第33話―死地を越えて――忍び寄る黒影
※もとの第20話を、読みやすさを考えて分割しています。
内容に変更はなく、こちらはその続きになります。
死地を越えながら、それぞれの胸にもまた、新たな決意が芽生えていきます。
今回も、どうぞよろしくお願いいたします。
時間:3670シヴン年 12月24日 PM 02:27
場所:ビゴトラス島・港区中央街路南側
人々は一時、比較的安全な壁際に身を寄せ、荒い息を整えた。
誰も言葉を発せず、ただ遠方の鉱石巨人の低い唸りが空気を震わせ、島全体が先ほどの惨劇に黙祷しているかのようだった。
星織・雨は胸を押さえ、その鼓動が唸りと重なり、息が詰まりそうなほど重く感じた。
彼女が顔を上げると、ガサンはまだその場に立ち、背中が塵光の中でぼやけていた。
ガサンの脳裏には、異国の商人が幻想に満ちた手を伸ばし、次の瞬間に巨足に踏み砕かれ血霧となった光景がよみがえる。
(もし俺が……)
あの鈍い「ドン」という音は耳にこびりつき、離れない。
胸が締め付けられ、歯を食いしばり、彼は壁を拳で打ちつけ、低く呟いた。
「くそっ……」
もう一歩早く警告し、もう一瞬速く動けていれば、あの男は死なずに済んだかもしれない。
彼は呆然と立ち尽くし、指先を震わせていた。
星織・雨は彼の様子に気づき、そっと首を傾けた。
灰と火の残光に満ちた夜気の中、防衛隊長が壁際に立っているのが見えた。
背中は揺らめく塵光に包まれ、輪郭がぼやけている。
彼はわずかに俯き、一方の手で魔導長刀を握りしめ、その刃を地面に突き立てるように押し付けていた。
まるで魂を失ったかのように、ただ立ち尽くしている。
その姿は戦いに備えるものではなく、刀に身を預けて辛うじて立っているように見えた――。
倒れまいと必死に支えながらも、言葉にできない疲労が滲んでいた。
星織・雨は声をかけようとしたが、喉が乾いて声が出なかった。
足は地に縫い付けられたように震え、ただその背中を黙って見つめるしかなかった。
その時、優しい面差しの老婦人が彼の傍らに歩み寄った。
埃まみれの手が自然にその腕に触れ、まるで孫を慰めるかのように。
彼女の声は小さかったが、不思議な安らぎを帯び、低い唸りの空気の中で澄んで響いた――
「若き隊長、あなたはすでに十分尽くしている。」
老婦人は一息置き、穏やかだが反論の余地を与えない声で続けた。
「悔やむことも、惜しむこともない……まだあなたは必要とされている。隊員たちも同じだ。」
それは白い長髪を垂らし、六十歳ほどのお婆さんだった。
土と灰に染まった緑の前掛けを身に着け、顔には柔らかな微笑みを浮かべている。
その眼差しは優しく、しかし揺るぎなく、嵐の中に残る灯火のようだった。
星織・雨は黙って二人を見つめ、胸が締め付けられるように痛んだ。
彼女はその婆さんを知らなかったが、その落ち着きと温もりは夜の闇にひときわ真実味を帯び、彼女にわずかな勇気を与えた。
そして初めて確かに感じた――
「隊長」と呼ばれる者たちも恐れ、揺らぎを抱えながら、それでも誰よりも必死に耐えているのだと。
ガサンは顔を上げ、皺に覆われながらも慈光を宿すその瞳を見つめた。
胸の重苦しさが少しずつ解けていく。
「ありがとうございます……理解しました。」
彼はうなずき、深く息を吸い込み、背筋を伸ばし直し、声に再び落ち着きを取り戻した。
「全員、前へ進め!」
「一人で背負うな、隊長。」
ガサンはわずかに驚き、振り返った。
エドリックが一瞬ためらい、低く付け加えた。
「俺たちがいる。」
「……ありがとう、エドリック。」
二人は肩を並べ、隊列の先頭へと歩み戻った。
タリスは振り返り、右の耳元へ手を伸ばした。
だが指先は虚空を掴み、わずかに動きを止める。
