宿再生計画その一
ミレンとナーレイに一時雇用された恵菜は、早速、宿のお風呂場に来ていた。
「さて、それじゃあ取り掛かろうかな」
腕まくりをして、やる気満々だ。
何故ここまでやる気に満ち溢れているのかと言われれば、いくつもの種類のお風呂が作れるというその一点に尽きる。
恵菜はこの世界に来てから、一度も変わり種なお風呂を見たことが無かった。今までに広く旅をしてきたが、どこも浴槽にお湯を張っただけの普通のお風呂。そして、この温泉の街ですらもそれは同じだった。
一度、さり気なくエリスやリアナに尋ねてみたが、案の定、普通のお風呂以外は知らなかった。このユムランにはもしかしたら、という期待もあったが、どうやらあのぼったくり宿ですら普通のお風呂らしい。
ならばもう自分で作るしかないだろう。そう思い立ったはいいのだが、そうそう機会が訪れるとは思っていなかった。だからこそ、朝のお風呂の時間に、頭の中でどう実現するかを考えるだけに留まっていた。
そこへ突如として話に出た、今回の宿再生計画。どうすれば良いかという提案に対し、恵菜はお風呂の改装を真っ先に挙げたのである。
もちろん、宿の主人であるナーレイの了承は取っている。最初は宿の売りであるお風呂に手を入れることを渋っていたが、ミレンの「迷って止まっていても潰れるだけよ」という言葉もあって頷いてくれた。
「それで、エナちゃん。お風呂の改装って具体的に何をするのですか?」
「まずは打たせ湯とバイブラバスを作ろうかな」
「うたせゆ? それと、ば、ばいぶら……?」
聞きなれない言葉に困惑するエリス。
そんなことはお構いなしに、恵菜は作業を始める。
「とりあえず、周りから見えないようにしないとね。『ロックウォール』」
お風呂場全体を囲むように、石の壁が出現する。元から覗き見防止用の板で囲われているが、今からやる作業は誰かに見られたくない。
一応、リアナに宿周辺の警戒を任せてはいるが、念には念を、だ。
「これでいいかな。――水華、聞こえたら出てきてくれる?」
取り出した小瓶に入った水を地面に撒いてから呼びかける。
一瞬の間が空いた後、水面が大きく揺れて……
『エナ!』
「ぐぇ」
勢いよく飛び出した大精霊――水華が恵菜に飛びつく。
突然、お腹にタックルされるとは思っていなかった恵菜。勢いで後ろに吹っ飛ばされ、そのまま尻もちを付いて仰向けに倒れる。
「げ、元気そうだね」
『ウン! 元気! エナニ会エレバ、イツモ元気ニナルヨ!』
嬉しそうに恵菜に抱き着いて、頬をすり合わせてくる水華。昔に比べて甘え方が激しくなっている気がする。
(素っ気ない態度を取られるよりは全然良いんだけど、大精霊にも反抗期とかあるのかな。そうなったら私、傷ついちゃうかも……)
水華の見た目はあまり変わっていないため、成長という概念があるかは分からない。ただ、話し方はだいぶ流暢になってきた。その流暢なしゃべり方で『イヤイヤ』言い出す姿を、あまり想像したくなかった。
「水華ちゃん、お久しぶりですね」
『? エリスダ。久シブリ』
「ふふっ、本当にエナちゃんが好きですね」
『好キ。エリスハ?』
「私も好きですよ。お互い気が合いますね」
「……二人とも、それ以上は恥ずかしいから」
若干、顔を赤らめた恵菜が、これ以上聞いていられないと言わんばかりにストップをかける。
なお、エリスは恵菜のおかげで、精霊語を話すことができるようになっている。「水華と話せるようになりたい」という彼女の願いに答え、恵菜の家で時折、水華を呼び出して話しながら教えていたのだ。
もっとも、まだ簡単な会話程度しかできない。それでも水華と少し話すぐらいであればそれで事足りる。
『エナ、オ話?』
「あ~、お話はまた後でしてあげる。それよりも、お願いしたいことがあるんだ」
『オ願イ? ナァニ?』
「ここにね、これぐらいの大きさの穴を掘ってほしいの。深さはあっちのお風呂と同じぐらいで」
そう言って、恵菜は石造りの地面にガリガリを円状の印を付ける。元からあるお風呂の半分より少し大きめのサイズだ。
『分カッタ』
水華が恵菜の頼みに迷わず頷き、指を振るう。
すると、恵菜が付けた印の上に水球が現れる。水球はどんどん巨大化し、印と同じぐらいの大きさになると、勢いよく地面へぶつかった。
ドゴォという鈍い音が響く。水球が消えた後には、恵菜の要求通りの穴が空いていた。床となっていた石が大きく沈み込んで穴が空いた様な感じだ。
『ドウ?』
「完璧だよ! これなら舗装する必要も無さそうだし、ありがとう。次はそっちにこれぐらいで、深さはさっきの半分ぐらいで。お願いできるかな?」
『イイヨ』
そうして二つ目の穴も即座に作られる。
さらに、恵菜は最初に作った穴の底に、無数の極小な穴を開けてもらい、お風呂場の隅に作った穴と繋げてもらう。
「これでいいかな? 水華、試しにここから水を流してみて」
お風呂場の隅の穴から水を流し込んでもらう。
