黒光と呼応し合いながら、彼女の周囲に銀白と青の三角形の空間を組み上げていった。
ルキは信じられない思いで目を見開き、自分の周りを旋回する光と媒質を、ただ呆然と見つめた。
思わず手を伸ばし、その流れる光に触れようとした、その瞬間――
すべての光は一斉に消えた。
洞窟は再び、彼女がここへ来た時と同じ、暗く静かな闇へ戻っていた。
「……」
「ルキ、お前……そんなことを経験してたのか……」
イランが言いかけたところで、ミドがたまらず割って入った。
「いや、さすがに信じがたいんだけど!?」
「そうだよね……」
ミドはすぐさま身を乗り出した。
「で、その黒光って、結局なんなんだよ!?」
ルキは彼をちらりと見て、低く答えた。
「見てみたい、ミド?」
「えっ!? うそ、持ってきたのか?」
「ううん」
ルキは小さく首を振った。
「ついてきたの」
そう言いながら、彼女はゆっくりと手を差し出した。
そして、その手のひらを開いた瞬間、かすかな黒い光が、まるで空気の中から凝り固まるように静かに現れ、彼女の手のそばにふわりと留まった。
ミドは思わず息を呑み、イランもまた、自然とその黒光へ視線を落としていた。
その時――
「ちょっと、あなたたち、早くしないと置いていくわよー!」
わざと声を張ったヘペニー先輩の呼び声が、半閉鎖空間の中に何度も反響した。
「わかりました!」
三人ははっと我に返り、慌てて足を速めて、先を行く一団の後を追った。
半閉鎖通路の中では、イランとミド、そしてルキが後ろを歩き、ヘペニー先輩と教授たちが前方を探っていた。
そしてルキは、そんな慌ただしい足取りのまま、自分がどうやってこの世界へ来たのかを、続けて語り始めた。
けれど、その時の彼女は、村があのあとどうなったのか、まだ何も知らなかった。
>ここまで読んでくださりありがとうございます。
幕間の十三では、ルキの視点から「黒光」という新しい要素を描きました。
村人たちが変異体へと変わり果てる悲劇と、謎の女性の声に支えられながら聖地へ進む姿は、彼女の弱さと強さを同時に浮かび上がらせています。
黒光はただの光ではなく、意志に応える存在として描かれました。
ルキが「光って」と願う場面は、彼女自身の心の成長を象徴しています。
物語はここからさらに聖殿の奥へと進み、彼女が託された役目の真実へ近づいていきます。
次回もぜひ楽しみにしていただければ嬉しいです
♪\(^ω^\)




