絶望の中で
「……う、ううん……」
気を失っていた恵菜が目を覚ます。どうやらどこかに倒れていたらしく、服越しに伝わってくる感覚はゴツゴツと固くて冷たかった。
「ここは……?」
恵菜が体を起こして周囲を見渡す。
そこは周りを石の壁に囲まれ、唯一違う一面も鉄格子によって塞がれた部屋――紛れもない牢屋だった。気を失っている間にここへ連れてこられたのだろう。
「そうだ、私、確か捕まって……」
自分の置かれている状況を前に、恵菜が気を失う前のことを思い出す。捕まってなるものかと抵抗していたときに、突然後ろから殴られた。
冤罪を着せられて、殴られて、牢屋に入れられる。何も悪い事をしていないのに、これ程までに酷い仕打ちを受けたと思うと泣きそうになってくる。
「とにかく、ここから出ないと」
このままここにいても良い事は起きない。それどころか、さらに事態が悪化する可能性の方が大きい。
一瞬、恵菜の頭に「脱獄」という悪事の二文字が浮かび上がるが、そもそも何も悪い事をしていないのに牢屋にいる方がおかしいのだ。これは脱出であって脱獄ではない。そう自分に言い聞かせ、恵菜は早速どう抜け出そうか考え始める。
「あ、あれ? 収納袋が……」
今持っている荷物を確認しようとして、いつも首からぶら下げていた収納袋がないことに気付く。
一体どこへいったのか。もう一度周りを見渡してみると、牢屋の向こう側にある机の上に置かれているのが見えた。
「あんなところに……」
距離だけで言えば数メートル。しかし、その間にある鉄格子がとてつもなく高い壁となって恵菜を阻んでいる。
魔法が使えれば近くまで引き寄せられるかもしれないが、恵菜の両手には未だに魔力を封じる忌々しい手枷が嵌められたままだ。
「そうだよね、荷物は取り上げられちゃうよね……」
ガックリと項垂れる恵菜。しかし、服を取り上げられていないのは不幸中の幸いだ。そんなことになっていれば、色々と大事な物を失っていただろう。
(でも、よくよく考えてみれば、収納袋に何か役に立ちそうなものあったっけ?)
恵菜の脳裏に浮かびあがってくるのは食材やお金、そして石鹸と、基本的に生活に必要な物ばかり。牢屋からの脱出に役立ちそうなものは何一つ無い。有れど無かれど、結局役に立つことはなかったと思われる。
もはや自分一人の力でどうにかするしかない。恵菜が再び脱出の方法を考えようとした、その時だった。
「おやおや。どうやら気づかれたみたいですね」
鉄格子の向こうにある扉が開き、誰かが入ってくる。
その人物は、恵菜が気を失う前に見た男だった。
「あなたは……!」
「そういえば、確か自己紹介がまだでしたね。私はワストーク。フリフォニア王国の第四魔術師団の団長をしています」
宮廷魔術師、それも団長。思った以上に偉い人物だったことに、一瞬だけ恵菜が呆気にとられる。だが、すぐに自分がしなければいけないことがあると気付き、鉄格子の向こう側に向けて叫ぶ。
「あの! 私は誘拐なんてしてません! 何かの間違いなんです! 信じてください!」
この場ではそれを信じてもらえないかもしれない。しかし、自分の必死さが伝わるだけでもいいのだ。本当はやっていないのではないかと思ってくれさえすれば、この誤解を解く切っ掛けになり得る。
可能性の低い賭け。それでも恵菜は鉄格子を力一杯握りしめ、必死に自分は無実だと伝えようとした。
「ええ、分かっていますよ。君が誘拐犯でないどころか、そもそも誘拐など起きていないことも」
「え?」
“分かった”ではなく“分かっていた”――それはワストークがここに来る前から、恵菜が本当に何もしていないと知っていた事を示していた。
気を失っている間に細かな捜査が進み、恵菜が無実だと分かったのか。それとも、誰かがそれを証明してくれたのか。いずれにせよ、もうここにいる理由がなくなったのだけは確かだった。
「わ、分かってくれたんですね。それならここから――」
「ですが、君がそこから出る事はない」
しかし、恵菜の期待はあっさりと裏切られた。
「ど、どうしてですか!?」
罪人じゃないと分かったのに、未だにここから出られない。その理不尽さを前に、恵菜が戸惑いの声を上げる。
だが、逆にそれを見ていたワストークは不気味に笑う。
「くっくっく……何で? そんなものは決まっている。私の計画の邪魔だからだ。シモヅキ=エナ」
先程までとは違う雰囲気。しかも言葉遣いまでも変わっている。
「計画の、邪魔? 私は誰かの邪魔なんて……」
「していないとでも言うつもりか? だが、既に君は私の邪魔をしているのだ」
「い、言い掛かりです! 私はあなたに会った事がないんですよ!?」
「人の邪魔というのはな、別に直接その本人に何かをせずともできるのだよ。性能を試すために用意した実験を台無しにされたり、他の者に頼んでおいた依頼を妨害したり、とな」
声を荒げて否定する恵菜。だが、逆にワストークも恵菜の言葉を否定する。
「全く……君が邪魔をしたせいで、私がどれだけ後始末に苦労したと思っている。特に後者だ。盗賊崩れの連中を街に入れるのは中々厳しかったというのに、君のせいで失敗した彼らを消す羽目になってしまったよ」
