遅すぎた後悔
「ねえ! どうしたの!?」
恵菜が呼びかけるが反応は無い。さっきまで暴れていたはずのケルベロスが微動だにしない。強力なブレスを吐いていた左右の頭も項垂れるように下を向き、今は何もしてこようとしなかった。
「一体どううなってるですか……? 突然、動かなくなっちゃったです」
「分からない……。浄化は? いけそう?」
「……まだ難しそうです。もう少し弱らせないと」
浄化が無理だということは、ケルベロスが弱っているというわけではないらしい。そうなると、ますますケルベロスがこうなってしまった理由が分からない。
だが、クルーエルにとってそんな理由はどうでもいい事だったようだ。
「エナさん、チャンスです。今ならどんな攻撃も当たるです。二人で同時に上級魔法を撃つですよ」
今、ケルベロスは動かずに無防備状態。巨大な的相手に攻撃して外す方が難しい。
ただ、規格外な恵菜はともかく、クルーエルは中級までしか詠唱を省略できないようだ。もちろんそれだけでも優れた魔術師であることに違いないのだが、上級魔法の詠唱は長く、戦闘中に唱えている余裕はない。しかし、今ならばその時間がある。クルーエルの言う通り、攻撃するには絶好の機会である。
「……そう、だね」
一瞬の逡巡の後、恵菜は攻撃を決意。呼びかけても返事がないのなら、言葉で解決することは不可能。目的が浄化であるのなら、今優先すべきはケルベロスを弱らせることだ。かわいそうだが、恵菜達が取れる解決策はそれしかない。
「なら、エナさんはシャイニングレイを。私も使える中で一番……」
――ザリッ……。
クルーエルが簡単に使う魔法の確認をしようとしたその時、二人の耳が妙な音を捉えた。その音の発生源は、正面にいるケルベロス……。
「!! 『ホーリーランス!』」
異変を感じ取った恵菜が、即座にホーリーランスをケルベロスに向かって放つ。使う魔法も違えば、クルーエルとタイミングを合わせてもいない。しかし、それを無視してでも今すぐ攻撃しないといけない。彼女はそう直感的に感じたのだ。
放たれたホーリーランスがケルベロス目掛けて飛翔し、距離を半分にまで詰める。対して、ケルベロスは未だにその場から動こうとしない。
これなら命中する。恵菜はそう確信していた。
「なっ!?」
だが、恵菜は自分の目を疑った。なぜなら、ケルベロスが地面に沈み込むようにして、一瞬で消えてしまったからだ。
目標を失ったホーリーランスは何もない空間を通り過ぎていく。そして、それを見計らったかのようにケルベロスが地面から姿を現した。
「まさか、ゴーストみたいに……?」
恵菜の脳裏に浮かんだのは、初めてゴーストに襲われた時の光景だ。今のケルベロスの行動は、洞窟の壁をすり抜けてきたゴーストと全く同じだった。普通のケルベロスにあんな芸当はできないだろうが、目の前にいるのは半ゴースト。だからこそ、あのような回避ができるのだろう。
さっきまで見られなかった動きに戸惑う二人。そんな彼女達を、六つの光る目が睨みつける。
「ガルルルルラアアアアアアアア!」
「グオオオオオオオオオオオオオ!」
「ギシャアアアアアアアアアアア!」
三つ首が同時に発せられた咆哮。頭がおかしくなりそうな轟音の波から逃れようと恵菜達は耳を塞ぐが、空気や地面から伝わってくる振動がその凄まじさを直接体に伝えてくる。
増えた頭数で言えばたったの一。だが、その一によって、ケルベロスは先程と同個体とは思えない程に変貌してしまった。
「ガグアアアアア!」
「っ! 『ビッグウェーブ!』」
ケルベロスから吐き出される炎のブレス。それに対抗して、恵菜は上級の水属性魔法、ビッグウェーブを発動。アクアランスの様な一転突破の魔法と違って、こちらは物量で押しつぶすタイプの魔法だ。もちろん、中級魔法に比べれば威力も段違いである。大量の水が瀑布の如き勢いで、ケルベロスが吐いた炎に向かって突き進む。
直進する火炎と大波は必然、そのままぶつかりあうだろう。しかし、こちらは上級魔法――しかも属性の相性も有利。そう簡単に負けるはずがない。
だが、恵菜のその予想は大きく裏切られる。凄まじい蒸気が立ち上ったかと思った次の瞬間、大波のど真ん中を突き破った火炎がそのまま恵菜に向かって迫って来たからだ。
「嘘っ!?」
自分の方が負けるなどとは想像していなかった恵菜が思わず口走るが、即座にその場から飛び退る。
直後、飛来した火炎がさっきまで立っていた場所へ着弾。爆弾でも炸裂したかのような爆音と共に広がる熱波が、恵菜の肌を赤く染める
(威力が高くなってる……! やっぱり、さっきまでは真ん中が抑えてくれてたんだ!)
