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人か魔物か

「はぁっ……! はぁっ……!」


 肩を押さえ、脚を引き摺りながら洞窟を走る恵菜。傷口からは未だに血が流れ続け、一歩進むたびにズキズキとひどい痛みに襲われる。だが、そんな状態でありながらも彼女は足を止めなかった。クルーエルとケルベロスが追撃に来るかもしれないからだ。

 当然、こんな怪我だらけの状態ではまともに戦えない。彼女達が追ってきていれば、それだけで万事休すだ。お願いだから誰もいないでと、恵菜は祈るように走りながら後ろを振り返る。


 その祈りが通じたのか、振り返った先には何の姿もなかった。どうやら逃げ切ったらしい。そこで恵菜はやっと足を止め、壁に背中を預けながらズルズルと座り込んだ。


 だが、休む前にやらなければいけないことがある。


「はぁっ……。――っぐう!」


 壁にもたれながら、肩に刺さっていたナイフを引き抜く。その瞬間の痛みに顔を歪めるが、躊躇いなくもう一本のナイフも一気に引き抜いた。


「っ……『カースディバイド』」


 恵菜の肩と脚に刻まれていた深紅の呪印が、発動した魔法によって消えていく。


 ブラッディナイフは中級の魔法。しかし、呪い自体の強さは中級でも下の方だ。恵菜が発動したカースディバイドも中級の解呪魔法だが、ブラッディナイフの呪いなら確実に解呪できる。

 だが、カースディバイド自体に治癒の効果は無い。当然、その後の治癒が必要となる。


『ハイヒール』


 呪いが消えたのを確認し、恵菜は治癒魔法で傷を塞ぐ。幸いにも傷自体は大きくなかったため、一度のハイヒールで傷は完全に塞がった


「――うん、動く」


 肩を回したり、脚を伸ばしたりして、怪我をした部位に異常が無い事を確認。塞がったばかりの傷口には、まだ若干の痛みが尾を引いていたが、それも段々と薄れていく。


 気づかないうちに他にも怪我をしていないか。恵菜は自分の体をざっと確認する。地面を転がったり壁に叩きつけられたりしたせいで少し汚れてはいるが、目立った外傷はなさそうだった。肩と脚の怪我だけで済んだのは、まだ運が良かったのかもしれない。


 だが、状況は悪いままだ。戦い始めた頃よりもケルベロスは凶暴化。さらに、味方だったクルーエルがケルベロスに洗脳されて敵対し、容赦なく攻撃してくる。それぞれ討伐しようと思えば白金ランクと金ランクの依頼となる存在だ。それを同時に――しかも一人で相手することがどれほど困難か。

 最上級魔法を含め、恵菜が使える魔法の全てでぶつかれば、一応何とかなる可能性はある。ただ、それは討伐だけを見据えた場合の話だ。恵菜の目的はケルベロスの討伐ではない。クルーエルを護衛し、ケルベロスを浄化できるように補助すること。それが当初の目的であり、今も変わらない。


 まともに戦えば死。殺すことも不可。考えられる手段は、クルーエルを洗脳状態から解放し、彼女にケルベロスを浄化してもらう以外ない。

 問題はクルーエルの洗脳をどうやって解くか、だ。洗脳を解くための魔法は軒並み光属性。クルーエルの光属性への耐性がどれくらいかにもよるが、決して打たれ強いとも思えない。しかも、クルーエル自身が相当の魔法の使い手。簡単に魔法は当てられないと思った方がいいだろう。


「魔法が駄目なら衝撃の方なんだけど……」


 実は、洗脳を解く手段はもう一つ存在する。


 それは恵菜も思いついている衝撃を与えるという方法だ。強い衝撃を本人に与えれば、洗脳が解けることがある。

 ただ、この方法は魔法で解くのと違って確実に解けるという保証がない。そもそもどのような衝撃を与えれば良いのか、明確に分かっていないのだ。唯一言われていることは、衝撃は体にではなく心に対するものが有効とされていることぐらい。実際、恵菜はクルーエルを蹴り飛ばしたが、それは洗脳を解く要素になり得なかった。

