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失われた断片 ― 風の環 ―  作者: 半々月光
ビグトラス島編
43/61

第34話 ― 術士の袍下に輝く決意 ― 苦沙巴(クシャハー )

>第21話になります。


今回はついに「苦沙巴クシャハー」が登場しました。

三つの頭が絶えず言い争う姿、そして沈黙すれば災厄になるという設定――

書いている自分も背筋が寒くなりました。


(‘◉⌓◉’)


ガサンが記憶を呼び起こす場面、星織・雨とのやり取りは、少し人間味を強く出したくて丁寧に描いています。


長めの戦闘描写になりましたが、読んでくださる皆さんが「息詰まる」ような緊張感を感じていただけたら嬉しいです。


✧\(>o<)ノ✧


時間:シゥ゙ン3670年 12月24日 AM 2時45分

場所:ビゴトラス島・ピグト路地住宅区


光の呪術が展開された瞬間、白色に淡褐色の土光が混じり合い、黒影の位置に渦のような光層を急速に凝縮させた。


光と土が交わる力はまるで刃のごとく、瞬時に周囲の黒霧を切り裂いた。


光層が広がるにつれ、黒霧に隠されていた怪物の真の姿が徐々に露わになっていく。


人々はその光景に思わず息を呑んだ。



目の前に現れたのは――


それは蛇の身に人の顔を持つ魔獣であり、三つの似て非なる性格を宿した頭を有していた。

その頭部の眼は虚ろな黒で、まるで深淵を覗き込むかのように見える。


三つの顔はそれぞれ、怒り、狡猾、そして陰鬱な表情を浮かべていた。

皮膚の表面は鉄黒に緑を帯び、赤紫の微かな燐光を放ち、より一層不気味さを際立たせていた。


鉱石の巨人や他の異獣ほど巨大ではないものの、その身の丈は路地住宅の屋簷に迫り、成人二人分を優に超える高さで、狭い空間そのものを押し潰すかのような圧迫と脅威を放っていた。


三つの異なる頭は絶えず言い争い、動きは鈍っていた。



「なんてことだ……これは一体何なんだ?」


年長の人族の男は身を震わせ、目を魔獣に睨みつけ、低く震える声を漏らした。


「わたしたち……もう駄目なの?」


若い鳥族の少女は胸に抱いた包みを強く抱きしめ、恐怖に羽片を震わせ、顔は蒼白になり、瞳には絶望が満ちていた。


「声を出すな……頼む……」


中年の樹人族の男は枝紋を震わせ、滴る樹液を地に落とし、泣き出しそうな声で訴えた。


人族の女は目を見開き、両手で口を必死に塞ぎ、魔獣に気づかれることを恐れて声を出せなかった。瞳は恐怖に満ち、全身は絶えず震えていた。


ガサンは魔獣の動きを警戒し続け、徐々に散っていく黒霧の中で長刀を構え、符文の光を煌めかせながら、いつでも斬撃できるよう備えていた。



「エドリック、防御だ!」


声を聞いたエドリックはすぐに杖を掲げ、ルーンの光が空気を震わせた。半透明の光の障壁が瞬く間に展開し、避難者たちをその中に包み込んだ。


障壁の表面には微細な土の光紋が煌めき、大地の強靭さと光の加護が交錯しているかのようだった。


サラは障壁の縁に立ち、双刃を交差させながら冷静に周囲を見渡した。呼吸は荒いが、その眼差しは鋭く、近づく異獣はすべて彼女の刃によって瞬時に斬り払われた。


「この雑魚ども、俺が片付けてやる!アハハハーー!」


タリスは高らかに笑い、炎の剣が赤紅の炎を噴き上げた。

彼の姿はまるで炎の壁のようにもう一方を守り、笑声には震えが混じっていたが、火炎は一歩も退かず、近づこうとする散発的な異獣を押し返していた。



「なんとなく、見覚えがある……この魔獣……」


ガサンは低く呟き、眉間に皺を寄せた。脳裏の奥底に、古文書の頁をめくったような曖昧な記憶が閃くが、はっきりとは思い出せない。



「どの書物で読んだのだろうか……」


彼は刀を振り下ろし、襲いかかる異獣を符文の光刃で瞬時に両断した。血霧が空気に散り広がり、呼吸は荒く、胸は激しく上下する。それでも必死に混乱を抑え、思考を冷静に保とうとする。