「い、一体何を言って……?」
ワストークが言っている邪魔という言葉には、本当に身に覚えがない。仮にどこかで気づかぬうちに邪魔をしていたとしても、ここに囚われる程の理由になるのか。その理由を使わず、王女を誘拐したという架空の理由で捕まえたのは何故なのか。
頭の中を様々な疑問が飛び交っている。恵菜はもはや何が何だか分からなくなっていた。
「ふっ、分からないか。元から自覚がないようだから無理もないか……まぁ、君が今までに邪魔してきたものは別にいい。だが、次の計画は失敗するわけにはいかない。君という不安要素にいてもらっては困るんだよ。だからこそ、君にはこの世から消えてもらう」
「なっ……!?」
この世から消える。その言葉が意味するのはもはや死以外あり得ない。
「本当は今すぐにでも殺したいところなのだが――」
「っ!」
「おっと、そう身構えなくても、私が今ここで君を殺すことはない。この前の連中と違って、君をいなかった事にするのは難しい。だからこそ、いっそのこと正規の手続きに則って殺すことにした」
「正規の手続き……まさか」
殺すことを正当化する方法に、恵菜は心当たりがあった。なぜなら、それは日本でも採用されていたものだったからだ。
「察しがついたか? そうだ。君は王女を誘拐した大罪人で、その罪は死を持って償われることになっている」
何らかの罪を犯した人間に与えられる最大の罰、死刑。テレビの向こう側だけの話だったそれが、恵菜に付きつけられた。
それも、でっちあげられた罪によって――
「そんな自分勝手な理由で死刑なんて……許されるわけない!」
「許されるわけない? 君はそう思うかもしれないが、残念ながら許されてしまうんだ。私ぐらいの権力があれば、一般人一人処刑するぐらいは簡単にできる。架空の物語も付け加えれば、誰も疑いはしないだろうさ」
「そんな嘘なんて、エリスちゃんが誰かに本当の事を話せば……」
「それも問題ない。君が死ぬのは明日の朝で、少なくともそれまでは王女の耳にこの事実が伝わらないようになっている」
エリスが処刑前に事実を知り、誰か権力のある者に事実を話してくれさえすればまだ助かる可能性はある。
しかし、ワストークは恵菜が処刑されるのは明日の朝だと言った。どれくらい気絶していたのかは分からないが、城にきた時点で夕方だったのだ。残された時間は決して多くはないだろう。
しかも、ワストークの口振りからして、エリスに現状が伝わらない様に対策している事はほぼ間違いない。どう考えてもエリスのおかげで助かる可能性より、手遅れになる可能性の方が圧倒的に高かった。
詰みとまではいかない。だが、ほぼ詰みと言っていい。そんな状況を認識させられた恵菜が項垂れる。
「クックック……ハーッハッハ! いやはや素晴らしい気分だ! こうして邪魔をしてきた生意気な小娘に裁きを与えらて、私の今までのうっ憤も晴らすことができたよ!」
目の前の少女の希望的観測を全て打ち砕くことができた。そう悟ったワストークが声高らかに笑う。
「さて……全ての希望が絶たれ、もはや死を待つしかない状況に追い込まれた気分はどうだ? 怖いか? 恐ろしいか? それとも……」
ワストークが表情を隠している恵菜の顔を覗き込もうと、鉄格子に顔を近づける。さぞ絶望的な表情をしているに違いない。そう確信した笑みを浮かべて。
「……諦めない」
「は?」
「私は諦めない。このまま何もせず死を待つなんて真似は絶対にしない」
だが、顔を上げた恵菜の目から光は失われておらず、表情のどこにも絶望の色は見当たらなかった。鉄格子の向こう側から睨みつけてくる少女の姿に、ワストークの笑みが消える。
「……これは驚いた。諦めて崩れ落ちるのかと思ったのだがな。可能性など残っていないというのに」
「そんなのは分からない。あなたがそう思っているだけで、少しの可能性があるかもしれない。可能性が少しでもあるなら、まだ諦めるには早すぎる。それに、あなたには負けたくないし、思い通りにもさせたくない。だから、私は抗ってみせる」
力強く、そしてはっきりとそう宣言する恵菜。
ワストークが言っていたように、本当は絶望で押しつぶされそうになった。考え付いた方法は全て無意味で、何をしても無駄だと思いそうになった。
だが、諦めれば本当に死んでしまう。少なくとも、助かろうとしなければ助からない。
(あの時もそうだったから)
原因不明だから治らないだろうなどと思わず、医者から提案される全ての治療法を受け入れ続けた。どんなに辛く痛い思いをしても、死を受け入れずに抗った。
それ自体は特に何も意味をなさなかったかもしれない。だが、そういった心のあり様が自分をずっと支えてきたのだと、恵菜は信じていた。
「ふっ、強がりを。勝手にその無駄な可能性を信じていればいいさ」
期待外れな結果に、憎々しい表情を見せるワストーク。ここにいる意味も無くなったのか、自分が入ってきた扉の方へと踵を返す。
「せいぜい残された時間を楽しんでくれ、お邪魔虫君」
そう言い残し、ワストークは扉の奥へと消えていった。
零じゃないなら諦めない。




