第9話:初めての街アルトリアと、言葉の奇跡
カサリ、と落ち葉を踏む音が静かな森に響く。
「――よっ」
瀬尾が適当に片手をひらひらと振った。
次の瞬間、見えない刃が空気を切り裂き、数メートル先の茂みから飛び出しかけていた一頭の巨大なイノシシが、悲鳴を上げる間もなく倒れ込む。
「おっ……出た出た。ちょっとレベル上がって魔力増えたおかげだな」
「凄いですけど……瀬尾さん、いま手ぇ振っただけですよね!? 魔法の発動があまりにも雑すぎませんか?」
「雑じゃねぇよ。人前で呪文なんか叫んだら、俺の中の何かが確実に死ぬだろ」
「……そこですか?」
「無詠唱が使えてよかったわー。俺は死んでも絶対に詠唱なんかしないからな」
「まあ……瀬尾さんが大声で呪文唱えてる姿は、ちょっと見たくないかもです」
(……『喰らえ! 爆熱・漆黒暗黒剣!!』とか真顔で大声で叫んでたらどうしよう……ぶふっ)
一瞬頭をよぎった恐ろしい妄想に、思わず吹き出しそうになる。
「何笑ってんだよ」
「なんでもないでふゅー」
「怪しいな……まあいいや。よし、肉回収するぞ」
「見学してまーす」
瀬尾はひょいと手をかざして、倒れたイノシシを自分のストレージへ納めた。
そうして狩りをしながら川沿いを数時間歩き続けた頃、鬱蒼とした森が開け、視界が一気に明るくなった。
「瀬尾さん……! 見て見て! 街ですよ!」
澪が指さした先には、頑丈な石の壁と、その向こうにひしめき合う家々の屋根が見えた。
「お……やっと街が見えてきたな」
瀬尾もホッと安怠の息を吐き出す。数日間、森を彷徨っていたため、人の営みがある場所を見ると理屈抜きで安心した。
二人が足取り軽く街のほうへ近づいていった、その時だった。
「ひぃっ……! 誰か、助けて……っ!」
「くそっ……お坊っちゃまから離れろ……!!」
「囲むな! お前たちは左を守れ!」
すぐ近くの茂みから、幼い男の子の悲鳴と、複数の大人たちの切迫した怒号が聞こえた。
「ん……? 声がしなかったか?」
瀬尾が立ち止まり、澪と一緒に草むらの隙間を覗き込む。
そこには、数名の護衛らしき騎士たちが血を流して刀剣を構え、その中央で腰を抜かして震える小さな男の子を庇っていた。しかし、傷ついた騎士たちの手元は狂い、防戦一方になっている。そして彼らを囲むように、大人すら丸呑みにできそうな丸太ほどもある巨大な毒ヘビ——ジャイアントスネークが鎌首をもたげ、威嚇するように長い舌をチラチラと覗かせている。今にも男の子に向かって飛びかからんとするその巨体に、護衛たちは絶望的な表情を浮かべていた。
「はぁ……めんどくせぇな」
瀬尾は肩をすくめると、一瞬のためらいもなく茂みを蹴って踏み出した。
「おい、デカヘビ。こっち向け」
声に反応した毒ヘビが、素早い動きで鋭い牙を剥き出し、瀬尾に向かって襲いかかった。しかし、瀬尾は身を翻してその巨大な首元を素手で軽々と掴むと、そのままの勢いで地面へと叩きつけた。
ドスッ、と空気が揺れるような鈍い衝撃音が響き、ジャイアントスネークは頭部を激しく打ちつけられ、ピクリとも動かなくなる。
武器を構えたまま固まっていた護衛たちは、目の前の光景が信じられないといった様子で目を丸くし、口をぽかんと開けて呆然としていた。
「相変わらず容赦ないですね……」
「なんだ、褒めてるのか?」
「どんな耳してんですか。ほら、男の子が驚いてますよ」
目を丸くして震える男の子の前に、澪がかがんで目線を合わせた。
年齢は7〜8歳ほどだろうか。綺麗な栗色のサラサラとした髪に、透き通った翡翠色の瞳。着ている服は上質な麻で織られた温かみのあるチュニックで、どこか良家のお坊っちゃまといった佇まいだった。
