希望の光
ワストークが去った牢屋で、ガキンガキンという金属のぶつかり合う音が響き渡る。
「やぁ!」
両腕を大きく振り上げ、思いっきり鉄格子に向かって振り下ろす。
振り下ろされた腕は鉄格子に激突――ということはなく、その一歩手前で手首に嵌まった枷が代わりにぶつかり、鈍い音をたてる。
あの後、恵菜は必死にここから脱出するための方法を模索した。大声で助けを呼んでみたり、秘密の抜け穴みたいなものがないか探してみたりと、考え得る様々な方法を試してみた。
しかし、残念なことにどれも上手くいかなかった。恵菜の声に応える者はおらず、牢屋の中に隠し通路なんてものも存在しなかった。
だが、そんな事をしているうちに一つだけ上手くいきそうな方法を思い付いたのだ。それが今やっていること――すなわち、手枷と鉄格子をぶつけてどちらかを壊すという方法だ。
恵菜がここから出る事ができない一番の原因は、自らの手首に嵌められた魔術師の天敵ともいえる魔道具である。これさえ無くなれば魔法を使えるようになり、高威力の魔法で牢屋を壊すこともできる。物を壊すことに躊躇いはあるが、そんなことを言っていられる状況ではない。
問題はどうやって手枷を壊すかだった。元がかなり強固な物であるためか、恵菜が力を入れて思いっきり引っ張る程度ではビクともしなかった。
何か別のものを使って壊す必要がある。牢屋の中に使えそうなものは何もなかったが、幸いなことに牢屋には罪人を逃さないための頑丈な鉄格子が存在する。
鉄格子が壊れるか手枷が壊れるか。結果的にどちらが起きるのかは分からないが、どちらが起きてもここから脱出できる。そう考えた恵菜は先程からずっと、こうして手首の枷と鉄格子をぶつけ合っていた。
しかし、物事はそう簡単に進まない。
「やぁ! 痛っ……!」
突如、手首に鋭い痛み感じて手首を庇う恵菜。
直接激突はしなくとも、間接的にそれなりの衝撃が伝わってくる。毎回その衝撃を同じ箇所に受けていれば、いずれそこに異常を来すことは目に見えて明らかだ。
身体を強化する。治癒魔法を使う。それができればまだ普通に続けられただろうが、今はどちらも使えない。これ以上続ければ、さらに怪我が酷くなるのは避けられない。
「こんな痛みなんて……どうってことない」
それでも、恵菜は止めようとしなかった。
あの時の痛みや苦しみに比べれば、これぐらい屁でもない。そう自分を叱咤し、鉄格子に枷をぶつけ続ける。
だが、いくらそうしても鉄格子と手枷に壊れる気配はない。逆に恵菜の体が傷ついていくだけだった。
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「はぁ……はぁ……」
肩を上下させながら呼吸する恵菜。疲労で倒れてしまいそうになりながらも、体を壁に寄りかからせることで防いでいる。
そうしてしばらく休んでいたが、ある程度すると傾かせていた上体を起こす。少しふらつきながら鉄格子の前まで歩いていき、両手を振り下ろす。
休んではぶつけ、休んではぶつけ、それを何度も繰り返す。
自分でも醜いことをしている事は分かっている。諦めれば楽になることも分かっている。
だが、まだこの世界でやりたいことがたくさんある。元の世界では叶えられなかった夢を叶えるまでは死ねない。その一心で恵菜は体を動かしていた。
しかし、ついにそれにも限界が訪れる。
両手を振り下ろそうとした直前、ふらつく体を支えきれずに狙いが逸れる。その結果、恵菜は思いっきり自分の腕を鉄格子に打ちつけてしまった。
「うあぁ!」
今まで以上の激痛に、恵菜が苦悶の声を上げる。そのまま両手を体の内側に抱え、両膝を折って座りこんでしまった。
痛みを堪えようと瞑っていた目を開け、自分の腕の状態を確認する。ぶつけた箇所は赤く腫れ上がり、手首から先は痛みだけでなく痺れを伴っていた。
「くっ……あぐぅっ……」
そんな重傷にもかかわらず、恵菜は再び立ち上がろうとする。だが、ほんの少し床に手をついた瞬間、腕全体をとてつもない激痛が走りぬける。これではもう満足に腕を振り下ろせない。
「まだ……まだ、何か方法が……」
尚も諦めずに、恵菜は別の方法がないか考えるために必死に頭を回そうとする。だが、頭の中の大半は後悔の念で占められていた。
時間があとどれくらい残っているのかは分からない。だが、決して多くないことは確か。そう意識して焦るあまり、恵菜は正常な思考を失った。
それだけではない。身勝手な理由でここに閉じ込めたあの魔術師――ワストークに諦めないと言い切ってしまった。もし失敗して再び彼が前に現れるようなことがあれば、絶対に自分を笑って罵るだろう。
その姿だけは絶対に見たくない。悔しさと怒りが入り混じったその感情は、恵菜に無謀な行動を取らせた。
その結果、今までの時間を無駄にしたという結果だけが残った。貴重な時間を浪費し、脱出の可能性を自ら低くしてしまった。
それを認識した瞬間、恵菜は希望の光が徐々に消えていくのを感じた。
(まさか、私に自棄を起こさせるのが狙いだった……?)
