機転を利かせて
「んぅ~……よい、しょっ」
休憩できるスペースまでやって来たエリスが、恵菜を椅子に座らせる。運んだのは大した距離ではないが、肉体労働とは無縁な彼女にしてみれば重労働だ。
「エ、エナちゃん、大丈夫ですか?」
「うん、ピンピンしてるよ」
少し息が上がっているエリスの呼びかけに、けろっと答える恵菜。さっきまで意識が朦朧としているかのように、力なくエリスに体を預けていたはずだが、今は微塵もそんな気配を感じない。いつも通り、元気な恵菜そのものだ。
「え、あれ? ほ、本当に大丈夫なのですか?」
「大丈夫、大丈夫。ちゃんと殴られた時、顔を魔力で覆って防いだから。ほら、どこも怪我してないでしょ」
そう言って殴られたであろう頬の辺りを見せてくる。確かに、傷どころか赤く腫れあがってすらいなかった。
「はぁ~……もう、びっくりさせないでくださいよ。エナちゃんが倒れるのを見た時、物凄く心配したのですよ」
「でも、さすがに普通の女の子が、大柄な人に殴られて何とも無いっていうのはおかしいでしょ? だから、ああやって怪我したフリをした方が良いかなって」
「それはそうかもしれませんが、あんな無茶なことはあまりしてほしくないです」
心配そうに、そして少し怒る様に頬を膨らませながら、そう訴えかけてくるエリス。
それを見て悪いと思ったのだろう。恵菜は「ごめんね」と謝ってから続ける。
「ただ、まさかこんなに早く二回目の嫌がらせが来るなんてね。ちょっと追い詰めすぎちゃったのもあるけど、殴ってくるのは予想外だったかな。エリスちゃんに給仕役させなくて良かったよ」
「エナちゃんが傷付くぐらいなら、私がやった方が――」
「いやいや、エリスちゃんに何かあったら私とリアナちゃんの首が飛ぶから」
恵菜がエリスの提案に全力で首を横に振る。
表向きでは視察となっているこの旅行で、恵菜とリアナはエリスの護衛だ。旅行の許可だって、それを条件にエリスの父(国王)から取り付けている。大体の怪我は恵菜が治療すれば隠蔽できるかもしれないが、密告されれば終わりである。もちろん、そんなことする気は無いが。
(隠しているとはいえ、もう少し自らの身分を自覚してほしいなぁ……)
そんなことを思う恵菜。しかし、忘れがちだが、そんなことを想っている恵菜も何だかんだ公爵という身分である。自分を大事にしない貴族と王族というのも、周りからしてみれば困りものだ。主にリアナが。
「それにしても、驚きました。エナちゃん、いつの間にそんなに魔法陣を描いたのですか? 外から聞こえましたけど、そんなにあちこち描く時間は無かったと思いますが……」
気になっていたことを思い出したエリスが恵菜に問いかける。
彼女は今日さっきまで、恵菜がそんな準備をしていたとは知らなかった。というのも、エリスはかなりの時間、恵菜と行動を共にしていたが、そんな姿を見かけたことは無かったからだ。
それに、魔法陣を描くのには時間がかかるというのが世の常。目を離している時間はあったが、それだけで描ける魔法陣は二、三個が限界ではないか。
そう考えていたが故のエリスの疑問。それに対し、恵菜は「よくぞ聞いてくれました」と、何かを取り出してエリスに見せる。
「これがその答え――魔法陣の印だよ」
「印って、あの封蝋に使うような印ですか?」
「そう。まあ物は試しで、こうすると……ほら」
恵菜は魔法陣を描く時に使う塗料を取り出し、そこに印を付けてから、自分が座っている椅子の裏側にポンと押し付ける。
印を離すと、そこには紛れもない魔法陣が描かれていた。
「宿の評判を落とすために何をしてくるかなと考えたら、料理に虫を入れるっていう嫌がらせが真っ先に思いついたんだよね。だから、虫除けの魔法陣を作ってから印にしてみたの。ただ、印を掘るのは結構難しくて――」
そう魔法陣の印を作る苦労話を話し始める恵菜。さも当たり前のように話しているが、エリスは開いた口が塞がらない。
「どうしたの?」
「いえ、ちょっと頭が理解するのを嫌がっていたようで……そんなのは初めて見ましたから」
「そう? 結構ありきたりな考えだと思うんだけど」
不思議そうな表情の恵菜。そんな彼女のことを、エリスはジト目で見つめる。
「……私、この街にいる間、エナちゃんに驚かされっぱなしですよ」
「え、何?」
「何でもないです。そんなことより、エナちゃんの作戦のおかげで、宿の信用は大分上がったのではないですか?」
「そうだといいけどね。渡しておいたメモ通りに、ナーレイさんもお客さんにアピールしてくれたし」
また嫌がらせをしてくるであろうことは、恵菜達全員が分かっていた。その対策として何ができるかを考えた結果が、相手の行動を逆手に取ることだった。
そうして信用を上げ続ければ客もたくさん来て、人の目も増える。その中では不法侵入等といった隙を付く行動は取りづらくなるだろう。
今回のは、その信用上げのための一つの対策。ここまで早く対策が役に立つとは誰も思わなかっただろうが、結果的には功を奏した形だ。
「これでもう来なかったら良いのですが……」
「どうだろうねー。たぶんまだ何回かは――」
「た、大変だよ! お風呂が酷いことに!」