すると、先程開けた極小の穴から水が湧き出てきた。
「わあ。こうやって下からお湯を入れるのですか?」
「いや、温泉のお湯は普通に上から入れるよ。ここから入れるのは空気だね」
「空気……?」
「そう。というわけで、誰でもすぐにできる魔法陣を描いていきまーす」
魔法陣を描くための道具を取り出し……宣言通り即座に魔法陣を完成させる。
念のため言っておくが、普通はこんなに早く魔法陣を描けない。エリスもそれが分かっているのか、何とも言えない表情でそれを見ていた。
「えっと、この魔法陣は……?」
「風を操る魔法陣。この周辺にある魔力で動くようにしてあるから、半永久的に動作するようにしてあるよ。燃費は良いから、枯渇する心配もなし」
当然のようにそんなことを言い放つ。効果もそうだが、魔法陣自体も非常に小さく、もはや人間業ではない。フィレクトルの教育の賜物といったところか。
「それじゃ、お湯を張ってみよう! 水華、またお願い!」
水華に頼んで、お湯の通り道を作ってもらう。温泉のお湯は新たな道を通り、穴へと流れ込んでいく。
そして、底に水が張った瞬間、極小の穴から噴き出る空気が細かい泡となり、ボコボコと噴き出し始めた。
「こ、これが?」
「そう、さっき言ったバイブラバスってやつだね。本来の作り方とは違うだろうけど、形にはなってるかな」
科学で実現していた元の世界とは違い、こちらは魔法で実現したもの。少し泡が大きい気もするが、見た目はバイブラバスだ。
ちゃんと空気が底から出てくるか不安だったが、少し強めの効果にしたおかげか、魔法陣が生み出す風の力は足りていたようだ。
「それじゃあ、次は打たせ湯の仕上げだね」
今度は魔法で建物の壁から、上側が空いたコの字型の出っ張りを三つほど延ばす。ロックウォールを無詠唱で発動したことによるアレンジだ。
出っ張りは人の身長よりも高い位置にあり、二つ目に作った浴槽の上まで伸びたところで止める。
「それで、これを維持するために魔法陣を描きます」
魔法の発動によって出現したものは、魔法を解くと消えてしまう。いずれちゃんとした工事で作ることにはなるだろうが、それまでの間、この出っ張りにはずっと残っていてほしい。
ただし、恵菜がずっと魔法を発動し続けるわけにはいかない。この宿に永住するなら可能かもしれないが、そんな予定もない。
だからこそ、魔法を維持するための魔力を魔法陣に肩代わりしてもらうのだ。
「――はい、これで完成」
「普通はそんなに早く描けるものでは……いや、エナちゃんはエナちゃんでしたね……」
良く分からないことを言って自分を納得させるエリス。深くは考えない。考えても答えは出ない。
「それじゃあ、こっちにもお湯を流そうか」
温泉のお湯は高い位置からも湧き出ているため、この位置にもギリギリ流れ込む。
流れるお湯は出っ張りの窪みを通り、先端まで行くと、そこから下にある浴槽へと流れ落ち始めた。
「はい、打たせ湯の完成~」
「こちらはどう入るのですか?」
「あの上から落ちてくるお湯に打たれるの。滝で修行するみたいに。疲れが取れやすい効果があるかな」
「なるほど。しかし、よくそんなことを知っていますね。どこで知ったのですか?」
「えっ!? あ~、えっと、学校にあった古い本で見た、かな……?」
違う世界にあった、などと言って通じるわけがない。確認が難しい方法で誤魔化すしかなかった。
「そうなのですか。リルシャート王国にはそのような文献もあるのですね」
純粋無垢なエリスは恵菜の嘘を信じてしまう。ここまで信用されていると、騙してしまったという事実が小さな棘となり心に刺さる。
「ま、まあ、これでこっちは完成かな」
「次は反対側のお風呂ですね。あちらにも打たせ湯とばいぶらばすを?」
「いや、あっちは別のお風呂を作るよ。ジェットバスと寝湯の二つかな」
またしても聞きなれない言葉に首を傾げるエリス。
百聞は一見に如かず。そう言わんばかりに、恵菜は女性用のお風呂場へと移動して、先程と同じく水華に浴槽を作ってもらう。
そしてしばらくして……。
「――これで完成!」
浴槽の壁からお湯が噴き出るジェットバスと、人が横に寝転んで入れる寝湯が完成した。
気づけばもう日が沈みかけている。が、改装を始めたのは朝からなので、一日以内に終えることができたということになる。
「…………」
「あ、あれ? エリスちゃん、どうしたの?」
「いや、普通はこういった大きな工事は、もっと時間がかかると思ったのですが……いや、エナちゃんですから、これが当たり前……?」
考えるのをやめると決めていたが、やはり色々と考えてしまったようだ。あり得ない光景をこう何度も見せられると、常識とは何なのか疑うしかない。
「エリスちゃ~ん? お~い」
出口のない思考の迷宮に足を踏み入れてしまったエリスに呼びかける恵菜。
結局、彼女を元に戻すことができたのは日が沈んでからになってしまった。
この後、その他の宿メンバーも思考迷宮入りしました。