いくら何でも考えすぎである。しかし、どうしてもそう思えてならない。
あの憎き魔術師の手の上で踊らされていた。そう考えると、ますます悔しさが込み上げてくる。
「ぁ……うっ……ひぐっ……」
それと同時に、恵菜の感情が溢れ出す。口から嗚咽が漏れ、目から流れる涙が床に落ちる。
タイムリミットを意識しすぎて焦ったから。身勝手な理由で自分をここに閉じ込めたあの魔術師の思い通りにしたくなかったから。そういった心情が複雑に絡み合い、自棄ともとれる無謀な行動を起こさせる思考へと陥ってしまった。
どうしてもっと考えて行動しなかったのか。もうここから生きて出る事はできないのか。
諦めたくはない。だが、もう諦めるしかない窮地に立たされている。
様々な感情が混じり合った恵菜の心は、もうコントロールが利かなくなっていた。
「誰か……助けて……」
誰かに縋ろうと小さく声を絞り出す。だが、ここには誰もいない。
助けを求める声は空しく霧散していく。そのはずだった。
――泣イテルノ? エナ――
「え……?」
何者かの声を捉えた恵菜が顔を上げる。
どこから聞こえてきたのかまでは分からない。だが、ハッキリと聞こえた。
「誰……? どこかに誰かいるの……?」
誰かが近くにいる。そう信じて恵菜が辺りを見渡すが、どこにも姿は見えない。
――名前、呼ンデ。ソウシタラ、出テイケル、カラ――
再び聞こえてきた声。それの主が誰なのか分かった瞬間、恵菜の目が大きく見開かれた。
「まさか…………水華?」
夢や幻聴じゃありませんように。そう願いながら恵菜が不安そうにその名前を口にする。
そして、その想いは届く。
「……ぁ、みず、か……」
スーッと自らの足元から現れてきたその姿を見て、恵菜が涙を流す。だが、それは先程までの悲しい涙とは違った。
『エナ、ドウシテ、泣クノ?』
「ごめん……ただ、水華が出てきてくれたのが、嬉しくて……」
『ミズカ、呼バレレバ、出テクル。ソレガ、契約、ダカラ』
「でも、ここには水なんて――」
呼びだすには水が必要。水華自身がそう説明したのだ。この牢屋の中には水など一滴もなく、それ故に恵菜も水華を呼びだすことを早々に諦めていた。
『ソレ』
水華が恵菜の顔――正確には目元を指差す。一瞬何の事を言っているのか分からなかったが、目元に手を持っていってやっと理解する。
「まさか、私の涙で?」
『ウン』
涙は大量の水分を含んでいる。どこかでそう聞いたことはあるが、まさかこれで水華を呼びだせるようになるとは思いもしなかった。
『手、ドウシタノ?』
「……実はね――」
水華が恵菜の手首に嵌められた枷を見つめながら問いかける。恵菜は何があったのか、どうして自分がここにいるのかを説明し始めた。
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『ソレハ、大変、ダッタネ』
恵菜から一通りの説明を聞いた水華が同情の眼差しを向ける。
一方で、自分の辛さを吐きだすことが出来た恵菜は、若干心に余裕が出てきていた。
「大変だったし、今もかなり状況は危ないの。ここから早く逃げなきゃいけないんだけど、水華ってこの枷、外せる?」
『ウン』
期待を込めて尋ねた恵菜の言葉に水華が頷く。ここで無理だと言われたらどうしようもなかっただけに、その迷いのない肯定はとてつもなく嬉しかった。
「それじゃあ、お願いできるかな」
『分カッタ』
水華がスッと手を上から下へ移動させる。
直後、細い水の糸が何本も現れ、頑丈なはずの手枷を切り刻んだ。
水華が持っていた予想外の力に驚く恵菜。さっきまで手枷だったものが、今の一瞬でバラバラになってしまっていた。
「……水華って凄いんだね。ありがとう」
『本気ナラ、モット、凄イヨ?』
「あ~、それはまた今度見せてもらおうかなぁ……」
今のでどれくらいの実力だったのかは分からないが、少なくともこんな場所で本気を出されると命が危ないのは間違いない。水華のことだから巻き込まないようにしてくれるとは思うが、折角助かりそうな命をドブに投げ捨てたくはない。
『手、ヒドイネ』
水華の言葉に、恵菜が自分の手を確認する。
手枷で見えなかった手首は青あざだらけで、見ているだけで痛々しい。こんなことになっていながら、よく腕を振り下ろし続けられたものだ。いや、むしろ見えていなかったからこそ、痛みを無視して無茶できたのかもしれない。
「少し無茶したからね。『ハイヒール』」
