有害な種族
こんなに恐怖を抱いたのは、いつ以来だろう。
近しい感覚を感じたのは、リルシャート王国でケルベロスと戦った時。プレッシャーで体が重くなった。体の内側から来る寒気で体の震えが止まらなかった。泣いてその場から逃げ出したくなった。
人生で感じたことのなかった恐怖だった。もう二度と、あの恐怖に直面するような経験はしたくない。
そう思っていたのに、あの時と同じ……いや、それ以上の恐怖が今、私を包み込んでいる。目の前の存在から目を離せず、足も竦んで動かない。
人間とドラゴン。この世界に生きる同じ命であるはずなのに、生物としての格が違うと本能で悟れる。私一人でどうにかなる相手じゃないと、戦う前から分かってしまう。
こうなった時点で絶体絶命。普通ならそう考えてしまうだろう。
でも、不思議と落ち着いていられた。あの時と違って、この相手には私の武器が通じる可能性があるから。
「待って! 襲う前に、話をさせてほしいの!」
言語は同じはず。お願い、通じて……。
『……話だと?』
「! そう、私とあなたの二人で!」
言葉が届いた。未だにドラゴンは私に対して殺意を向けてくるけど、問答無用で襲い掛かってくる様子は無い。
『死を前にしながら、我と対話を試みる人間がいるとはな。最期に何か言葉を残したいとでも?』
「違う! 遺言なんかじゃなくて、あなたに聞きたいことがあるの!」
『今から死にゆく者が、我に何かを聞く意味があるか?』
「ある!」
ドラゴンの問いかけに即答する。決して相手の目から視線を逸らさずに。
『……良かろう。その胆力に免じ、一時の猶予をやる。して、貴様は何を聞く?』
今まで向けられていた殺意が少しだけ和らぐ。でも、何か機嫌を損ねる様なことを言えば、たぶんもう二度と話をすることはできない。
「あなたが私達を何故襲うのか教えて。もし何か気に障るようなことをしたのなら、私達はあなたに謝らないといけない。でも、何に対して謝らないといけないのか分からないと、それすらできないの」
私達はただ雪山を移動していただけ。縄張りにも入らないように、ステンさんは気を付けていたはずだ。縄張りが変わっていた可能性もあるけど、そんな重要な情報が誰の耳にも入っていないとは思えない。
『簡単なことだ。我の縄張りに侵入し、我の宝を盗んだ不届き者がいる。その存在を始末するためだ』
ドラゴンの宝物を盗った? その宝物っていうのは一体何だろう?
いや、そんなことより……
「違う、私達はそんなことしてない! 人違いだよ! 疑うっていうのなら、私達の荷物を全部調べてもらっても――」
『その必要はない。貴様とその仲間が我の宝を盗んだか否かは、問題の本質ではない』
私達を泥棒だと勘違いして襲った。そう思ったけど、ドラゴンの口から告げられたのはもっと単純な理由だった。
『我の宝を盗ったのは人間だ。そんな害虫にも等しき存在が、縄張りの近くをうろついている。これが殺す理由だ』
「そんなっ! 私達を襲ったのは、そんな理不尽な理由で!?」
『害ある存在は消す。当然だろう』
「あなたの宝物を盗った人達は害ある存在かもしれない。でも、人間が全員、あなたに害を与える存在じゃないんだよ!」
『個々の存在など、どうでも良い。結局は種がどうなのかだ。貴様ら人間もそうだろう。自らに害ある種が住処の近くにいれば、その個体が悪かどうかに関わらず排除する。殺さずに放置して問題ないと言われたところで、納得などできるはずがない』
「そ、それは……」
言葉に詰まる。
街の近くに魔物が出たから退治してほしい。採取を行う森に住み着いた魔物を駆除してほしい。そんな依頼を何度もギルドで見てきたし、私自身も何度か受けたことがある。
実際、魔物は人を襲う危険な存在として認知されている。依頼の中には既に被害が出ている旨が記載されているものもあったけど、被害を未然に防ぐための依頼だってあったはずだ。
さらに言えば、魔物の幼体も駆除依頼の対象となることがある。その幼体自身は無害でも、将来的には人に危害を加える存在となり得るから。