「三つの頭……人の言葉を話す……」



「……」


「まさか……!」


封じられていた記憶が突如として解き放たれ、脳裏の深淵から鮮明に甦った。



それは――


学院の図書館だった。


『遠古禁忌魔王図鑑』の中で、彼がかつてめくった一枚の破れた頁。


そこには、この魔獣の名――苦沙巴(クシャハー)が刻まれていた。


人間の「残響」から派生して生まれた遠古の魔物。

三つの性格の異なる頭を持ち、互いに果てしなく争い、分裂し、否定し続ける。


争いが続いている間、苦沙巴はそれほど手強い存在ではない。

だが、もし三つの頭が沈黙すれば――


力は瞬時に収束し、凝縮され、能力は急激に高まり、真の災厄と化す。


ガサンはその記述を読んだ当時、胸の奥をかすめた言葉にできぬ寒気を思い出していた。



体型は図鑑に記された他の「魔王」よりも明らかに小さい――


それなのに、なぜ同じ階級に分類されているのか。



一頭の異獣が飛びかかり、その頭部は符文の刀光によって瞬時に斬り裂かれ、幾つもの断片となって飛散した。

その瞬間、彼の脳裏にあの残頁の警告がまざまざと甦った――



「この魔王、変異すれば、測り知れぬ。■□■□□」



後半の文字は破損のため判読できず、時と塵に呑み込まれたかのように、ただ幾つかの曖昧な方形の痕跡だけが残っていた。


その一文が脳裏に蘇っただけで、ガサンの心臓は一瞬にして強く締め付けられた。

呼吸は重くなり、胸は見えぬ巨石に押し潰されるようで、吸うたびに窒息めいた痛みが走った。



彼は理解していた――

これはただの異獣ではない。


欠けた警告文は、むしろ完全な文字よりも脅威を孕んでいた。

未知の部分は深淵のように底知れぬ。


「もし本当に……そうなら、最悪だ。」


ガサンの視線は苦沙巴から離せなかった。


三つの頭は絶え間なく争い続け、次の瞬間には不気味に声色を変える。

虚ろな眼が不吉な光を放ち、声は時に目の前の生物を模倣し、時に人間に近い言葉へと歪んでいく。


――まるで彼の脳裏に潜む恐怖を嘲り笑うかのように。



同時に、サラは星織・雨の前に立ち塞がり、前後から襲いかかる異獣を次々と斬り払っていた。


星織・雨は彼女の背後に身を縮め、震える両手で衣の端を必死に掴んでいた。

やがて鼓動は早まり、胸は押し潰されるように呼吸が苦しくなる。


目の前の異獣は恐ろしい……けど、その恐怖はまだ勇気で抗える類のものだった。


しかし、苦沙巴の存在は違う。



三つの頭の争い、歪んだ笑い声、虚ろな眼差し――それらは魂の奥底を直撃する。

それは単なる恐怖ではなく、底知れぬ圧迫感だった。


抗う術はなく、逃れる道も遮られた、息が詰まるような恐怖。



その瞬間、星織・雨の瞳には涙が溜まり、必死に呼吸しようとするも、空気そのものが奪われていくように感じ、手で口元を押さえながら必死に呼吸を整えようとした。



「お姉ちゃん、あれ……怖い……」


星織・雨は震える声で囁いた。


サラは横顔を向け、柔らかくも揺るぎない声で応じる。


「そんなに他人行儀にしないで。サラと呼んで。」


星織・雨は唇を噛み、必死に落ち着こうとした。


「わ、私は……星織・雨。」


サラは微笑を浮かべ、双刃を握り直した。


「いいわ、星織・雨。私の名を覚えて……よろしく。」


符文の光の障壁が周囲に震え、エドリックは杖を掲げていた。

額には汗が滲み、声は切迫していた。


「まだ耐えられる……だが長くはもたん。隊長、早く策を!」



「アハハ!こんな怪物、初めてだ!さあ、どれほどの力か見せてみろ!」


サラは鋭い視線をタリスに向けた。


「タリス、無茶はするな!これはただの魔物じゃない!」


苦沙巴の三つの頭は、互いの争いをさらに激しくしていった。



怒れる頭がいきなり咆哮と共に、粘性の緑色の液体を狡猾な頭へ勢いよく吐きかけた。


狡猾な頭の左頬は瞬時に溶け落ち、すぐさま傷口から再び形を取り戻す。


残った粘液が地面に落ち、「シューッ」と音を立てる。


石は瞬時に泡状に崩れ去った。



「西へ行けと言っただろ!」


怒れる頭が咆哮する。


「だめだ!東だ!」


狡猾な頭が即座に反駁する。


陰鬱な頭が不意に振り向き、邪悪な笑みを浮かべた。


「いや……まずは食事だ!ここには肥えた鼠がたくさんいる、へへへ……」


不気味な三つの頭は、ほとんど同じ言葉を繰り返し続ける。

その一言一言が闇夜に響く魔の囁きのように――


心の奥底を直撃し、まるで魂を引き裂き、引きずり回すかのようだった。



ガサンは重苦しい気持ちでその光景を見つめ、長刀を握りしめながらも思考は不思議と澄み渡っていた。



(この魔物……争いを止めさせてはならない。)



