役目を果たす
「ど、どうにかなったぁ~……」
視界の先からグライザードの姿が消えてしばらく経った後、恵菜はその場にへたり込んだ。
開戦まで秒読み状態だった危機的状況。そこから一人の死者も出さずにサンドルク帝国軍を全て撤退させ、フリフォニア王国との開戦を阻止する。
困難に思われたそのミッションを達成して緊張の糸が切れたのだろう。
「グライザード陛下には正体がバレちゃったけど、まあ問題は無いよね」
当初、恵菜は正体を隠しきるつもりだった。
だが、グライザードが戦うのを止めようとしなかったことから、恵菜はこのままでは彼が死ぬまで戦い続けると悟り、方針変更を余儀なくされる。どうすれば良いか考えた結果、彼女は武闘会の権利を使ってグライザードに撤退を促すことを思いついた。
そのためにはグライザード以外の者にバレないようにしつつ、彼にだけ自らの正体を明かす必要があった。どこに戦争を引き起こそうと考えている者の魔の手が潜んでいるか分からない以上、正体を知る者の数は最小限の方がリスクを避けられるためである。
難しそうに思えるが、恵菜の力ならグライザードと一対一で話せる状況を作ることは比較的簡単だった。
結果、想定していた道のりではなかったものの、目的自体は果たすことができた。恵菜自身の自己評価もほぼ満点である。
「こっちは終わったけど、シャルテとフルンの方はどうなってるかな」
開戦は回避した。あと気になるのは、フリフォニア王国軍側の状況だ。
シャルテとフルンには、サンドルク帝国軍を撤退させるまでの間、フリフォニア王国軍が進軍しないよう抑えてもらうように頼んである。
できれば死者を出さない様にも言ってあるが、自分ほど強い意志は持っては貰えないだろう。特にシャルテは人間を嫌っている節があるので、ちょっとした苛立ちから兵士を殺してしまうかもしれない。
グライザードと相対している間は気にする余裕が無かったが、今の恵菜の頭にはそんな不安が過っていた。
「早く確認しないと」
恵菜は立ち上がって氷壁を見上げる。
あちこち見渡して足場が確保できそうな場所を見つけると、そこへ向かってジャンプした。
それを繰り返しながら氷壁を上っていき、ついに向こう側が見える所まで来て、ゆっくりと顔を出す。
まず恵菜が視界に捉えたのは、遠くで大きく横に展開しているフリフォニア軍の兵士達だ。上空でシャルテの背から見た時と同じく、サンドルク帝国軍の侵攻に備えて、山道を囲い込むような陣形を取っている
続いて恵菜が見たのは、手前にいたシャルテとフルンの姿……加えて、その近くで戦う少数の人影だった。
目を凝らして見てみれば、その五人全員が恵菜の見知った顔――ステン、ケインス、リアナ、ガンザ、クレリアといった、共にサンドルク帝国へ行っていたメンバーだった。
その五人が二と三に分かれ、ステンとケインスがシャルテと、それ以外の三人がフルンと戦っている。
(どうして五人だけで戦って……あ、もしかして被害を抑えるために?)
フリフォニア王国軍は、サンドルク帝国軍が撤退している事を知らない。
氷壁で阻まれてはいるが、いつ氷壁の向こう側から攻めてくるか分からない以上、そちらにも備える必要がある。
しかし、目の前の強敵を放置するわけにもいかないため、あの五人だけで対処することにしたのだろう。
現に、フリフォニア王国軍は遠く離れた位置から五人と二頭の戦いを見守っているだけだ。時折、治癒魔法と思われる魔法の輝きが五人の方へ飛んでいくだけで、攻撃をしようとはしていない。
(五人だけだと厳しそうだけど、シャルテもフルンも手加減しているから何とかなっているのかな?)
