救済の一手
「…………」
地に伏せっているケルベロスと、その体に背を預けるように座りながら目を閉じているクルーエル。そのリラックスした表情からは、彼女が上位アンデッドであることなど微塵も感じられない。
だが、周囲に満ちているのは密度の濃いプレッシャー。ケルベロスとリッチから放たれる圧力が合わさり、常人では呼吸をすることすら困難な程強くなったそれが、この空間一帯を満たしている。まるで何者もここに踏み入って来るなと言っているかのような、それでいて自分達の安寧が壊されるのを拒むかのように。
入った瞬間に気を失ってしまいかねない危険地帯に訪れている静かなひと時。だが、その時間も永遠には続かなかった。
「グルルルルルルル……!」
「……侵入者、ですか」
突如、ケルベロスがうなり声をあげながら首を上げる。入口を警戒するような動きに、目を開けたクルーエルもゆっくりと立ち上がる。
その視線の先にいたのは、入口からスタスタと歩いてくる恵菜の姿だった。
「……呆れたものです。あのまま逃げていれば死なずに済んだです。ノコノコとまたやって来るなんて……そんなに死にたいですか」
「死にに来たんじゃないよ。クルーエルちゃん達を助けに来たんだよ」
「戯言を……」
眉間に皺を寄せ、苛立ちの表情を見せるクルーエル。ケルベロスの方も常に威嚇するようなうなり声をあげている。こちらの警告を無視して踏み入って来た邪魔者に対し、相当ご立腹だ。
「もう二度と現れたりしなければ何もしなかったですが、こう何度も何度も来られても困るです。もう逃がしたりしないです。今度はちゃんと――殺すです」
「殺される前に助けてみせるよ! 『アクアボール!』」
先手を取ったのは恵菜。一気に大量のアクアボールを空中へ展開し、一斉に放つ。だが、クルーエル目掛けて飛んでいったアクアボールは、彼女が少し体をずらすだけで簡単に回避される。大量展開したアクアボールは、恵菜の周囲にスプリンクラーの如くばら撒かれただけで、全てがクルーエル目掛けて飛んで行ったわけではない。大きく回避すれば当たっていたかもしれないが、余波の少ないアクアボールなど大袈裟に避ける必要はない。
「舐めてるですか?」
より一層の苛立ちを露にしながら、クルーエルはそのままカウンターで闇属性中級魔法のダークランスを無詠唱で発動。宙に生み出された漆黒の槍が、恵菜の方へ一直線に飛んでいく。
「舐めてなんかないよ!」
それに対抗して、恵菜も無詠唱で魔法を発動する。発動したのは、ダークランスと同級で光属性魔法のホーリーウォール。正面に光の壁が出現し、ダークランスがぶつかった瞬間、ガァン!という金属質な音が響いた。
一瞬の拮抗。その後、ホーリーウォールが中心からバラバラと崩れ落ちる。そう簡単に壊れるほどやわな障壁ではないのだが、ダークランスの威力が相当強かったのだろう。
それでも術者を守るという最低限の役目は果たしたようだ。ダークランスはホーリーウォールを突き破るのに力を使い果たし、ホーリーウォールと共に消えていく。見る限りだと魔法の質は互角といったところか。
「もう一回――『アクアボール!』」
再び恵菜がアクアボールを大量に展開して放つ。だが、またしてもアクアボールは、恵菜の足下や遠くの地面など、見当違いの方向へと飛んでいく。
「……ハァ。――ケルベロス」
「グォアアアア!」
自分を通り過ぎていくアクアボールに見向きもせず、クルーエルがケルベロスの名前を呼ぶ。それに応えるかのように、ケルベロスは恵菜に向かって巨大な炎のブレスを吐き出した。
上級魔法でも受け止めるのが難しい以上、恵菜に取れる有効手段は回避のみ。ただ、回避の隙を最小限に抑えなければ、またケルベロスが狙ってくる。恵菜は小刻みなステップを繰り返して炎を回避しながら、ケルベロスの次の行動を注視し続ける。
しかし……。
「悪いですが、遊びに付き合うつもりはないです」
「っ……!」
すぐ近くで聞こえた声。横へ振った視線の先では、クルーエルが大きく引いた足を思いっきり振りぬこうとしているのが見えた。