「大丈夫? 怪我はない?」
「う、うん……! ありがとう、お姉ちゃん……!」
男の子がコクコクと頷く。その声を耳にした瞬間、澪は「あれ?」と眉をひそめた。
(……待って。日本語じゃないのに、意味が普通に分かっちゃったんだけど)
「長居すると他の魔物が寄ってくるぞ。早く街に帰りな」
後ろから瀬尾が声をかけると、護衛の頭領らしき男性がハッと我に返り、男の子をかばうように肩を抱き寄せた。
「た、たすかりました……! 私たちはレリアへ戻る途中で……ああっ、お礼もできず申し訳ありません!」
「いいから早く行きな」
「は、はいっ! 総員、退避だ! 行きましょう、テオ様!」
「うん! バイバイ、お兄ちゃん、お姉ちゃん!」
護衛たちに手厚く守られながら、何度も振り返って走っていく少年たちを見送り、澪は瀬尾を振り返った。
「瀬尾さん……いまの男の子の言葉、普通に聞き取れましたよね?」
「ああ。勝手に頭の中で変換されてる感じだな」
「よかった……! 言葉すら通じなかったら、街に入る前に詰むところでしたね」
二人は街の大きな石門へと向かった。門の前には、鎧を着て長い槍を持った二人の門番が立っている。
「おい、見ない顔だな。入るのに銅貨2枚だ。あるいは冒険者ギルドのカードを見せてくれ」
(門番の言葉もバッチリ……って、現金なんて持っていないんですけど!?)
澪が瀬尾と視線を交わすと、瀬尾はポケットに手を突っこんだまま平然と一歩前へ出た。
「悪いな。途中で魔物に襲われて現金持ってないんだわ。代わりに、さっき狩った素材で払えねぇか?」
「素材? 物納か。まあ、質が良けりゃ通してやるが」
瀬尾はストレージから出した、澪のエコバッグにガサガサと手を突っこみ、ストレージ経由でジャイアントスネークの皮と肉の一部を取り出してみせた。門番は驚いたように目を剥き、素材の質感を確かめると感心したように頷いた。
「おいおい……こんな大物の毒ヘビを仕留めたのかよ。血抜きも皮の削ぎ方も完璧じゃねぇか。いいぞ、これなら入る分には十分すぎる。通っていいぞ」
「助かる。ついでに、この残りを換金したいんだがギルドはどこだ?」
「門をくぐって大通りをまっすぐ行ったところにあるデカい建物だ。剣と盾の看板が見えるからすぐ分かるさ」
「りょーかい」
門を潜り抜けた瞬間、視界がパーッと開き、ものすごい熱気と活気が二人の全身を包み込んだ。
「いらっしゃい! 獲れたての果実だよ!」
「焼きたての肉串! 1本銅貨1枚!」
石畳の両脇には露店が並び、黒髪や金髪だけでなく、赤や青といった色とりどりの髪をした人々や、身の丈ほどの大剣を背負った男たちが当たり前のように街を行き交っている。
露店の立て看板が澪の視界に入る。異世界の記号のような文字だが、それらも会話と同じようにスラスラと意味が頭に飛び込んできた。
「『焼きたて肉串、銅貨1枚』……文字まで普通に読めますね。すごいなぁ」
「ほんとな。会話も文字もいけるなら、暮らしていくのはどうにでもなりそうだ」
香ばしい肉の匂いにふと視線をやった澪が、ぽつりと呟いた。
「はぁ……いい匂い。お金があれば買い食いできたのになぁ」
「これだけ旨そうな匂い嗅がされたら、お腹空いてくるよな。俺も一本食いたくなってきた」
「ですよね。まずはギルドに行って肉を売って、現金をゲットするのが先決ですね」
「おう、あのお肉にありつくためにも、さっさと換金しに行くぞ」
「はいっ!」
二人は大通りをまっすぐ、『冒険者ギルド』を目指して歩き出した。