以前、あの五人に恵菜を加えた六人でシャルテと戦って善戦できたぐらいだ。
いくら軍全体の消耗を避けるためとはいえ、五人であの二頭の相手は厳しすぎる。
それでも今の今まで抑えられているのは、恵菜の頼みをあの二頭がしっかり守っているからだろう。
しっかりと約束も守ってくれているようで、恵菜は感心しようとした。
『ええい! あの人間はまだ終わらんのか!』
と、その時、シャルテが吠えた。
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「な、なんだ? 急に咆哮が……」
「ガンザ! 集中して!」
シャルテの咆哮に気を取られかけたガンザを叱咤する。
直後、ガンザのその隙を突く様にフルンが跳びかかった。
「うおっ! 危ねえ!」
迫り来る爪を左手の手甲で受け止め、カウンターで右手の手甲をフルンへ叩きこもうとする。
が、フルンはすぐにその場から飛び退ってそれを躱し、拳は空を切った。
「くっそ~、全然当たらねえ」
「ちょっと、ガンザ! 集中切らさないでよ! 前衛のアンタが倒れたら私達が危なくなるんだから!」
ガンザの後方から怒りの声と共に炎の槍が飛び、フルンの回避地点目掛けて着弾する。
着弾と同時に爆発が起こり、煙でフルンの姿が見えなくなったが、煙が晴れた後には無傷のフルンの姿があった。
「おいおいおいおい! 効いてねえんですけど、リアナさん!?」
「うっさいわよ! もっと強い魔法当ててほしいならアンタがあいつの動き止めなさいよ!」
「二人とも! 喧嘩をしている余裕なんかありませんよ!」
言い争いながら戦うリアナとガンザ。そして、それを宥めようとするクレリア。
そんなギャーギャーと騒ぐ三人の様子を見て、フルンは呆れたように眺めていた。
『……何を言っているかは分からんが、攻める必要が無い時間を作ってくれるのは楽で良いな』
恵菜からの頼みは足止めである。
勝手に相手が足を止めてくれるのであれば、何をしなくても済むので願ったり叶ったりだ。
『それより、問題はあっちだな』
フルンが視線を目の前の三人組から、離れた位置で戦うシャルテと剣士二人の方へ向ける。
「俺が受ける! ケインスが攻撃しろ!」
「分かった」
短いやり取りで意思の疎通を済ませるステンとケインス。
その作戦通り、シャルテが薙ぎ払う様に振るってきた腕をステンが剣で受け止めると、ケインスが動きの止まった腕の鱗の隙間を目掛けて剣を突き入れる。
その痛みにシャルテは吠えながら、腕を引っ込めて一歩下がった。
『くっ、いつまでこの人間共の相手をすればよいのだ! 面倒この上ないわ!』
先程の咆哮で薄々察してはいたが、シャルテは不満が爆発していた。
ステンとケインスは連携がしっかり取れており、シャルテの方が押されている様に見える。
それがシャルテにとっては気に食わないのだろう。手加減をしているのだから仕方ないのだが、人間相手に優位に立てていない状況が不満を募らせる原因となっているようだ。
そして、その不満もいよいよ限界らしい。
『……もう良い』
静かに、それでいて怒りに満ちた声で呟くと、シャルテは翼を広げる。
『おい、シャルテ。何をするつもりだ?』
『この一帯を我がブレスで覆いつくす。そうすれば役目も終わりだ』
役目というのは、恵菜から頼まれた足止めのことだろう。
確かにそれは達成しうるかもしれないが……。
『貴様、殺すなと言われたはずだが』
『知らん。我は足止めのつもりでやるだけだ。それで死んだのなら人間が弱いのが悪い』
もはや自分が何を言ってもシャルテは聞かないだろう。
そう察したフルンはせめて攻撃に巻き込まれまいと、氷壁の上へと退避しようとする。
『む』
と、そこでフルンは氷壁の上にいる存在に気づいた。
『……シャルテ、そこまでにしておけ』
『うるさい。我はやると決め――』
『止めないと後が怖いぞ』
その言葉に反応を示そうとした……その時、シャルテは自分の真横を何かが通り過ぎるのを感じ取る。
次の瞬間、シャルテが立っているすぐ傍の地面が轟音と共に大きく抉り取られた。
その跡は巨大な刃が衝突したかのような形をしており、シャルテの片翼ぐらいの長さがある。しかし、その場には跡を付けたものが何も残っていなかった。
見えない何かによって付けられた地面の傷跡。直前に感じた空気の流れ。
それらからシャルテは、今の現象は空気の刃によって引き起こされたものだと推測する。
そして、それが飛んできたであろう方向……後ろに聳え立つ氷壁の上を見上げた。
『化け物がお怒りだ』
フルンの言葉以上に、状況を端的且つ正確に説明できる言葉は無いだろう。
シャルテの視線の先にいたのは、こちらを見下ろしながら殺気に近い気配を放つ、甲冑姿の化け物だった。
化け物公認の化け物




