宿再生計画その三
「さて、それでは今日は何をするのでしょうか?」
翌日の朝、目が覚めたエリスは、宿の改革について恵菜に尋ねていた。
お風呂の改造に食事のメニュー追加と、改革は順調である。次は一体何を見せてくれるのかと、エリスの表情にはその期待が現れていた。
「そうだね、大きな事は昨日で終わったから、ちょっとした名物づくりと宣伝、後は宿の運営の変更かな」
「名物? 昨日のチキンナンバンじゃないの?」
「あれもそうだけど、どちらかというと温泉の名物を作りたいんだよね」
チキン南蛮の評判は上々だった。だが、あれが温泉らしいものかと言われれば微妙なところだ。
もっとも、目的は宿の客を増やすことなのだから、温泉らしいものか否かは重要ではない。言ってしまえば、これは恵菜のこだわりである。
「で、実はもう既に用意してあるんだ。昨日の朝食で出そうと思ってたんだけど……コレだよ!」
恵菜が収納袋から取り出したのは、ネットに入った卵であった。先日作ったものだが、収納袋に入れていたおかげでまだ温かい。
「……ただの卵じゃない」
「そう見えるでしょ? でも、これは普通の卵じゃなくて、温泉卵なんだよ」
「温泉、卵? 何か温泉と関係あるのですか?」
「うん。温泉に浸して作る料理だから、そう呼んでるの。ま、とりあえず食べてみて」
器用に上側の殻を割ってから、エリスとリアナにそれぞれ手渡す。プルプルと震えるその中身に戸惑うも、二人は温泉卵を口の中へと流し込む。
「少し効いた塩味が良いですね」
「いいわね、これ! おやつ感覚で食べられそうだわ!」
どうやら温泉卵も二人には好評のようだ。万人受けするかは分からないが、こうして良い反応が返ってきているのなら期待はできそうである。
「ところで、どうして温泉に浸すのですか? 沸かしたお湯では駄目なのでしょうか?」
「お湯でもできないことはないんだけど、お湯の温度調整が難しいの。温泉は絶妙の温度加減で、完全に固まらずにこんな感じになるの」
温泉卵は、お湯の温度によって茹でる時間が変わる。温度計というものが無いこの世界では、それを見極めるのは一般人には難しい。
その点、温泉は温度加減の相性が良く、同じ場所なら温度のばらつきも少ない。
「というわけで、これを名物にしようかなって思うんだけど。問題は誰が作るかなんだよね」
「ナーレイさんでは駄目なのですか?」
「それでもいいんだけど、もし忙しくなったら手が回らなくなるかも」
「あー、それはマズいかも。それでチキンナンバンか温泉卵が作れなくなったら、せっかく来た客が残念がるわ」
悩む三人。彼女達が作っても良いが、それでは彼女達がここを離れる際に回らなくなってしまう。
かと言って、新たに人を雇う余裕がこの宿にあるかは疑問だ。
「……まあ、誰が作るかは一旦おいておこうかな。朝ごはん食べたらいい案を思いつくかもしれないし、食堂へ行こう」
「そうですね。まずは食事を済ませましょうか」
一先ず議論を止めて、三人は朝食のために食堂へと向かう。
その途中、階段を下りて一階へ来たところだった。
「あ! お姉ちゃん達、おはよう!」
「おはよう!」
三人の姿を見つけたナッシュとミーシャが大きな声で挨拶をしてくる。恵菜とエリスも「おはよう」と返すが、子供が苦手なリアナは、彼らの姿を視認した途端、身を隠すように恵菜の後ろへ移動する。
……いや、移動しようとした時だった。
「なあなあ! 母さんから聞いたけど、お姉ちゃんがやってくれたんだろ!」
「お姉ちゃん、ありがとー!」
「は!? えっ!? なになになに何!?」
子供二人に周囲を囲まれ困惑するリアナ。
対して、子供らの目はキラキラと輝いている。まるで尊敬する人物を見ているかの様な目だ。
しかし、リアナはそんな眼差しを向けられる理由が分からなかった。
「な、何の事よ?」
「お風呂だよ! お姉ちゃんが作り替えてくれたんだって? 滝みたいなやつとか、泡が噴き出すやつとか、色々あったけど!」
「あわあわしてた! 凄かった!」
「はあ? いや、あれはエナが――」
「そう! あのお風呂は全部、ここにいる金ランク冒険者のリアナお姉ちゃんが作ってくれました! なんと一日で!」
否定しようとしたリアナの声を遮り、恵菜が「じゃじゃ~ん!」と両手をヒラヒラさせながらリアナを指し示した。エリスも便乗するかのように、隣で拍手をしている。
「ちょっと、何言って――」
「そうなんだ! やっぱり金ランクって凄いんだな!」
リアナが文句を言おうとしたところで、子供二人がさらに距離を詰めて来る。
逃げ場を失い、どうしていいか分からなくなった彼女に、恵菜がコッソリと耳打ちする。
(私がやったって言うより信ぴょう性あるから。誤魔化して!)
