ビフォーアフター
高級宿の一室――高級品と思われる調度品がゴテゴテと並ぶ趣味の悪い部屋で、ブラキンは書類に目を落としていた。
書かれているのは、この街にある宿の名前。ただ、その多くには横線が引かれている。
名前が消されているのは、全て潰れた宿のものだった。いや、潰したと言うのが正しいか。
「あと五つ……。随分粘るが、いつまで続くかな」
そう呟いたところで、部屋の扉がコンコンと叩かれる。ブラキンが入室を許可すると、一人の従業員が礼をして入ってきた。
「支配人。お手紙が届いております」
「どこからだ?」
「街の門近くにある宿の主人からです。借金の支払いを十日程待ってくれないか、とのこと」
渡された手紙を受け取り、軽く中に目を通すブラキン。
そして、鼻で笑いながら、その手紙を捨てるように机の上に放り投げた。
「……ハッ、馬鹿め。十日待ったところで返せるのは利子だけだろう。下手に延ばしたところで自分の首を絞めるだけだと、まだ気づかないのか」
「返事はどういたしましょう?」
「構わん、十日待ってやるといい。ただ、返せない場合は即刻、宿と土地を差し押さえさせてもらう。そう言っておけ」
「よろしいのですか? 待たずとも差し押さえは可能だと思いますが……」
「『こちらの願いを聞いてくれずに宿を奪われた』などということを言われても困るからな。ここで寛大な心で相手の要求を受け入れてやれば、払えなかった相手側を全面的に悪者扱いできる。批判されたところで笑い飛ばしてやればいい」
借金を取り立てるのは当然の権利。借りた側から文句を言われる筋合いなど無い。
が、世の中にはそれを理解しない人間も多いということを、ブラキンは知っている。一度、「お前には人の心が無いのか」と、宿に来て騒ぎ立てられ、何も知らない客に不信を抱かせてしまった経験があるからだ。
「だが、延長もこの一度だけだ。何度も要求を呑んで延命させてやる必要はない。この宿への妨害を強くしておけ。この十日間で潰すんだ」
そう言ってブラキンは窓の外を見る。そこに映る街の景色を見て怪しく笑いながら。
「ふっふっふ、この街の宿もだいぶ減った……私の宿だけになるのも、もう遠くは――」
「し、支配人! お伝えしたいことが!」
と、そこへ血相を変えた従業員がもう一人飛び込んできた。
「何だ騒々しい。また客が料金に文句でも言っているのか?」
その時、ブラキンの脳裏に浮かんだのは、つい数日前にも文句を言っていた生意気な少女の姿。
そういえば、あれから三日程経つが、結局、この宿に戻っては来なかった。まあ、単純に金が無くて街を出るしかなくなったのだろう。
そう思っていたブラキンだったが、従業員から告げられたのは、予想とは全く異なるものだった。
「いえ、そうではありません! 街の宿の一つが、とんでもないことになっていまして……人で溢れかえっています!」
「な、なんだと!?」
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――同時刻。
恵菜達が泊まる宿は多くの人で賑わっていた。
「さあさあ、ユムラン名物の温泉卵はいかが!? 一つで銅貨二枚! 三つで銅貨五枚だ! まとめて買うと安いよ!」
宿の前にある露店で、ミレンが卵を片手に道行く人々へ声をかける。
「ただの卵じゃないかと思うだろう? ところがどっこい、新しい触感が皆の口を虜にしてくれるよ! ほら、そこの女の子を見てごらん!」
ミレンが指差す先にいたのは、椅子に座りながら温泉卵を食べるリアナ。スプーンで掬った卵を口へ流し込みながら……
「あ~、美味しいわ~、もう卵は全部温泉卵にしていいんじゃないかしら?」
と、わざとらしく周りへアピールする。
しかし、その感想はともかく、固形ではなくプルプルと揺れる卵は物珍しいようだ。見ていた人達は、物は試しにと温泉卵を買い、リアナと同じくその場で実食。中には気に入った人もいるらしく、数個まとめて購入し持ち帰っていくのが見える。
「お母さん! 追加の温泉卵!」
「ありがとう。ちゃんとできてたかい?」
「うん! 一つだけ中身を割って見たけど、プルプルしてたよ!」
「なら大丈夫だね。えらいよ、ミーシャ。次もお願いね」
頭を撫でられたミーシャが嬉しそうに笑い、宿の中へと戻っていく。
それと入れ替わる様に、ダッシュで露店へと走ってくる男の子が見えた。
「母さん! 全部売れたぜ!」
「おっ、やるじゃない。やっぱり歩いて売りに回るのも有効なんだね。まだ行けそう?」
「もちろん! まだまだ売ってくるから任してよ!」
「それじゃあ、またこれだけ。よろしく頼むよ」
ミレンはナッシュから空になった箱を受け取って温泉卵を補充すると、再びナッシュへ返す。
ナッシュはそれを受け取ると、「行ってくる!」と強く言い残して走り去っていった。
