第29話:焼肉とハイヨー
レリアの街を出てから丸一日。キャンピングカーは快適そのものの走りで順調に街道を進んでいた。次の目的地である温泉街ユウノまでは、もう目と鼻の先だ。
「このペースなら、明日にはユウノに着けそうだな」
「楽しみですね。温泉、久しぶりなんです」
助手席でのんびりと足を伸ばし、流れていく景色を眺める。隣でハンドルを握る智矢も、いつになくご機嫌な様子だった。
油断は禁物とはいえ、平和そのものだ。
風を入れようと窓を少し開けた、その時だった。遠くの街道から、風に乗って掠れた叫び声のようなものが届く。
「……ハイヨーッ! ハッ!――」
「……あ、なんか聞こえましたね」
「だな。なんなんだ?」
智矢がチラリとバックミラーを確認する。けれど、映っているのは誰もいない一本道だけだった。
「誰でしょうね。街道の旅人でしょうか」
「さあな。まあ、あんま気にすんな」
気のない返事だったが、智矢の横顔を見ると、その目元にはわずかに険しさが滲んでいた。
それから半日ほど走った頃。すっかり傾きかけた日差しのなか、再び同じ声が遠くから聞こえてきた。
「……ハイヨーッ! ハッ! ハッ!」
「あ、また聞こえました」
「……ほんとだな。しかも、さっきよりちょっと近くね?」
智矢が再びバックミラーを覗き込む。
遠くの街道に立ち上る土煙。その奥に、西日を浴びてギラギラと光る金属の群れが見えた。ガチャガチャと引きつったように鳴り響く鎧の音。馬を死ぬ気で飛ばしている集団のシルエットが、うっすらと見え隠れしている。
「なんか、金属音みたいなのも聞こえますけど……」
(……もしかして、レリアの街で見かけたあの集団……?)
物々しい雰囲気に澪が既視感を覚えていると、智矢は嫌そうに顔をしかめた。
「……見なかったことにしよう。絶対ろくなもんじゃねぇ」
智矢は静かにアクセルを踏み込んだ。ブォンとエンジン音が一段高くなり、キャンピングカーはぐんぐんと加速していく。そのままバックミラーに映る土煙をあっという間に引き離した。
「すごい勢いで離れていきますね」
「車と馬じゃ……な」
その日の夕方、街道から少し外れた開けた草原で、キャンピングカーが速度を落として止まった。
「よし、今日はここで野営するか」
「はーい! じゃあ早速、焼肉ですね」
車から降り、風が通り抜ける草の上にシートと折りたたみテーブルを広げる。澪が通販魔法で卓上焼肉グリルと食材を取り出すと、智矢が慣れた手つきでグリルをセットし、買ったばかりの高級カルビをプレートの上に並べ始めた。
じゅうじゅうと香ばしい音と一緒に、肉汁の弾ける匂いが広がる。脂が乗ったお肉を見ているだけで、口の中に唾が溜まっていく。
「うまそ……。おい澪、そろそろいいだろこれ」
トングを手にした智矢が、目を輝かせて身を乗り出している。
「そうですね、いい感じだと思いますよ!食べましょうか」
澪も手元の箸を取り、最高の焼き加減のカルビを見つめた。
「よし、食うぞ」
「いただきます」
二人がいざ極上の肉へ手を伸ばそうとした、まさにその瞬間だった。
「ハイヨーッ! ハッ! ハッ! 待てぇぇぇい!!」
「……凄い聞こえますね」
「今度は、はっきり聞こえるな」
ピタリと動きを止め、二人で声のした方へ視線をやる。草原の向こうから、凄まじい土煙を上げながら、真っ赤な顔をして馬の腹を蹴りまくっている男率いる大騎馬隊が、一直線にこちらへ向かって来ていた。先頭の男の後ろには、顔を歪めて必死にお尻を押さえている派手な服の男や、疲弊しきった騎士たちがズラリと続いている。
「見つ……けたぞ! ぜぇ……ぜぇ……追いついたぞ勇者ァ!!」