彼は歯を食いしばり、無理やり冷静さを保つ。


(逃げるだけではだめだ……二手に分かれるしかない。)



「俺が何とか食い止める!お前たちは先へ進め……エドリック!お前は――」



「!」


「下がれ!」


ガサンが叫ぶや否や、苦沙巴の狡猾な頭が瓦礫と建物の残骸の下から突如飛び出し、血に濡れた大口を開いて仲間たちへと襲いかかった。


「まずい!」


エドリックが驚愕の声を上げ、すぐさま杖を振るう。


符文が閃き、呪術の流れは瞬時に加速し、濃密な土の壁が仲間たちの前に立ち塞がった。

光を反射する表面はまるで堅牢な盾の如く、怪物の腐食性の攻撃を阻もうとする。



だが、この強大な生物は容易に退けられるものではない。

狡猾な頭は怯むことなく大口を開き、腐食性の毒霧を吐き出し、土壁へと襲いかかった。


毒霧は瞬く間に壁を蝕み、「シューッ」と耳障りな音を響かせながら、やがて壁は侵食されて崩れ去る。



「ここで正面から戦うのは無理だ!」


エドリックは焦燥の声を上げ、額には冷や汗が滲んでいた。



「全員、俺に続け!回り込むんだ!」


ガサンが低く力強い声で命じた。



星織・雨が震える声で呟く。


「サラ……あれ、本当に怖い……」


サラは横顔を向け、揺るぎない眼差しを返した。


「恐れるな、星織。私がいる限り、あいつはお前に触れられない。」



「ハハッ!これこそ面白い!走れ、俺が食い止める!」


タリスは足を止め、炎の剣を左右に振りかざし、腰を落として構えた。

剣先は水平に苦沙巴へと突きつけられる。


「タリス、攻めるな!逃げるのが先だ!」


サラは焦りの声を上げ、冷ややかな視線を再び彼に投げた。


「サラの言う通りだ!奴らが争っている今こそ唯一の好機だ。内輪揉めの隙に抜け出せれば、まだ望みはある!」


ガサンは長刀を握りしめ、低く補足した。



「ちっ、せっかく戦えると思ったのに!わかった、わかったよ……ん?ヤツは何をしている?」


タリスは不満げにぼやきながらも、ふと動きを止め、怪物の様子に目を釘付けにした。



「サベ――∴タタシ―∷―ソサラ∵シ――」


人々たちが急ぎ退くその時、苦沙巴の陰鬱な頭が低く呪文を唱え始めた。



空気は瞬時に極度の悪臭に立ち込めた。腐敗と死が入り混じるその気配は、あまりに濃烈で人を昏倒させるほどだった。


サラは眉をひそめ、すぐに星織・雨を背に庇った。エドリックは慌てて杖を振り、符文の光を震わせて防御を強めようとする。



「まずい……これはただの口論じゃない、あいつが呪術を使っている!」


ガサンの心臓は激しく跳ね、長刀の符文が光を放つ。彼の声は低くも切迫していた。



「全員退け!あいつらの瘴気に絡め取られるな!」


星織・雨は背後から得体の知れない寒気を感じ、心臓が胸を突き破りそうなほどに脈打った。



彼女は気づいた――


これは単なる恐怖ではない。もっと深い危機に陥っているのだ、と。



「まずい、もっと急げ!」


ガサンは緊張を隠さず、低く急切な声で仲間を促した。


「ここを一刻も早く離れねばならない。あいつらはさらに強力な攻撃を準備している!」


人々たちは彼の導きに従い、瓦礫と廃墟を必死に駆け抜けた。


苦沙巴の蛇身三首の轟音のような咆哮が絶え間なく響き渡り、その一度一度が心を揺さぶり、極度の不吉な予兆をもたらしていた。



遠方では鉱石の巨人と他の巨大な異獣たちの戦いがなお続き、激しい交戦によって大地は絶えず震えていた。


周囲の地面は大きく揺れ始め、土砂と瓦礫が崩れ落ちては舞い上がる。恐ろしい戦いは次第に彼らの退路へと広がり、状況はますます危機的になっていった。


(このままでは駄目だ……)