口元に極めて淡い、笑みとも呼べぬ弧が浮かんだ。
それは、もはや変えられぬ事実を確かめる仕草のようだった。
次の瞬間、彼は手を引き、再び周囲へと注意を戻した。
再び歩を踏み出した時、ガサンはもう立ち止まることはなかった。
長刀をしっかりと握り、刃先をわずかに上げて、前方へ進む道を切り開いた。
霧はなお濃く、闇は重くのしかかる。
だが少なくともこの瞬間、彼は揺るがずに立っていた。
人々は次第にガサンと防衛隊の指示に従って動き始めた。
瓦礫と石片を踏みしめ、余計な声はなく、ただ黙って続いた。
星織・雨は隊列の中を歩きながら、自然とその背に視線を落とした――
それは恐れを知らぬ背ではなく、揺らぎを経てもなお最前に立ち続ける者だった。
胸に言葉にできぬ敬意が湧き上がった。
一行は彼の背に続き、交戦区域の縁を慎重に迂回し、恐ろしい生物との正面衝突を避けようとした。
崩れた街廊をゆっくり進み、半ば崩れた菓子店や空虚なテラスを抜けていく。
一歩ごとに瓦礫と灰を踏み、かすかな「ザリッ」という音が響き、生きていることを思い知らされる。
そこはかつてビゴトラス随一の繁華街――
SWEET本店の街並みだった。
今はガラスが砕け散り、甘い香りは焦げ臭と塵に覆われている。
砂糖粉と小麦粉が灰と混じり、空気に漂い、彼らの歩みに合わせて静かに広がっていった。
壁に残されたネオン看板が二度瞬き、やがて消え、途切れた配線が微光に揺れていた。
彼らは倒壊した屋根を慎重に避け、歩みを緩めた。
心臓は一定のリズムを刻みながら、わずかに速まっていく。
時間は引き延ばされ、静寂と危険が交錯し、圧迫感が骨の髄に染み込む。
その時、地面から微かな震動が伝わってきた……
「止まれ。」
ガサンは声を低く抑え、素早く手振りで全員に身を屈めるよう示した。
遠方から、低く重い金属の摩擦音が響く。
まるで巨大な爪が石壁をゆっくりと削っているかのように。
誰もが息を殺し、音の源を凝視した――
崩れた建物の頂に、一匹の異獣が伏していた。
その巨躯は鉱石巨人に匹敵するほどだった。
四肢は縮こまり、姿勢は歪み、身は乱雑な骨片と硬質な鱗に覆われていた。
胸からは暗紅の光脈が滲み、口端からは濃厚な液が滴り続ける。
それは砕けたバルコニーを伝い落ち、地面に黒焦げの跡を刻んでいった。
匂いは腐臭と焦げた臭気が混じり合い、まるで焼けた血と鉄のようで、吐き気を催すほどだった。
滴が落ちるたび「ジッ──」と音を立て、白煙がゆるやかに立ち昇った……
人々は一切動かず、空気は張り詰めた膜のように重く、呼吸さえ慎重に抑えられていた。
黒影に伏す巨獣を刺激せぬように。
そこは港区中央広場、かつて世界を代表する菓子の巨擘――
SWEET本店の残骸だった。
巨大な「微笑人形」は半顔だけ残り、亀裂が口元から眼窩へ走っていた。
もう一方の顔は消え失せ、空洞の支柱だけが廃墟の中で無言に笑っているかのようだった。
その人形の肩に、異獣が盤踞していた。
巨大で歪んだ体躯、胸腔の暗紅の光脈が砕けたガラスに反射し、瓦礫を妖しい紫紅に染めていた。
星織・雨は壁際に身を寄せ、包袋を握りしめ、喉が乾いて締め付けられる。
額の冷汗が目尻へと伝い、胸の激しい鼓動がはっきりと耳に届いた――
(イラン……)
数時間前の光景が脳裏をよぎる。
街は灯火と笑いに満ち、祭りの音楽が風に乗って響いていた。
イランは菓子屋台の前に立ち、溶けかけた七色ソフトクリームを手に、滴るシロップを見下ろしながら、気恥ずかしそうに呟いた。
「この味……思ったより甘いね。」
その短い場面は、今では夢のように遠い。
同じ通りは今や灰燼と瓦礫だけ。
喉が詰まり、目頭が熱くなり、涙が知らぬ間に頬を伝っていた。
(あなた……無事なの?)