いきなり二人のもとへ走り込んできたのはミレンだった。
何か悪い予感が的中してしまったのか。恵菜はミレンを落ち着かせてから、何があったのか尋ねる。
「そ、それがね、お風呂が汚れまみれにされているのよ」
「お風呂が!?」
「ええ。もう酷い有様で……」
見た方が早いと、ミレンは恵菜達を連れてお風呂場へと急ぐ。
現場に着いた彼女達が見たのは、お風呂場中にまき散らされた泥だった。床だけでなく、浴槽の中にまで泥が沈んでいる。
「ひどい……」
「先にこっちのお風呂を掃除して、それからさっきまで反対のお風呂を掃除してたんだけど、ベチャベチャと音がして見に来たらコレさ……。掃除中だから誰も入れないはずだけど、たぶん、壁の向こう側から投げ込んだんだと思う」
お風呂場を取り囲む壁の高さは、人の背の倍以上はある。ただ、外から何かを投げ込むぐらいなら、届かない高さではない。
「ここまでして営業妨害してくるなんて……」
「床の泥は洗い流せば終わりだけど、浴槽の中に入っちゃった泥は、取り除くのは結構時間がかかるかもしれないわ。空気が出る所にも泥が詰まってるみたいだし……」
浴槽の底から噴き出すはずの空気の泡。今は泥が溜まり、泡が止まってしまっている。
「反対側のお風呂に被害は無いんですよね?」
「今の所はね。そうなると、今日は片方だけで営業するしかないかしら。男性と女性を時間で分ければなんとか……」
ここ最近の客の入りは非常に多い。今だって、掃除後の再開を今か今かと待ちわびている客が外で待っているぐらいだ。今日は入れませんとなると、せっかく来た客も残念がるだろう。
そうなると、片側のお風呂で時間帯を区切り、性別を入れ替えて入浴させるという方法が一番無難にも思える。ただ、それでも客に少しの不満は与えてしまうかもしれない。
「ミレンさん。とりあえず、一旦ここは私達に任せて、温泉卵の販売に戻ってくれませんか? あと、ついでにリアナちゃんにこっちへ来てくれるように伝えてください」
「え、でも……」
「大丈夫ですよ。リアナちゃんなら何とかしてくれます。金ランク冒険者なんですから」
ミレンの不安を打ち消すために、自信を持ってそう言い切る恵菜。
それに促され、ミレンは宿の中へと戻っていく。そしてしばらくすると、リアナが怒りながらお風呂場へと現れた。
「何よコレ! 本当に泥まみれじゃない!」
「誰かが壁の向こうから投げ込んだみたい。リアナちゃん、ちょっと様子を見てきてほしいんだけど」
「任せなさい! 怪しい奴がいたらしばき倒してやるわ!」
そう言って、リアナは直接壁を飛び越えて行った。
「……リアナちゃん、普通に飛び越えて行きましたけど、壁を高くした方が良いのではないですか?」
「うーん、それでも限度があるからね。それよりは壁の外側に変な人が来ないよう対策しておいた方がいいかな」
「なるほど。では、この泥はどうしましょうか。こちらにも何か対策が?」
「ごめん。こんな嫌がらせは予想してなかったから、これをどうにかできる物は用意してないの」
先のような物は何もないと首を振る恵菜だったが、すぐに何かを思いついたようだ。
「いや、もしかしたら何とかできるかも。――水華、いる?」
水を足下にまき散らしてから恵菜が呼びかけると、『イルヨ』という声と共に、水華がニョキっと顔を出す。
「水華、ここの浴槽にある泥だけを取り出すことってできるかな? お湯を使って泥をここに流してくるみたいな」
『ウン、デキルヨ』
ダメ元で聞いた恵菜だったが、水華は当たり前のようにそう答えた。
「本当!? じゃあ、ここに泥だけをお願いできるかな」
『分カッタ』
返事をした水華がくるくると指を回す。
すると、浴槽の中のお湯が勢いよく渦を巻き、中にある沈殿した泥を巻き上げ始めた。
さらに水華がほいっと指を振るうと、お湯は泥ごと浴槽から浮き上がる。そのまま恵菜の指定した場所まで飛んでいくと、空中で球体となった。
『エイ』
仕上げに指を軽く叩くように上下に振る。泥を含んだお湯は弾むような動きをしてから、浴槽へと戻っていく。その場に泥だけを残して。
『コレデイイ?』
「いいも何も完璧だよ! さすが水華、ありがとう!」
喜ぶ恵菜が、水華の頭を撫でる。
浴槽の泥は全て取り除かれ、昨日と変わらず泡が噴き出す温泉に戻っていた。
「やっぱり水華ちゃんは凄いですね……後は床の掃除をすれば終わりでしょうか?」
「だね。まあ水で流せばすぐだろうけど」
『ワタシモ何カ、ヤル?』
「水華はもう大仕事をやってくれたから大丈夫、って言いたいけど、まだ手伝ってくれる?」
『ウン』
全てを水華に任せっぱなしというのも申し訳ない。が、水華自身がやる気満々であることもあり、恵菜は最後まで手伝ってもらうことにした。
「では私は掃除道具持ってきますね」
「お願い、エリスちゃん。私は水を出すから、水華はそれで泥を流してくれるかな?」
『分カッタ』
ちょっとしたピンチではあったが、何とか乗り越えられたようだ。この後、二人と一精霊のおかげで、温泉はいつも通りの営業ができるようになった。
ちなみに、この功績もリアナに押し付けられたのは言うまでもない。
第三者から見たリアナの評価がうなぎのぼり。




