第8話:失われた勇者と王国の混迷
歴史ある大国、ルヴィニア王国。その王城の地下深くには、滅多に使われることのない極秘施設が存在していた。
巨大なドーム状の室内の中心を満たしているのは、目が眩むような魔法陣の光だ。
その周囲には、数百個におよぶ最高級の『高純度魔石』が惜しげもなく並べられ、気味が悪くなるほどの魔力を放っている。
さらに魔法陣の脇には、勇者を完璧に支配し、王国の忠実な道具とするための道具——『隷属の首輪』が置かれていた。不気味な黒ずんだ金属には赤黒い呪印が刻み込まれ、禍々しいオーラを放ちながら準備されていた。
「……ぐ、ぐぬぬ……! まだか! まだ勇者は現れんのか!?」
派手な王衣を身に纏った初老の男性——ルヴィニア王国国王、ヴァルガルド・フォン・シャウエンブルク4世が、汗を滝のように流しながら叫んだ。
その周囲では、青ざめた顔の宮廷魔導士たちが、必死な顔で呪文を唱え続けている。
「ひ、光が収まります! 召喚、完了いたします!!」
筆頭魔導士が叫ぶと同時に、魔法陣から放たれていた眩い光が収まり、激しい風が地下室に吹き抜けた。
10年もの歳月を準備に費やし、数年に渡って国民から徹底的に税金を絞り上げて準備した古代の術『異世界勇者召喚儀式』。
隣国との泥沼の戦争、そして年々凶暴化する魔獣の群れ。傾きかけたこの国を救うため、そして王家の威信を世界に示すための、一世一代の大プロジェクトだった。
誰もが固唾をのんで、魔法陣の中央を見つめる。
煙が静かに晴れていき——
「……は?」
国王ヴァルガルド4世の口から、間抜けな声が漏れた。
魔法陣の真っ白な中心には、誰もいなかった。
静まり返る地下室。転がっているのは、魔力を使い果たしてヒビの入った大量の魔石のガラだけだ。
「……おい。勇者はどこだ」
「は、はい……? え、あ、あれ……?」
「勇者はどこにいると聞いているのだ!! 筆頭魔導士!!」
怒声が地下室に響き渡った。国王の顔は怒りと恐怖で真っ赤に染まっている。
「バカな! 10年だぞ!? 数年間も国民から容赦なく絞り上げた税金と、我が国の財宝を惜しげもなく注ぎ込んだのだぞ! 失敗など絶対に許されん!!」
「も、申し訳ございません! しかし、儀式自体は確実に成功しております! 異世界からの『魂』が来た反応は、はっきりと出ました!」
「ならばなぜここにおらんのだ! どこへ消えたと言うのだ!?」
「そ、それが……召喚の瞬間、想定を遥かに超える謎の邪魔が入りまして……場所のズレが発生し、どこか別の場所へ飛んでしまった可能性が……」
「ふざけたことを言うなッ!!」
地団駄を踏む国王のもとへ、金髪をなびかせ派手な鎧に身を包んだ青年——第2王子レオンハルトが進み出た。
「父上!! どうかこの私にお任せください!! 我が部隊を率い、その逃げ出した勇者とやらを即刻捕らえて見せます! 我ら王族から逃亡するなど不敬の極み! あの禍々しい首輪をはめて引きずり回し、父上の前に跪かせてみせましょうぞ!」
自信満々にドヤ顔を浮かべる息子を、父王ヴァルガルド4世は鬱陶しそうに見下ろした。期待など微塵もしていないが、捜索の手数が多くて損することはない。
「……ハッ、言われんでも捜索隊は出させるわ! ええい、なんでもいい! 召喚が失敗したなどと他国や貴族どもに知られたら、我が王家の立場がなくなる! 勇者は無事に召喚され、城で大切に保護していると周りには嘘をつけ!」
国王は拳を振り上げ、控えていた騎士団長と密偵の長、そして第2王子に向かって吐き捨てるように命じた。
「直ちに極秘の捜索隊を出せ! レオンハルト、お前も私兵を率いて行け! 国内、いや隣国の境目付近まで残らず捜せ! 召喚された勇者を確保し、何が何でもこの城へ連れてくるのだ!!」
「「ははっ!!」」
「ふはは! お任せを、父上! この名にかけて、必ずや連れ戻してみせますぞ!」
一人だけ張り切って去っていく王子を横目に、実力派の騎士や密偵たちも疾風のように地下室を後にした。
広大な地下室に取り残された国王ヴァルガルド4世は、荒い息を吐きながら玉座の肘掛けを強く握りしめた。もしこの失態が外部に漏れれば、長年均衡を保ってきた隣国ルメリア帝国がすぐさま攻めてくるのは確実だった。
「神よ……我が国を見放すというのか……」
国王の呟きは、誰にも届くことなく冷たい石壁に虚しく吸い込まれて行った。
その頃、彼らが喉から手が出るほど探している『勇者』当人はと言えば。
「ふぅー……マジで生き返るわ。相沢さん、本当にサンキュな」
新しく買った煙草を美味しそうに吸いながら、呑気に紫煙を吐き出していた。
「もう……吸殻はちゃんと携帯灰皿に捨ててくださいね」
「分かってるって」
その隣で、新調したスニーカーの履き心地を確かめるように川沿いを歩く澪。
勇者を奴隷にしようと必死で血眼になっている王国の存在など知る由もなく、二人はただ、元の世界へ帰る道を求めて穏やかに歩を進めていた。