(エナ、アンタ後で覚えておきなさいよ……)
実は昨日、お風呂を改造してからミレンとナーレイに報告する際、全てリアナがやったと恵菜が説明したのだ。
この街で恵菜はあくまで一般人扱い。エリスも同じである以上、こういった人間離れしたことをやったと言っても信じられにくい。
だからこそ、リアナの金ランクは隠れ蓑にちょうど良かった。
また、子供から好かれるようになれば、リアナの子供嫌いを治すきっかけになるかもしれない。そんなお節介もあって、恵菜はお風呂改造の功績をリアナに押し付ける気だった。
「ふ、ふふん! そう、私にかかればあれぐらい簡単よ!」
「お姉ちゃん、すごーい!」
引き攣った表情のリアナは、半ばやけくそ気味に、押し付けられた功績を誇る。
そんな裏の事情を知らない純粋無垢な子供達は、リアナがやったものだと信じて疑わなかった。
「なあ、お姉ちゃん。お風呂の改造、どうやったのか俺にも教えてくれよ!」
「え? そ、それは、ちょっと教えられないわ」
「えー、なんで?」
「だって、そのー……き、金ランクぐらいの実力が無いと危ないからよ。真似して事故なんて起きたら困るわ」
それっぽい理由を言って誤魔化す。本当は当時、周囲の警戒をしていたため、恵菜がどうやっていたのか説明できないだけなのだが。
「む~……周りに気を付けるから教えてくれよ~。お願い! この通り!」
「ミーシャもお願いー!」
が、子供たちは何故か引き下がらない。不思議に思った恵菜は、彼らに尋ねる。
「どうしてそんなに知りたいの?」
「俺も父さんや母さんの助けになりたいんだよ。皆が頑張ってるのに、俺は何も……」
「お兄ちゃん……」
ナッシュが俯きがちに拳を握りしめる。
どうやら、宿の再建のために動いている周りと比較してしまい、自分が無力だと思い込んでしまっているようだ。
だからこそ、何かがしたい。
そのために、リアナにお風呂改造のやり方を聞きたかったのだろう。
「エナちゃん。さっきのアレ、二人に作ってもらうのはいかがですか?」
と、エリスが思いついたと言わんばかりに恵菜に提案する。
確かに、やり方が複雑でない温泉卵を作るのは子供でもできる。しかも彼らは宿の人間。恵菜達がいなくなった後でも働ける。
「ねえ、ナッシュ君とミーシャちゃんにもできるお手伝いがあるんだけど……」
そう言って、恵菜は二人に温泉卵について説明する。ナッシュとミレンは真剣に話を聞き、説明が終わるとやる気に満ち溢れていた。
「やる! やるよ、温泉卵作り!」
「ミーシャもやる!」
「それじゃ、ミレンさんにも相談しないとね」
「呼んだかい?」
そこへちょうど良く、ミレンが現れる。朝食のために恵菜達を呼びに来たようだ。
「母さん! 温泉卵を作らせて!」
「? 何を言ってるんだい?」
「えっとですね……」
何のことだか分かっていないミレンに、恵菜が説明する。
「なるほどね。二人は、ちゃんとやれるのかい?」
「「やる!」」
「……ハァ。なら、やってみなさい。ただし、途中で投げ出さないこと。いいね?」
「「分かった!」」
元気の良い返事をする二人。
これで温泉卵作りの人材は確保できた。
「ごめんなさいね。色々と迷惑かけて」
「いいんですよ。私達は今、ここに雇われている身なんで」
むしろ好き放題やっている身である。雇っている側も喜んでくれているのだから問題は無いと言えるが。
「そうだ、ミレンさん。宿の運営について少し提案があるんですけど」
ふと恵菜がやらなければいけない事に運営変更があったことを思い出す。
「それなら、朝食の場で夫と一緒に聞かせて。まあ、大体のことはもうエナさんの言う通りにしちゃうと思うけど」
食堂へ移動した恵菜は、朝食を取りつつ運営の変更内容について説明する。
変更の数は二つ――日帰り温泉と、一日毎のお風呂の男女入れ替えである。
これらを説明されたミレンとナーレイは、詳しく説明せずともその利点を理解した。
「確かにそれはいいね」
「うん、あのお風呂を活かせるやり方じゃないかな」
「ということは?」
「ああ、その案を採用しようと思う」
意外にもすんなり恵菜の案が通る。こうも簡単に通ると、ミレンの言った通り、エナが言ったことは大体通るかもしれない。悪用する気は無いが。
「ただ、運営を変えたばかりだと何か失敗が起きるかもしれないから。今日と明日の二日で試しにその方針の運営をやってみよう。客は他に入れずに」
「それがいいかもしれませんね。あと、新装開店の宣伝を今日からするつもりでしたけど、二日後からという内容に変更して宣伝します」
「エナちゃん、その宣伝、私にやらせてもらえませんか?」
と、エリスがその役に手をあげる。恵菜としては温泉卵の作り方伝授もやらなければならなかったので、この申し出に乗ることにした。
「それじゃあ、エリスちゃんとリアナちゃんが宣伝で。私は温泉卵の作り方をナッシュ君とミーシャちゃんに教えるから」
これで開店までの予定が全て決まった。
本当に上手くいくかは分からなかった計画。その不安とは裏腹に、翌日までのお試し運営も問題なく進み、新装開店を迎えた宿は初日から大繁盛となったのである。
以上、宿再生計画の舞台裏でした。