ケルベロスの姿は捉えていた。ただ、それに比べると圧倒的に小さなクルーエルの姿は炎のブレスに隠れてしまう。それ故に、恵菜は接近する彼女をよく認知することができなかった。
「うぐっ!」
クルーエルの放った蹴りが、咄嗟に庇った腕ごと腹部に叩き込まれる。間違いなく身体強化による一撃だろう。想像を超える威力を持った蹴りにより恵菜は地面を転がされ、泥まみれになってやっと止まった。
「ゲホッ! っ!」
「――ここまでです」
腕と腹部の痛みを堪えて起き上がろうとする恵菜だったが、声と共に頬元へ突きつけられたダークランスを見て動きが止まる。
目だけを動かして横を見上げると、いつの間に距離を詰めて来たのか、ダークランスを持ったクルーエルがすぐ真横に立っていた。
「防御にホーリーウォールを使っていたということは、少なくとも中級以上の魔法が使えるはずです。だというのに、攻撃するときは最下級の魔法ばかり。しかも、当てる気すらないときたです。……本当にそれで私を倒せると思っていたですか?」
「……倒す気はないよ。助ける気は、あるけどね」
「……とんだ甘ったれな思考です」
この状況になってなお、恵菜は助けるという姿勢を崩さない。だが、助けられる側はそれを嬉しいとは全く思っていなかった。
「呪いの一つや二つでもかけて、良質な魔力袋として飼おうかとも思ったですが、下手に生かしておくと面倒だと分かったです。さっさと死んで……」
「――下、水浸しだね」
その言葉を聞き、クルーエルが下にチラッと視線を落とす。恵菜の言う通り、足下や周囲の地面にはたくさんの水溜まりができていた。原因は紛れもなく、恵菜が使ったアクアボール。
ここに来て、クルーエルの頭の中に疑念が過る。アクアボールだけしか使わなかったのは何故なのか、と。
何か罠があるのか。彼女が真っ先に思いついたのはそれだ。しかし、足下の水を利用して攻撃しようとしているのなら、わざわざ言う必要などない。そっちの方が不意を突ける。
そもそも、無慈悲になれないこの魔術師が、自分を倒せるほど強力な魔法を使えるはずがない。恐らくは注意を下に逸らして隙を作り、その間に逃げようとでもいうのだろう。アクアボールしか使わなかったのは、駄目だった時に意識を逸らさせて逃げるための保険に違いない。
ならば何も問題は無い。クルーエルは即座にそう判断し、視線を持ち上げようとした。
だが、恵菜の行動はそれよりも僅かに早かった。
(水華)
『――バァ!』
恵菜の囁き声で呼ばれた水華が、水の中から飛び出す。
――恵菜を驚かせた時と同じく、クルーエルの目の前に。
「…………ぁ……え?」
「ウー、ラメ、シヤ?」
首を傾げ、手をだらんと前に垂らす水華。何かが違う気もするが、日本のお化けが言いそうな台詞と共に現れた大精霊を見て、クルーエルが完全に停止する。
水華を知る者からすれば、水華のその仕草には恐怖どころか可愛さを感じたことだろう。だが、水華が何かを知らない者――特にお化けが大嫌いな者にとって、半透明な水華の姿はアレにしか見えない。
「――ひぃいいいいいいいいいいいやああああああああああああ!? ゴーストは嫌ですううううううううううううううううううう! 『ソ、ソウルプリフィケーションー!』」
クルーエルがその場から勢いよく飛び退り、浄化の魔法を水華に叩き込む。だが、光に包まれた水華は首を傾げるだけで、その体に変化はない。当然だ。水華はアンデッドではなく精霊。浄化の魔法など効きはしない。
だが、ゴーストだと思い込んでいるクルーエルは、自分の魔法が効かないのを見てパニックになる。
「ななななな、なんでです!? どうして消えないです!? こんなゴースト見たことないですよ!?」
「ウラーメシャ」
「いやあああああああああああ!? こっち来たですううううううううう!?」
悲鳴を上げながら全力疾走で逃げ出すクルーエルと、自分でも意味がよく分かっていないことを言いながら追いかけ始める水華。突然始まったリッチと大精霊の鬼ごっこ。中々にシュールな絵面である。
だが、今のクルーエルは、紛れもなく恵菜が知る彼女そのものの反応を示している。洗脳は完全に解けていた。
命がけのドッキリ。