そんな温泉卵販売の横では……
「日帰り温泉はいかがですか~? 他の温泉には無い、様々な種類の湯舟で疲れを癒せますよ~」
温泉卵を売るミレン同様、客引きを行うエリスの姿。『日帰り湯、銅貨十枚』と書かれた、手作り感溢れる木製の看板を持っている。
「日帰り温泉? って何だ?」
「宿に泊まらずに、温泉だけ入るということです。お家では絶対に入れない温泉を楽しめますよ」
「そんなのがあるんだな。俺達、やっと今日街に着いたばっかりだから、ちょうどいいかも」
移動で疲れた体を癒したい二人にとって、この日帰り温泉という存在は都合が良かったらしい。それぞれ銅貨十枚ずつを払い、受付を済ませて宿へ入っていく。
「な、何だここ?」
「本当に温泉なのか……?」
風呂場へと着いた二人は、呆けた表情で目の前の光景を見ていた。
「お、おいアンタ! 大丈夫なのか、そんな煮えたぎった湯に入って!?」
湯舟の一つを見て、驚きの声を上げる客。
そこには、ボコボコと気泡が出ている温泉に浸かる一人の老人がいた。
「ん~? ああ、儂も最初はそう見えたが、下から泡が沸き上がっているだけじゃ。全然熱くないから入ってみるといい」
「そ、それなら……お、おお!? 何だこりゃ!?」
「湯が噴き出てくる……? どうなってんだ?」
湯舟の底と横から噴き出てくる湯が体を刺激する。湧き出てくる泡の原因は、この噴射されるお湯に空気が含まれているからだった。
「これのおかげで、体が温まりやすくなるんじゃと。他にも痩せる効果も期待できるとか言っておったわ」
「そうなのか?」
「うむ。それにここ以外にも、色々な効果があるという湯ばっかりじゃ。あの『打たせ湯』というのも中々良かったぞ。肩や腰のコリに効くから、お主らも試してみるといい」
「ほぉ~、凄いな。一体どうやってこんなの思いついたんだ?」
「う~む、儂には分からんなぁ。まあ、気持ちが良いならどうでも良いじゃろう」
深く考えず、風呂を満喫する老人。
確かに、利用する側からすればどうでもいい話である。気にするのは同業者ぐらいだ。
「そうそう。この風呂場、男湯と女湯が一日おきに入れ替わるらしいぞ。風呂の種類も違うみたいじゃから楽しみじゃ」
この老人は明日もここを訪れるつもりのようだ。
そして、その情報を聞いた二人も顔を見合わせる。
「どうする?」
「ここに泊まって、明日その違う風呂に入ってみるのはアリだよな」
「気になるしな」
うんうんと頷く二人。
どうやら、この二人の予定も決まったようだった。
露店に温泉、二つの場所が人で賑わっている。
が、さらにもう一つ人が多い場所があった。
「う、うめえ!」
「こんな料理、食った事ねえ!」
昼食時にしては少し早い時間帯にもかかわらず、半分以上の席が埋まった食堂。
そこにいる客のほぼ全員が、同じ料理を食べて絶賛していた。
それは揚げた鶏肉に、とろっとした甘酢の様なものがかけられ、上に黄白色の半固形ソースがかかった料理だった。
「このチキンナンバンを一つくれ」
「こっちもチキンナンバン二つお願い!」
「俺もチキンナンバンおかわりだ!」
「はーい。――ナーレイさん、チキン南蛮四つお願いします」
町娘の姿から一転、給仕服を身に纏った恵菜がオーダーを聞き取り、厨房にいるナーレイに伝える。ナーレイは「分かった!」と一言返事をしながら、忙しそうに手を動かしていた。
恵菜も時折厨房で手伝っているが、作っているのはソースだけで、鳥を揚げるなどの主工程はナーレイが担当している。
「チキンナンバン四つ完成だ! 運んで!」
「はーい。――お待たせしました、チキン南蛮です」
恵菜が完成した料理を客のもとへと運ぶ。
「お、待ってたぜ!」
「ねえ、サラダを頼んだ時に付いてきたコレは何なの?」
隣にいた女性が小皿を片手に尋ねてくる。恵菜はそれに笑顔で答えた。
「そちらはマヨネーズになります。少量ほど野菜に付けて食べられると美味しいですよ」
「――あら、本当! まろやかな味が付いて美味しいわね!」
「お気に召したようで何よりです。あ、味がくどくなってしまうので、付け過ぎにはご注意くださいね。」
恵菜はそう一言口添えをしてから、またオーダーを取りに戻る。
実際は、食べ過ぎると太るからという理由での注意なのだが、それを言うと敬遠されてしまう可能性があったため言わなかった。だが、どんな食べ物も食べ過ぎは毒。そうしなければいいだけなのだ。
「おーい、チキンナンバン頼めるかい?」
「あ、はーい。――チキンナンバン一つ追加でーす」
一気に活気を取り戻し、人で溢れかえる宿。その原因はもちろん、ここでせっせと働く恵菜である。
一体何があったのか。それを知るには、恵菜達が宿を救おうと決めた三日前に遡る
恵菜匠。