 非常に曖昧で分かりにくい条件。恵菜としてもどうしていいのかさっぱり分からない。確証がないのにぶっつけ本番で挑む無謀な行為はさすがにできない。


「……水華に頼るしかない、かな」


 どう足掻いても一人では難しいという判断に至る恵菜。異国の地に来たばかりで頼れる人は皆無だが、幸い、大精霊の水華ならどこでも呼べば出てきてくれる。


 実のところ、恵菜は水華に今回の戦いには向いていないと思っていた。力が足りないのではなく、力が足り過ぎているからだ。恵菜と接しているうちに少しずつ知識を得てはいるようだが、まだ加減を知らない水華に今回の依頼はあまり合わない。

 だが、状況はそうも言ってられなくなるほど悪化してしまった。もはや恵菜一人の力で現状の打開は期待できない。


「現金なやつって思われるかもしれないけど……」


 水華に軽蔑されないか一瞬不安になったが、すぐにその思考を振り払い、恵菜は水の入った小瓶を取り出し、中身を地面に撒く。魔法が使えなくなったときでも水華を呼べるようにと、数本の水入り小瓶を持ち歩くようにしているのだ。


「水華、出てきてくれる?」


 恵菜は足下にできた水溜まりに向かって、自身が名付けた大精霊に呼びかける。いつもならこれだけで即座に水華が水の中から出てきてくれる。


 しかし、しばらく待っても、水溜まりからは何の反応も返ってこなかった。


「……水華?」


 不思議に思った恵菜がしゃがみ込み、水溜まりに顔を近づける。まさか、水華に何かあったのか。そう思った時だった。


『――バァ!』


「きゃあああああああああ!?」


 悲鳴を上げながら水溜まりに尻もちをつく恵菜。水華が万歳をするように両腕を上げながら、恵菜の目の前に勢いよく飛び出してきたのだ。


『驚イタ?』


「驚くに決まってるよ! あぁ、心臓止まるかと思った……」


 クルクルと回りながら、クスクスと笑う水華。イタズラが成功してご満悦らしいが、やられた本人は涙目だ。

 流石の恵菜もこれには怒ろうとする。ただ、よくよく考えれば、自分も自分の都合よく水華を呼び出している。その罰だと思うと、それ以上抗議できなくなってしまった。


『エナ、呼ンダノハ、オ話スルタメ?』


「ごめんね、お話じゃないの。ちょっと今、困ったことになっててね」


『困ッタコト?』


「実はね……」


 恵菜が説明を始める。何故、このような場所に一人でいるのか。今がどれ程、最悪な状況なのか。時系列に沿って丁寧に話していく。


『――ソンナコト、アッタンダ』


「うん。それで、水華を呼んだ理由なんだけど……」


 現状の説明が終わり、恵菜が水華に手伝ってほしい事を告げようとする。


『分カッテルヨ。大人シクサセルンデショ? ドッチモ』


 察しの良い水華。この一年で水華も大分成長してくれたらしい。そう思う恵菜だったが……。


『サア、案内シテ。エナヲ傷ツケタ悪者ノ所ヘ』


 その水華の言葉を聞き、恵菜は凍り付いた。水華の考えていることが、自分の予想以上に過激なものであると悟ったからだ。


「ねえ、水華。大人しくさせるって言ったけど、どうするつもりなの?」


『倒スダケダヨ。二度ト動ケナクナルヨウニ』


 もう疑いようがない。完全に水華はクルーエル達を――殺す気だった。


「ま、待って、水華。どうしてそんなこと……?」


『二匹トモ、エナの敵ダヨネ? ナラ、倒シテモイイ。エナの敵ハ、ワタシの敵。傷ツケルノハ許サナイ』


 水華が誕生してからそれ程年月は経っていない。だが、出会ってから今までの付き合いで、恵菜は水華の実力が桁違いであることを理解している。そして、その実力があれば、たとえリッチとケルベロスを同時に相手したとしても勝てると自信を持って言えた。

