第2話:勇者ってなんやねん
どれくらい歩いただろうか。
木々が鬱陶しく生い茂る森の中は薄暗く、見上げても巨大な葉が重なり合っていて空が見えない。時間の感覚はとうに狂い、疲労と空腹だけが確実に二人の体力を削り取っていた。
ぬかるむ足元にパンプスをとられながら、澪は力なく声を漏らした。
「はぁ……はぁ……お腹空きました……」
「……だな。打ち合わせの前のサンドイッチ、食っときゃよかったわ」
前を行く瀬尾が、スーツのジャケットを雑に肩に担ぎながらポツリと呟く。
規格外のステータスを持つ勇者とはいえ、空腹ばかりはどうにもならないらしい。
歩きながら、澪はふと思い出した疑問を口にした。
「……ねぇ、瀬尾さん」
「ん?」
「さっきのステータス画面なんですけど……ぶふっ。一体なんなんですか、勇者って」
「笑うな。俺の意志じゃねぇよ」
瀬尾はうっとうしそうに前髪を掻き上げ、心底嫌そうにフッと息を吐き出した。
「だって勇者ですよ? RPGじゃないんだから。そもそも勇者ってなんやねんって話ですよ。この世界で何をするポジションなんですか?」
「俺に聞くなよ。魔王でも倒せってか? 勘弁してほしいわ、そんな面倒くさい仕事」
「ですよね……。そもそも瀬尾さん、何か召喚されるような心当たりでもあったんですか? 怪しい壺買ったとか、何か契約書にサインしたとか」
「あるわけねぇだろ。普通に打ち合わせ前だったっつの」
「じゃあ理由も分からず異世界転移したってことですか。大迷惑ですね……」
「おい、言い方に含みを持たせるな」
瀬尾は振り返りもせずに片手をひらひらと振った。
「……それにしても、会社にいた頃とは別人で言葉遣いが……雑ですよね。あの、どこか頭でも打ちました?」
「打ってねぇよ。会社じゃあれが仕事用の顔だっつの。いちいち笑顔作って丁寧に喋るの、どんだけエネルギー使うと思ってんだ。こんな得体の知れない森の中でまで猫被ってられるかよ」
「見事に開き直りましたね……。入社以来の私の尊敬を返してほしいです!」
「なんとでも言え。君だって下僕とか暴言吐いてただろ」
言い合っているうちに、不気味だった森の圧迫感がほんの少しだけ和らぐ気がした。
「……ところで、ステータスにあったスキルってどうやって使うんでしょうね?」
「さあな。説明書も何にもねぇからさっぱり分からん」
「念じたら出たりしないんですか? 『いでよ聖剣!』みたいに」
「絶対言わねぇぞ、恥ずかしい。……まあ、試しに強く意識してみるか」
瀬尾は足を止め、右手を前に突き出してしばらく眉間にシワを寄せた。しかし、数秒経っても風ひとつ吹かず、何の光も現れない。
「……出ねぇな」
「気合が足りてないんじゃないですか?」
「声に出せってか? 無理だね。誰もいない森でもそんな痛いセリフ吐きたくねぇわ。だいたい、今は敵がいるわけでもねぇしな」
「……そうですか……。あ、私の『創造魔法』ってのはどうでしょうか。試すだけ試してみますね」
澪は立ち止まると、両手をぎゅっと握りしめて「バリア!」「美味しいごはん!」と心の中で強く念じてみた。何かが手から飛び出したり、目の前にバリアの壁が現れたりするイメージを必死に浮かべる。
……だが、やはり何も起きない。手の中にあるのは冷たい空気だけだった。
「……だめです。うんともすんとも言いません」
「まあ魔法なんて使ったことないから当然だろ。焦っても意味ねぇよ。必要になったら勝手に発動するだろ」
「そんなもんですかね……。まあ、変な爆発とか起きなくて良かったですけど」
スキルの使い方に二人で頭を悩ませつつも、今は無理に力を探るより体力を温存するのが先決だと二人は納得した。
「それより、少し耳澄ませてみろ。水の音がする」
瀬尾の言葉にハッとして注意深く耳を澄ますと、木々の奥から、かすかに水が跳ねるような音が聞こえてきた。
「本当だ……! 水の音です!」
「だろ。行くぞ」
音を頼りに枝をかき分け、ぬかるむ足元に気をつけながら進むと、開けた場所に小さく澄んだ川が現れた。木漏れ日を浴びてキラキラと輝く水面は、絶望的な二人にとって救いの光に見えた。
二人は引き寄せられるように川辺へ駆け寄り、膝をついて手で水をすくった。カラカラに乾いた喉には抗えず、冷たい水を一気に飲み干す。
「ふぅ……っ! 生きた心地がする……」
「……あー、生き返ったわ」
冷たい水が喉を通り、空っぽの胃に染み渡っていく。顔を洗うと、泥と汗で汚れていた肌がすっきりとして、少しだけ心地よい冷たさが残った。
しかし、喉が潤ったことで、今度は激しい空腹感が主張を強めてくる。川底を覗き込んでも、素手で捕まえられそうな魚の姿は見当たらない。
結局、その日は川の近くで夜を迎えることになった。




