第30話:湯けむりの街
キャンピングカーの窓を開けた瞬間、硫黄の匂いが一気に風に乗って吹き込んできた。
長かった街道を抜けた先に広がっていたのは、あちこちから勢いよく白い湯煙が立ち上る、ユウノの街。
無数の湯気が街全体を優しく包み込み、通り沿いには色鮮やかな魔導具の灯籠が並んで、どこか温かく幻想的な雰囲気が漂っていた。
「湯けむりがすごい! 本当に温泉街だ……」
助手席で思わず身を乗り出すと、ハンドルを握る智矢もニヤッと笑った。
「おう。楽しみだな」
何軒か宿を当たってみたものの、どこも部屋にお風呂はなく、お湯に浸かるなら街の大きな温泉施設へ行くシステムらしい。
「部屋にお風呂がないなら、わざわざ宿取らなくてよもくないか?」
「ですね。お風呂だけ入って、夜は街の外でキャンピングカー出しましょうか」
方針が決まったところでキャンピングカーをストレージに収め、さっそく石畳の通りへ繰り出した。
ゆったりとした湯上がり用の衣を羽織った人々が行き交い、あちこちから心地よい賑わいが聞こえてくる。
大きな温泉施設の入り口をくぐると、案内をしていたおばちゃんが笑顔で声をかけてきた。
「いらっしゃい! お客さん、遠くからかい?」
「ええ、街道を越えてきまして。温泉入りに来ました」
「そうかい、よく来たねぇ! うちの湯は初めてかい? だったらまず、その台座に乗ってる水晶にちょっとだけ魔力を通しておくれ」
受付の脇に置かれた透明な水晶を指さされる。
「水晶ですか?」
「そうそう。ここに魔力を通すとね、その人の体調や属性に合わせて、一番効能がぴったりの湯を選んでくれるんだよ。まずはお兄さんからやってごらん」
「ん」
智矢が軽く指先で触れると、水晶が青く光った。
「お兄さんには体の奥までしっかりほぐれる、ちょっと熱めの『アクアリスの湯』だね。お姉さんもやってごらん」
言われるまま澪がそっと触れると、今度はやわらかなピンク色の光が灯った。
「お姉さんはお肌がつるつるになって疲れも吹き飛ぶ、とろみのある『エルフィアの湯』だね。ゆっくり温まっておいで!」
脱衣所の前で、智矢が持参したタオルをひょいと肩にかけた。
「じゃ、行ってくるわ。またあとでな」
「あ、はい。私も入ってきますね」
智矢を見送り、澪もタオルを手にして女湯の入り口へ向かった。
脱衣所で着替えを済ませ、期待に胸を膨らませながら足を踏み入れる。
岩に囲まれた広い露天風呂には白い湯気が煙り、じんわりとした温もりが漂っていた。
掛け湯をして、そろりと足を沈める。その瞬間、思わず「ふわぁ……」と声が漏れ出た。
お湯に浸かった瞬間から、肌触りがまるで違う。ほんのりとろみのある優しいお湯が肌にすーっと馴染み、長旅の疲れを一気に包み込んでいく。
(なにこれ……っ! キャンピングカーのお湯とはぜんぜん違う……! なでただけで肌がつるつるになってる……!?)
お湯から上がった腕を撫でてみると、指がすべり落ちるほどのつるつる感。
(はぁ〜……ずっと浸かってたいな〜……)
頭上には静かな夜空と、情緒漂う灯籠の明かり。冷たい夜風がお風呂の熱気を心地よく冷ましてくれる。
湯縁に腕を預け、手足をのびのびと伸ばす。体の奥まで温もりが広がって、全身の力が抜けていく。
すっかりお肌ぷるぷるでさっぱりした心地よさのまま、智矢と合流して街の外へと歩く。
夜風が火照った体に気持ちいい。ふと見上げると、石畳の通りの端を、キラキラと光る綺麗な蝶々がひらひらと舞っていた。青や金色の光を纏って飛ぶ姿に、思わず足を止める。
「……綺麗な蝶々。夜なのに光ってる……」
「ああ、アレか。温泉の成分に集まる蝶だな」
鑑定で調べたのか、智矢が教えてくれた。
「温泉の成分ですか?」
「ああ。湯気の成分や魔力を吸って光るらしい。害はねぇよ」
「へぇ……異世界って感じしますね」
幻想的な光景に一瞬見とれた、その直後だった。
ひらひらと舞っていた蝶の数羽が、こちらへと向きを変え、一直線に顔のすぐ近くまで飛んできた。
「ウソ!?こっち来る!?ウソ!?ひやあああっ!!!」
綺麗な光も何もかも吹き飛び、咄嗟に結界を張る。
パシパシと結界の表面に光る蝶がぶつかる音を聞きながら、内側で頭を抱えて身を縮こまらせた。
「害はないって言いましたけど、精神的に大損害ですー!!」
「そんだけ魔力撒き散らしてりゃ寄ってくるわ」
面白そうに口元をゆるめ、智矢は軽く手を振って追い払ってくれた。蝶たちが散り散りに去っていくのを確認し、恐る恐る結界を解いた。
周りに人がいないのを確認し、智矢がストレージからキャンピングカーを出した。
開いた扉へそそくさと駆け込み、バタンとドアを閉める。
「……はぁー、びっくりした……」
「無事に避難できて良かったな」
智矢はさっそく広いリビングスペースのソファに腰掛け、缶ビールを喉に流し込んでいた。
「かあー! やっぱ風呂上がりはこれだな!」
「ちょっと待ってくださいね、すぐ準備しますから!」
向かいのソファに座り、楽珍マーケットを手早に操作する。
ポコンと音がしてテーブルの上に現れたのは、炭火の焼き鳥や茹でたての枝豆、冷たいトマトにお刺身などがぎっしり詰まったレジ袋。自分用のチューハイも一緒に取り出す。
「よし、完璧! 昨日は焼肉邪魔されましたし、今日は豪華にいきましょう!」
「お、刺身まであんじゃん。よし!食おうか」
「ですね! いただきましょう!」
手元のおつまみをつまみながらお酒をあおる。
香ばしい焼き鳥をつまみ、刺身や出汁の効いた料理を二人で心ゆくまで堪能する。
「あー、最高ですね!」
「んー……マジで生き返るな」
やがてお腹も満たされ、すっかり落ち着いた頃、智矢は空になった缶をテーブルに置き、ソファの背もたれに深く体を預けた。
食後の静けさに、自然と気分がほぐれていく。
ふと智矢が視線だけをこちらへ向けた。
「なあ、澪」
「はい」
不意に呼ばれて顔を上げると、智矢とまっすぐ目が合った。