金髪を振り乱し、必死の形相で叫んでいるのは、見覚えのない豪華な鎧を着た男だ。男も、後ろに従う部隊も、乗っている馬すらも死にそうなほど息が上がっている。
「……あの人たち、馬でずっと追ってきたんですかね」
「やれやれ……ご苦労さんだな」
数十メートル手前で馬を止め、ワラワラと馬から転がり落ちる騎士たち。胃のあたりを押さえてうずくまる男やその周りのぐったりした人たちを、二人は冷ややかな視線で眺めていた。
すると、金髪男の後ろで馬から降りた派手な服の男が、ぎこちないガニ股で前へ躍り出てきた。額に汗をかきながら、大袈裟に両手を構えて呪文を唱え始める。
「――我、契約の地に眠りし大地の精霊たる導きに乞う! 天を駆け、地を穿ち、汝の縛鎖にて咎人の足を封じん! 禁忌の縛鎖よ、巡り巡る輪廻の果てに現世に顕現せよ! 彼の者の自由を奪い、漆黒の檻にて枷となりて——!!」
「……」
「……」
朗々と響き渡る詠唱。だが、それが一向に終わる気配がない。
延々と続くポエムのような長文の呪文に、澪は箸を持ったまま首をかしげた。
「……あの、何してるんですかね?」
「さあな。拘束魔法の類だろうけど……なげぇな。いつ終わんだよあれ」
「一応結界張っときますね」
二人が冷めた目で生温かく見守る中、男は大声でポエムを熱唱しながらじりじりと近づいてくる。
「おい! まだかアラン! まだなのかアラン!!」
「し、静かにしてください殿下! 今、精霊との深き対話を——風の囁きに耳を澄ませ、大地の吐息を束ね、いざ解き放たん! 静寂の領域に縛られし——」
あまりの必死さに呆気にとられていたが、グリルからジジッと嫌な音が弾けたのを聞いて、慌てて視線を網の上に戻した。香ばしかった匂いに、ふっと焦げた臭いが混ざり始めている。
「わ、カルビ焦げそう!」
澪がハッとして声を上げた瞬間だった。
「あーもう、うぜぇな!一番美味ぇ飯の真っ最中に集団でゾロゾロ来やがって! 何なんだあいつら、俺のカルビになにしてくれてんだマジで!!」
智矢がトングを閃かせて素早くお肉を皿へと救出し、卓上グリルごと全てをストレージへ一瞬で叩き込んだ。
「よし、一旦退散するか……」
「——解き放たれよ! 拘束の——って、ちょっと待ちなさいぃぃぃ!!」
ようやく詠唱のクライマックスを迎えた男を完全に無視し、智矢は澪の手を強い力で掴むと、すぐ横のキャンピングカーへ連れ込んだ。ドアをバタンと閉めエンジンをかけると同時に、アクセルをフルで踏み込み発進する。
「なっ……! 待て! 逃げる気か貴様ら! 私はレオンハルト・フォン・シャウエンブルク! 王国の——」
「私の詠唱がぁぁぁ!!最後まで聞くんだぁぁぁ !!」
「待てぇぇぇぇい!!!」
名乗りを上げるレオンハルトと、最後までポエムを聞かせたかったアランの絶叫が、遠ざかる排気音の中に虚しく消えていった。
「……必死こいて追いかけてきた結果が飯の邪魔とか、何がしたいんだ奴らは……ったくよ」
ハンドルを握りしめる智矢は、あからさまに苛立っていた。
「本当にそうですよ。せっかくの高級カルビだったのに……。でも、なんかすごく伝えたいことありそうでしたよね? 話したがってたというか……」
「あいつらの都合に合わせる義理ねぇだろ。話を聞くかどうかは、こっちのタイミングで決める」
「まぁ、確かにお腹空いてる今じゃないですね。気分を変えて、着いたら美味しいもの食べ直しましょう!」
智矢の呆れ顔に苦笑しながらも、澪は強く頷いた。
先ほど智矢は密かに『鑑定』で相手の情報を確認していた。あの集団のターゲットが、明確に自分へ絞り込まれていることは間違いなかった。
遠ざかる土煙の向こうで、今頃また地べたに崩れ落ちているであろう追手たち。
彼等は確実に、そして着実に、智矢の忍耐の限界を突破させようとしていた。