 それと同様に、水華も自分にできることが分かっている。だからこそ、敵を倒すという発想に至ったのだろう。発想の内容自体には何も間違いはない。


 でも、水華にその発想だけはしてほしくなかった。その言葉だけは聞きたくなかった。それが彼女の本音だった。


「……水華。私との約束、忘れちゃったの?」


『? 何ノ約束?』


「人を傷つけちゃ駄目だって約束。クルーエルちゃんを倒しちゃったら、その約束を破ることになっちゃうよ」


 出会ったときに交わした約束。当然、水華もそれを覚えている。今までだって、一度たりともその約束を違えたことはない。


『ドッチモ、魔物ダヨ?』


 だが、今回の相手はどちらも魔物。クルーエルは人の姿をしているが、リッチという魔物であることは事実。それならば傷つけても殺してしまっても問題ない。今、水華が考えているのはそんなところか。


 しかし、恵菜は首を横に振る。


「ううん、違う。クルーエルちゃんは人だよ。ちゃんと人の心を持った、優しい人間。魔物と同じなんかじゃない」


 リッチだからと言ってしまえばそれまでかもしれない。だが、恵菜にとって大切なのは外見や存在ではなく、心を持っているかどうかだ。心は時に自身の行動を促し、時に抑制する重要な器官。それがあるからこそ、人は自分だけでなく他を思いやることができる。

 逆に言えば、心を失ったものは自身の欲と衝動のみで行動するようになってしまう。たとえ外見が人間であっても、それはもはや野生動物や魔物と同じだ。しかし、そうでないのなら、たとえ相手が異形の姿をしていてもお互いに仲良くできるかもしれない。


 クルーエルは今、ケルベロスに操られて心を失ってしまっている。それでも彼女の素の姿を知っている恵菜からしてみれば、クルーエルは紛れもない一人の人間。殺す理由など見当たるはずもない。


『……分カッタ。リッチハ倒サナイ。ケルベロスノ方ヲ倒スネ』


「そっちも駄目。あれはクルーエルちゃんにとって大事な存在なの。倒しちゃったら、クルーエルちゃんが悲しむよ」


『ンムウゥ……』


 首を傾げながら難しい顔をする水華。何故、恵菜に止められたのか。その理由に納得……いや、理解ができていないようだ。


 当然だ。言ってしまえば、これは恵菜の個人的思想に過ぎないのだ。肯定する者も一定数いるだろうが、否定する者も必ずいる。各々には各々の考えがあり、生き方がある。

 しかし、それでも恵菜は水華にこの考えを理解してほしかった。たとえ考えを押し付ける様なこの行為が、自らのエゴだと分かっていても。


『……良ク、分カラナイ。ケド、エナガ言ウナラ、倒サナイ』


 ただ、水華が悩んでいたのは僅かな間だけだった。恵菜が望まないのであれば、自分もそれを望まない。それが水華の信念であった。


『デモ、ソウナルト、ワタシ、何モデキナイヨ?』


 やはり水華にとって、クルーエルやケルベロスを倒すことは可能だったのだろう。だが、倒さないように手加減して攻撃するというのは難易度が高いらしい。


 もっとも、それは恵菜も予期していることだった。


「いや、できるよ。むしろ、水華にしかできないことをやってもらいたいの」


『私ニシカ、デキナイコト?』


 自分にできることがないのではと落ち込んでいた水華の表情が、恵菜の言葉を聞いて明るくなる。


「本当は水華を呼んだ時には何をしてもらうか考えてなかったんだけどね。でも、さっきので思いついちゃったんだ」


『何スルノ?』


「えっとね――」

暗闇+人型で半透明+突然出現=ドッキリ大成功

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ややこしい女ですな。 人の好さ、全開ですな。
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