彼女は深く息を吸い、感情に呑まれぬよう必死に自分を支えた。
胸の奥で燃える痛みは、逆に一筋の勇気を与えていた。
風音は抑えられ、呼吸は鮮明になり、彼女は自分がまだ生きていることを感じ取る。
微かな心臓の鼓動が告げていた――
彼女は、生きている。
その瞬間、街はまるで時を止められたように静止した。
風は止み、煙も止み、時間さえも止まったかのようだった。
星織・雨は包袋を握りしめ、胸の起伏をゆっくりと整えていく――
そして、再び微かな音を耳にした。
「ジュッ……ジュッ……」
近く、裂けた微笑人形が瓦礫の中に横たわっていた。
かつて純白だった顔は黒焦げとなり、口元は歪んで笑みを刻んでいる。
炎に照らされた夜の闇の中で、異様にねじれた笑みを浮かべていた。
その口元から緑黄の悪臭を放つ液が滴り、廃墟に腐蝕音を響かせた。
まるで次なる災厄の到来を数えているかのように。
「見ろ、あの粘液!」
「しっ、声を抑えて!」
鳥族の青年が恐怖に震え叫び、琉火族の少女が慌ててその口を塞いだ。
「熱っ……もし落ちてきたら……」
彼女の手は焦りで熱を帯び、鳥族の青年は身をすくめる。
言葉を終える前に、一滴が地へ落ち――「ジュッ」と鋭い音が響いた。
誰もが息を殺し、音を立てぬよう慎重に危険地帯を抜けていった。
炎光が壁面に揺れ、瓦礫と残骸の影を歪ませる。
空気は進むほど濃く、圧迫感が波のように胸へ押し寄せた。
一時間半に及ぶ苦しい避難の末、彼らはついに交戦区域を抜け、比較的安全な一角へ辿り着いた。
焦げ臭と粉塵はなお漂うが、窒息しそうな圧迫感はわずかに緩んだ。
遠方では低い鳴声が響き、島全体が嘆いているかのようだった――
だが少なくとも、ここでは一息つける。
ガサンは振り返り、全員がまだついてきているかを確かめた。
道中で二人は失ったが、ここに辿り着いた者は三十人。
息を荒げながらも、なお歩みを続けていた。
「悔やむな……」
誰にも聞かれぬ呟き。
その瞬間、彼はようやく長い息を吐いた。
「もうすぐ避難所だ。あと少しだけ耐えてくれ。」
その言葉は微かな光となり、恐怖と煙を貫き、人々の瞳に希望を灯した。
「本、本当に……もうすぐじゃのう?」
「ええっ、まず座って。治療してあげる。」
魚族の老人が杖を突き、血に染まった脚を震わせながら声を絞り出す。
サラは声を抑えて慰めつつ、視線を前から逸らさなかった。
「止まるな、進め。あと少しだ……」
タリスは背後で魔導炎剣を握り、刃に揺れる炎光が遅れる者を急かす。
その声は揺るぎなく、避難者を前へと押し出していた。
「子供たち、しっかり掴まれ!」
エドリックは荒い息を吐き、震える手を人族と樹族の子供へ差し伸べた。声は切迫しながらも、足取りは次第に安定していく――
誰かは顔の埃を拭い、誰かは仲間の手を握りしめ、よろめきながらも隊列に必死でついていった。
埃にまみれた子供が母の衣を掴み、震える声を漏らす。
「お母さん……」
涙をこらえ、唇を噛みしめる子供の頭を撫で、母は微笑みを絞り出した。
「大丈夫よ、ララク。お母さんがいるから。」
魚族の青年は傷ついた鰭腕で老人を庇い、足取りは乱れても止まらなかった。
琉火族の女は胸に抱いた光脈を微かに輝かせ、祈りを低く唱え、その淡い光で前路を照らした。
樹人族の青年は折れた腕を支えながらも、黙って鳥族の少女を助け、崩れかけた木柱を支えた。
鳥族の少女は息を荒げ、羽は黒焦げとなりながらも、震える声で感謝を返した。
初めて、隊列全体が一つとなり、瓦礫と埃を越え、共に前へ進んだ。
灰塵と炎光、風音が交錯する中、その脆い秩序は呼吸のように儚くも、なお強靭に存在していた。
だが、その静けさの中――
瓦礫の影が蠢き、細長い黒影が静かに伸び、壁面を這うように滑った。
ガサンは踏み出す足を止め、眉を寄せ、周囲を警戒した。
「隊長……あれは何ですか?」
サラは低く問う。双刃に手を掛け、指先は震えていた。
ガサンは答えず、黒影を睨み付けていた。
「慌てるな、ついて来い!」
タリスの炎剣はさらに強く燃え、声は冷たくも揺るぎなかった。
エドリックは杖を握り、身を前へ傾け、低く告げる。
「前方だ!」
その気配は異様で、恐怖を呼び起こす。
音もなく、輪郭もなく、皮膚を凍らせる冷気が全員を包んだ。
光さえも呑み込むように。
「気をつけろ!」
「えっ?」
ガサンの瞳孔が収縮し、反射的に避難者を押し退け、長刀を抜き放ち黒影を睨んだ。
同時に、エドリックは杖を掲げ、掌の霊気を震わせる。金と土の符紋が杖身に走り、輝きを放った。
星織・雨は両手で口を塞ぎ、震えながら影を見つめた。
それは蛇のようであり、霧のようでもあり、形なき異様な影だった。
心臓は胸を乱打し、鼓のように響いた。
エドリックは深く息を吸い込み、口から素早く呪文を紡いだ。
【バンヤイナン──バタンディク──モルゴバン──】
光の呪術・穢れ顕現!