腕と手を治すために、恵菜が魔法を唱える。魔法は問題なく発動し、光に包まれた恵菜の手から痛みと痺れが消えてく。
一度では治しきれないため、何度か治癒魔法を繰り返す。それが終わると、恵菜の手は牢屋に入れられる前と同じ状態へと戻っていた。
「――よし。これなら大丈夫かな」
グーとパーを繰り返し、腕を軽く回して自分の状態を確認。何の問題も無い事が分かると、恵菜は脱出のために鉄格子の扉へと向かう。
当然のことながら、鉄格子の扉には向こう側から錠で鍵が掛けられている。鉄格子の隙間から手を伸ばせば届く位置にあるが、さっきまでは手枷がつっかえてそれができなかった。
(どうやって脱出するかだけど、できるだけ静かに逃げた方が良いよね)
さっきまで手枷を鉄格子にガンガンぶつけていたことも忘れて、そんな事を考え始める恵菜。だが、外にいる者を驚かせるぐらいの爆音を響かせるより、あまり大きな音をたてないようにした方が良いのは確かだ。
「ねえ、水華にもう一つお願いしたいんだけど、これも壊してくれる?」
手枷をバラバラにした時のように錠を壊せればあまり音は出ないのではないか。そう考えた恵菜が、それを指差しながら再び水華に頼む。
『オ安イ、御用』
水華が手を振ると、先程と同じ様に水の糸が大量に出現して切り刻む。
――錠だけでなく、扉もろとも。
「…………」
予想とは違う結果に恵菜が唖然とする。指差したのは錠であって扉ではなかったのだが、どうやら水華は少し勘違いしてしまったようだ。
『ヤッタ、ヨ?』
「う、うん、ありがと……」
首を傾げる水華に対して、恵菜が少し引き攣った顔でお礼を言う。望んでいた結果とは違うが、脱出ができるようになったことに変わりはない。破壊音もほとんどでていないのだから、これ以上何かを望む必要もないだろう。
「良かった。お金も冒険者カードもある」
恵菜が牢屋の外に置かれていた自分の荷物を確認し、大事な物がなくなっていない事が分かってホッとする。収納袋に入れていた物を全て覚えているわけではないので、もしかすると何かなくなっている物があるかもしれないが、思い出せないような物を探している余裕はない。
「んー……」
『逃ゲ、ナイノ?』
「いや、逃げるよ。逃げるんだけど、そこから出て行ったら誰かいると思うの」
ここが牢屋であるということは、必ずどこかに見張りがいる。この場にいないとくれば、一つだけしかない出入口の向こう側にいる可能性が高い。そうなると、どこか別の場所から逃げるしかない。
「……まあ、ここからしかないかなぁ」
恵菜の視線の先にある壁には、牢と同じく鉄格子で塞がれた窓。恵菜が入っていた牢からは絶妙に見えない位置にあったため、気づいたのは牢を出たついさっきだ。
少し高い位置にある窓は大人が通り抜けるには難しそうな大きさだ。しかし、女の子である恵菜ならばまだギリギリ通れそうだった。
三度目となる水華の力を借りて鉄格子を取っ払った恵菜は、浮遊魔法で浮き上がる。そのまま窓の正面まで来ると、少し躊躇いながらも頭から窓に突っ込む。
「う~、何でこんなことしてるんだろう」
少しずつ体を前へと進ませながら、恵菜がそんな事を呟く。
恵菜はこの世界で元の世界ではできないような貴重な体験をしたいと思っていた。だが、流石に脱獄をする羽目になるとは思っていなかった。もっとも、確かに元の世界では絶対にできない(むしろやらない)ことではあるのだが。
「うわ、高っ……」
上半身を窓から出すことに成功した恵菜が下を見る。まだ外は暗いため少し分かりづらいが、かなり離れた位置に地面が見えた。
これ程高い場所となると、窓から脱出するというのはかなり困難だろう。それが理由で見張りもこの中にいなかったのかもしれない。
だが、それが正しいのは人が空を飛べないという前提が成り立っていた場合だ。
その身を脱出させることができた恵菜が、窓から飛び出すと同時に、オリジナルの飛行魔法を発動する。これでどこまでも逃げられる。
一度は諦める一歩手前まで行った。そんな状況からの大逆転だった。
『ヤッタネ』
「うん。だけど、ここにいると誰かに見つかっちゃうから、どこか別の場所に移動しないとね」
今は気づいていないだろうが、恵菜がいなくなっていることは、いずれワストークにバレる。そうなる前に、どこか見つからない場所へ逃げておかなければならない。
恵菜は水華と共に、雲に覆われて一つの星も見えない空の下を飛んでいった。
これが友達(大精霊)の力。