ガサンは突然足を止め、瓦礫の中で身を翻すと仲間たちへ向き直った。その瞳には決意の光が宿っていた。


「エドリック!サラとタリスと一緒に皆を別の道へ!俺があいつらを食い止める!」


「隊長!俺が!」


「いや、エドリック。お前は怪我から回復したばかりだ。皆を安全に導けるのはお前だ!」


「でも……」


「時間がない、急げ!」


ガサンの表情は揺るぎないものだった。エドリックは喉まで出かかった言葉と未練を必死に飲み込み、最後には歯を食いしばって頷いた。



「ハハッ!一人で手柄を独り占めするな!俺もあいつらを食い止める!」


炎は空気の中に赤い軌跡を描き、タリスはガサンの傍らへ歩み寄った。肩を軽く叩き、豪放な笑みを浮かべる。その火光は彼の粗野な顔を照らし、さらに狂烈さを際立たせた。



「タリス、お前……!」


ガサンは一瞬驚いたが、すぐに薄い笑みを浮かべ、大声で叫んだ。


「タリス!一緒に行くぞ、あいつらに一息も与えるな!」


「アハハハ!いいだろう!この争いを奴らの葬歌に変えてやる!」


ガサンの長刀の符文が脈動のように明滅し、冷たい輝きを放った。

タリスは豪快に笑い終えると、炎剣を肩に担ぎ上げた。赤い火炎は剣身に沿って静かに揺らめき、符文の光と交錯しながら、まるで二つの力が呼応するかのようだった。



「隊長!俺が皆を守る、安心して戦え!」



「だめ……」


サラは声を絞り出し、すぐに身を翻して星織・雨を庇った。

星織・雨は不安げに口を開き、声を震わせる。



目の前の若き隊長は、幾度も彼女を救い、痛みと責任を背負い続けてきた。まだ名前も知らないまま離れることはできない――どうしても伝えたい言葉があった。


その時、ガサンが前へ踏み出そうとした瞬間、背後から小さく震える声が響き、彼の足を止めた。


「待って……星織――」



「隊長!」



星織・雨はサラの制止を振り切り、慌てて彼の傍らへ駆け寄った。顔には不安と混乱が浮かび、呼吸は荒く、涙が目に滲んでいた。それでも必死に頭を上げる。


「まだ……あなたの名前を知らない。私は星織・雨。」



「それから……ありがとう!」


彼女は拳を握りしめ、震えながらも真摯な声を放った。


幾度もの死線を越えられたのは、この隊長の指揮と仲間たちの奮闘のおかげだった。ずっと言えなかった「ありがとう」を、今ようやく心から伝えられた。



ガサンは一瞬驚き、足を止めて彼女を見つめた。その瞳には恐怖と同時に勇気が宿っていた。


「勇気を持て。サラとエドリックと共に、皆をあの低い家屋を抜けて巷へ導け。決して振り返るな、そうすれば奴らの目を避けられる。」



彼は短く沈黙し、術士の帽子を外した。淡い金髪が露わになり、轟音と咆哮の中で微笑みは静かだった。



「初めまして、星織・雨。俺はガサン・ベルグだ。」



低く、しかし温かく揺るぎない声で名を告げる。それは彼女への約束のようだった。


「仲間たちを頼んだ!」



「必ず生きて帰って!」


星織・雨は振り返らずに進もうとする彼へ叫んだ。



次の瞬間、ガサンは長刀を握り直し、刀身を天へ突き上げて応えた。毅然と背を向け、タリスは炎剣を肩に担いだまま、共に苦沙巴の咆哮が響く方へ駆け出した。


>ここまで読んでくださりありがとうございます!


ガサンがついに名前を明かす場面、いかがでしたでしょうか。

淡い金髪を出す演出は、ずっと温めていた小さな仕掛けです。


タリスの豪快さ、サラの冷静さ、エドリックの必死さ――仲間たちの個性が少しずつ立ち上がってきたと思います。


次回はさらに状況が動きます。苦沙巴の「呪文」が何を意味するのか、そして彼らの選択がどう繋がっていくのか……ぜひ楽しみにしていてください。


(人*´∀`)。*゜+

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