第12話 人質
峡谷の支配者たるアラクネはその赤い目で女神達を見下ろす。それはまるで自分の巣に飛び込んで来た獲物を見る様な捕食者の余裕を持っていた。
「カラミティの魔人。まさかこっちにも現れるなんて」
アンジェリカ達を追って来て正解だった。もう少し遅れていたら彼女達も捕まっていただろう。
「フフフ、私の名はベリョーネ。初めまして女神様。そしてその侍」
アラクネの魔人はベリョーネと名乗り、意味深な目をアルケーと三郎に向けた。
「ほう、俺の事も知ってんのか?」
「ええ、女神に侍る下賤な輩。貴方を八つ裂きにすれば、魔王様は私に世界の半分を下さるの」
「参ったな。俺ぁ奴に相当怨まれてるらしい」
自分の命が狙われているのにも関わらず三郎は面白そうに笑う。
世界の半分とはこの首も偉くなったものだとでも考えているのだろう。
「貴方の目的は何? 人々を捕まえてどうするつもり?」
峡谷に張られた蜘蛛の巣には捕まった人々が助けを求めて叫んでいる。その数は数十人に及ぶ。
ベリョーネが捕まえた1人の傭兵の所まで寄って行く、すると蜘蛛の胴がばっくりと開きグロテスクな口が開かれた。
「そりゃあ食べるのよ。元々今日はここを通る人間を狩るのが目的だったし。でも貴方達まで来てくれるなんてラッキーだわ!」
今にもこいつを食べてしまうぞと言わんばかりに大きく凶悪な口を開く。そして恐怖に怯える傭兵を人質にベリョーネはある提案をした
「ねえ、女神様? 大人しく捕まってくれるなら10人くらい逃がしても良いわよ?」
「な⁉ んですって……?」
そのふざけた提案にアルケーは怒りの表情を見せる。
(けどどうすれば……)
この提案を蹴ればベリョーネは迷う事なく人質を食ってしまうだろう。
人質を見捨てて奴と戦うか。捕まって少しでも人を助けるか。どちらも出来る筈がない。
すると横に居た三郎が人質に向かって叫んだ。
「おいお前!!」
「た、助け――!」
「仇は取ってやる!! 安心しろ!!」
「へ?」
「「へ?」」
今何て言ったという空気が敵味方双方に漂う。その隙に三郎はサッと矢を弓に番えた。
「うおっ⁉ 何やってんのバカ三郎!!」
アルケーが飛び付いて弓を下ろさせる。
「何って奴を射るんだよ」
「バカ! 人質が居るじゃない!」
「それがどうした?」
三郎は訳の分からない顔をする。
坂東武者、と言うか武者全般に人質は通用しない。
今昔物語集という説話集にはこんなエピソードがある。
強盗に我が子が人質に取られた親が、その地を治める武士に助けを求めた。すると武士は笑って「子供の命くらい捨ててしまえ」と言ったという。
他にも平安時代、摂政を務めた藤原道長の縁者が人質になっているのにも関わらず矢を射掛けたり、とにかく武者に対して人質は何の障害にもならないのだ。
「いやいやいやいや! ダメだから! 弓下ろしなさい!」
今にも矢を飛ばしそうな坂東武者を必死に抑えた。
だがその容赦ない行動がベリョーネに「人質は無駄」だと言うことを分からせたらしい。胴の口を閉じると白けた目を向けた。
「ふ~ん。シラモ様が言っていた通り無茶苦茶な生き物なのね坂東武者って。良いわ交渉決裂。ボウヤ達やっちゃいなさい!」
ベリョーネが手を振るとわらわらと蜘蛛共が群がって来た。
「どうしましょう⁉」
「迎え討つしかねえだろうが!」
「でも人質の人達が!」
「死にてぇのかバカ野郎!」
こういう時の三郎の判断は速い。彼は構わず向かって来る蜘蛛に矢を射掛ける。
アルケーと笑亜も人質は心配だが、この切迫した状況に押される様に武器を取った。
蜘蛛の1匹1匹はそう大した強さではない。
アルケーはアーリーライフルで射撃し、笑亜は剣を構えて吶喊する。三郎は蜘蛛が近寄って来ると弓を捨てて金砕棒を振るった。
「ッ⁉ ちょっと、あいつはどこ行ったの⁉」
乱戦の最中、巣を見上げるとベリョーネの姿が無い。
その時、背後で何かが落ちた音が聞こえた。
「はい、終わり」
刹那、ベリョーネが繰り出した糸によってアルケー達は絡め取られてしまう。
「しまった!」
「こいつどうやって回り込んだの⁉」
その答えは頭上にある。
峡谷に張り巡らされた蜘蛛の糸。ベリョーネはそれを伝って背後に回り込んだのだ。
「あら? 1人逃がしちゃった?」
ベリョーネは糸から逃れたアンジェリカに目を向ける。その横にはミュンネイが糸に捕らわれていた。
「あー、なるほど。お友達に庇ってもらったのね」
美しい友情をベリョーネは嘲笑った。
「ミュンミュン! どうして⁉」
「あの時の恩返しだよ。逃げてアンジェ」
「バカ! そんなん出来るわけ――!」
「そうよ。私からは逃げられない。大丈夫。2人共、私のお腹の中でずっと一緒に居させて上げるわ」
せっかく庇ったって無駄な事。
もうこの峡谷は彼女の巣であり、走ったって逃げる事は出来やしない。
その手がアンジェリカに伸びた。その時、
「うおぉぉっ!!」
空気を震わせる雄叫びと共に黒鉄の金砕棒が振り降ろされる。その一撃は躱し損ねたベリョーネの脚をもぎ取り粉砕した。
「ぎゃああぁ⁉ 脚が!! 脚があぁ!!」
ベリョーネは手から糸を発射し、上空の糸へと飛び移る。もげた脚からは青い体液が溢れ落ち、その苦痛に魔人は顔を歪めた。
「何故だ⁉ 何故あいつが⁉」
突然襲って来た三郎にベリョーネは驚きを隠せない。
奇襲で放った糸は確かに4人を捕らえた。手応えもあった筈だ。
だが三郎を捕らえたと思っていた糸を緩めると、中に居たのは小蜘蛛だった。
「私のボウヤを身代わりにしたのか⁉」
「降りて来やがれ蜘蛛女ァ!! 首寄越せぇ!!」
逃げたベリョーネを三郎は恫喝する。
「ふんっ! 誰が降りるもんですか! 女神を捕まえた今、お前の相手などしていられるもんか!」
ベリョーネはアルケー達を捕らえた糸を引き上げる。そして彼女が糸を伝って巣まで戻ると小蜘蛛共が糸を吐き始めた。
それは峡谷を遮る様に白い壁を作りだし、三郎とベリョーネを隔離させる。
「これでお前はこちらに入って来れない。この糸は剣で切る事も、火で燃やす事も出来ないのよ。ふふふ、そこで悔しがってなさい!」
壁の向こうから魔人の勝ち誇った声が木霊した。




