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向けられた殺意

「クルーエルちゃん! お願い、正気に戻って!」


「戻るも何も正気ですよ……。いったい何を言ってるですか?」


 恵菜が呼びかけるも、返ってくるのは望まぬ答え。当然だ。その程度ではマインドコントロールの魔法が解けるはずもない。術者が自らの意志で解く以外には、魔法による解呪ぐらいしか確実な手段がないのだ。

 逆に言えば、魔法で解呪することでクルーエルは正気に戻る。しかし――


「『カー……』――駄目っ、クルーエルちゃんに使ったら……」


 恵菜はクルーエルのマインドコントロールを解こうとするが、すぐに思い留まる。クルーエルも広義的にはアンデッド。そして、解呪の魔法はその全てが光属性。マインドコントロールは解けるかもしれないが、クルーエルに何らかの悪影響が出ることは間違いない。仮に死ななかったとしても解呪魔法で動けない程のダメージを負ってしまい、そこをケルベロスに襲われたとなれば、クルーエルは命を落とすことになる。


 そんな一瞬の躊躇いからの魔法の中断。魔法を発動した後のことを考えて即座にキャンセルしたのは流石といったところか。だが、魔法を発動しなかった後のことを考えるなら、その選択は失着。その僅かにして大きな隙は、恵菜に代償を支払わせる。


「ブハアアアアア!」


「っ! 『ブリーズ!』」


 ケルベロスの右頭から吐き出されたブレス。反応が遅れた恵菜は、ガスに包まれつつある場所から逃れるために後ろへと飛び退りながら、風でガスを吹き飛ばす。


「ウガアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 最初と同じように、恵菜が飛んだのを見計らって突っ込んでくるケルベロス。戦闘開始直後にやられた時と似た、足が地面から離れた瞬間を狙われた形だ。

 しかし、今度は助けてくれる者はいない。


「くっ!」


 同じミスをしてしまった自分に苛立ちを覚えつつも、恵菜は飛行魔法を発動。巨大なケルベロスの前足が迫ってくる方とは逆へ逃げる。


 だが、ケルベロスのスピードが速すぎた。一瞬で間合いを詰め、薙ぎ払うように振るった前足は恵菜の足を掠めた。


「きゃあああっ!?」


 掠めたときの衝撃とケルベロスの攻撃によって生み出された風圧に押され、恵菜は空中を吹き飛ばされる。態勢が思いっきり崩れてしまったこの状態では、高度な制御が要求される飛行魔法など使えるはずもない。できるとすれば、自身が飛んでいく方向とは逆に強い風を吹かせることぐらいだ。

 当然、それだけで飛ばされた勢いを完全に消すことはできない。恵菜は宙を横一直線に飛ばされ、洞窟の壁に背中から激突した。


「がっ……!?」


 全身を襲う鈍い痛み。それに加え、壁に叩きつけられた衝撃で肺から空気が押し出される。恵菜はその苦痛に思わず倒れ込みながら咳込んでしまう。

 しかし、いつまでもこんな隙を晒しているわけにはいかない。早く起き上がらなければ追撃が来る。恵菜は自分の体に鞭を打ち、すぐに態勢を立て直そうと体を起こそうとした。


 だが、それも僅かに遅かった。


 持ち上げた視線の先では、いくつものナイフがすぐそこにまで迫っていたのだから。


「っ――!?」


 魔法で防ぐのは間に合わない。そう判断した恵菜は回避を選択。体を投げ出すように地面を転がり、頭や胸など致命傷となり得る箇所を狙ったものは何とか躱す。


 だが、全てを避けきることは不可能だった。絶妙に体から狙いを外したナイフが、回避した恵菜の行く手で待ち構えていた。


「あぐぁ!?」


 襲い来る激痛に思わず恵菜が叫ぶ。彼女の右肩と左脚に切っ先を沈めたナイフは、傷口に紅い模様が浮かび上がらせた。


 闇属性中級魔法、ブラッディナイフ。見た目はただ小型のナイフを飛ばすだけで、中級魔法にしては少し見劣りするかもしれない。ただ、この魔法の真価は威力ではなく不随効果。ナイフには呪いが付与されており、命中した相手の傷口に呪いを与える。

 その呪いの効果は、治癒の阻害。自然治癒は当然のこと、魔法による治癒すらも受け付けない。ナイフを抜いた後も解呪しない限り、その効果が永遠に続く厄介な呪いだ。


 当然、そんな呪いを放っておくわけにもいかない。恵菜は倒れながらも、急いで呪いを解呪しようと試みた。


 だが……。


「させると思うですか?」


「なっ!? うぐっ……ぁ……!」


 いつの間に移動してきたのか。恵菜の目の前にいたクルーエルが恵菜の首を右手一本で掴み、そのまま持ち上げる。怪我による痛みと呼吸を阻害される苦しさに、恵菜は魔法を上手く使うことができない。


「そういえば、魔力が少なくなってたですね……丁度良く補充できそうな相手もいることですし、貰っておくです――『マナドレイン』」


「っ!? あああぁっ!」


 恵菜の首を掴んでいたクルーエルの右手が怪しく光る。その途端に、恵菜は自分の中から魔力が徐々に失われていくのを感じた。自分の意志とは関係なしに魔力が奪い取られていく感覚は、形容しがたい不快感をもたらしてくる。

 魔術師が魔力を失うのは、剣士が剣を失うに等しい。いや、むしろそれ以上だろう。抵抗する手段が完全に失われてしまうのだから。そうなればクルーエルを助けることはおろか、自分の命すら危うくなる。


「くぅっ……! ごめんっ!」


「……!」


 恵菜はクルーエルの手から逃れるべく、強化していた体でクルーエルを蹴りつける。型も何もないただの蹴りだが、素の身体能力と魔力強化が相まって威力は相当のものだったらしく、体を蹴られたクルーエルは後ろへ吹っ飛ぶ。

 魔力の流出を止め、クルーエルとの距離も稼ぐことができた。これなら魔法の一発は発動できるかもしれないが、解呪と治癒の両方を行っている時間はない。そんな隙を見せれば、またしてもクルーエルの容赦ない追撃が来る。それにクルーエルだけではない。今は何故か攻撃してこようとはしていないが、ケルベロスからの攻撃もあり得るのだ。

 ただ、この状態で戦ったとしても勝てる見込みは零だ。一対二――こちらは手負いで相手はどちらも強敵。どう考えても待っているのは敗北と死である。戦うなどただの自殺行為でしかない。


 恵菜は戦闘続行が無謀だと判断し、迷いなく無詠唱でダークミストを発動する。大量に生み出された漆黒の霧は一瞬で辺り一面に広がり、恵菜だけでなくクルーエルらも巻き込んでいく。


「ウグルラアァ!」


 ケルベロスが両前足を勢いよく地面に叩きつける。その風圧によってダークミストが払われていき、徐々に視界が晴れてくる。


 だが、視界の晴れた先に恵菜の姿は無い。あったのは、最初に入って来た入口へと続く、いくつもの紅い点だけだった。

頼れる味方は脅威に。

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