自然とそれが当たり前だと思っていた。それに気づいてしまった私は、ドラゴンにすぐ反論することができなかった。
『……これで話は終わりだな』
「ま、待って!」
『待つ意味などないだろう。我の言葉を否定できなかった貴様に、これ以上何が言える?』
苛立ちを含んだ声が帰ってくる。
駄目だ。ここで何も言えなかったら、もう対話をすることなんてできない。
考えるんだ……何を言えばドラゴンを納得させられるのか。
「…………返す」
『何?』
「あなたが盗られたっていうその宝物――それを私が見つけて返す。そうすれば、私が害のある存在じゃないって証明になるはずだよね」
ドラゴンが私達を殺そうとしているのも、私達が魔物を駆除していたのも、結局はその存在が害ある存在だと決めつけていたからだ。同種の存在が害あるものだったから、この個体もそうに違いないと。
なら、害はないのだと示せばいい。全ての人間がドラゴンにとって悪い存在じゃないと示せれば、これ以上の被害が出る心配もない。
『……なるほどな。それができれば確かに、貴様の言う無害な人間がいるという証となるやもしれぬ』
「じゃあ――」
今は人間を襲う必要はなくなる。そう期待しかけた。
『だが、駄目だな』
「な、何で!? 無害な人間がいると分かれば、手当たり次第襲う必要なんて――」
『そもそも前提が間違っている。人間である貴様の言葉をどうして信じられようか。我から見れば、貴様がこの場を切り抜けるためだけの嘘を言っているようにしか聞こえぬ』
そう言われて、私は察した。
ドラゴンにとって私達人間は、もう既に信ずるに値しない存在として認知されているのだと。
「嘘じゃない! 絶対にあなたの宝を持って帰ってくるって約束する!」
『それが信用ある言葉だと、何を持って証明する?』
「ちゃんとした証明はできない! ただ信じてほしいという事しかできないよ!」
『ならば我も、それは無理だと言うしかない。……言葉が通じてもしやと思ったが、やはり話すだけ無駄であったか』
ドラゴンは翼を広げて宙へ舞い上がる。
『人間に生まれた事を後悔して死ぬが良い』
そう言って、ドラゴンはブレスを放とうと口を開く。もう二発目が撃てるぐらいに回復していたみたいだ。
「嫌! 死ぬわけにはいかないの!」
このまま何もせずに死を受け入れるなんて御免だ。
全力で抗って、殺すのは無理だとドラゴンに悟らせる。もう一度言葉を聞いてもらうにはそれしかない。
ただ、一人だけじゃそれはできない。あのブレスを防ぐには、最低でも上級魔法二回分の防御が必要だ。上級魔法を二つ同時に発動したことは今までやったことがないし、失敗できない場面でそれをやるにはリスクが高すぎる。
最上級魔法なら何とかなるかもしれない。でも、私が使える最上級魔法に防御用のものはない。攻撃魔法をブレスにぶつけて相殺したら、その余波で周りどんな影響が出るか……。
しかも、後ろにはエリスちゃんとウォルデスハスキーがいる。皆が無事に生き残るためには、もうあの子に頼るしかない。
「『アクアボール!』 水華! 出てきて!」
いつもなら腰の辺りに水の入った小瓶をぶら下げているけど、この気温だと水が凍ってしまうから付けてない。水華を呼ぶには魔法で水を出すしかないわけだけど、水を用意できるなら手段なんてどうでもいい。
『エナ、何カ用事?』
水球から飛び出てきた水華が、クルクル回って私の顔を見つめてくる。
いつも通りの様子で安心したけど、今は一刻の猶予も無い。
「お願い! あのドラゴンの攻撃を防い……え?」
そう上空にいるドラゴンを指差して、私は気づいた。
さっきまでブレスを放つために力を貯めていたはずのドラゴンが、呆けたように口を開けっぱなしにしてこちらを見ていることに。
『だ……大精霊、様?』
その声を聞き、水華がドラゴンの方を見る。
『ア、久シブリ。ドウシタノ?』
かなりフランクに話しかける水華。まさか……
「水華とあのドラゴンって、知り合い?」
『ウン。私ノ眷属ダヨ』
当然だけど、初耳だった。
分類上、氷は水属性。