恵菜がビッグウェーブを選択したのは、先にケルベロスが放った火炎ブレスの威力を鑑みてのことだ。言い換えれば、これならば対抗できるという自信があった。
しかし、結果は見ての通りだ。相殺はおろか、相性の有利を覆されてしまった。間違いなく今のケルベロスは最初の頃よりも強化されている。いや、本調子に戻ってしまったと言うべきか。
「『ホーリーランス!』――くっ、避けられたです!」
恵菜とケルベロスのぶつかり合いの間に横へ回り込んだクルーエルが、ケルベロスに向かってホーリーランスを放つ。不意を突けそうな攻撃だったが、ケルベロスは大きく跳んでそれを避ける。回避動作も全然無駄がなく、今のケルベロスに攻撃を当てるのは難しそうだった。
「どうなってるですか。あの子達、動きがさっきと全然違うですよ」
「たぶん、真ん中の頭が今まで押し留めてたんだよ。私が言ってた声もその個体のだったんだ」
「そんな! じゃあ、今は!?」
「今は、もう……」
首を横に振る恵菜。それを見たクルーエルの顔が後悔の表情で染められていく。
だが、懺悔している暇をケルベロスは与えてくれない。
「グルギャアアアアアアアアアアア!」
ケルベロスが雄叫びを上げながら二人に向かって突進してくる。スピードも先程より明らかに速い。
「っ! 避けてっ!」
「ひぃいい!?」
予備動作に気づけた恵菜が警告しながら横へ逃げる。一瞬遅れてクルーエルも逆側へと逃げ、紙一重でケルベロスの巨体を躱すことに成功した。
攻撃を外したケルベロスだったが、即座に制動をかけて振り返る。何故あのスピードとその巨体で壁にぶつからずに止まれるのか。流石の恵菜もズルいと文句を言いたくなる。
しかし、そんなことを言っている余裕はない。ケルベロスの左頭が恵菜の方へと向いたからだ。
「ブヘアアアアア!」
『ブリーズ!』
左頭による毒のブレスを、恵菜が風で外へと逃がす。こちらも先程に比べて吐き出される量が増えているが、少し強めたブリーズで対処できている。
だが、何故か左頭はずっとブレスを吐き続ける。このまま続けても恵菜には届かないというのに、何故無駄な事をしているのか。そう思った恵菜だったが、すぐにその理由に思い至る。
左頭は恵菜の方を向いているが、残りの二つが向いているのは恵菜と逆。つまり、クルーエルは今、ニ対一の状況だ。向こう側へ行こうにも、生み出され続ける毒ガスのせいが邪魔をして進めない。
「きゃあああ!」
「っ!?」
ズズンッ!という轟音と共に、向こう側から聞こえてきたクルーエルの悲鳴。ケルベロスの巨体と毒ガスが邪魔で向こうの様子はよく見えないが、クルーエルが危ないのは間違いない。今すぐにでも助けに行かなければ。
『アースウォール!』
ブリーズを発動しながら、恵菜が土属性のアースウォールを発動する。身を守るための壁ではない。発動したのは恵菜の真正面から遠く離れた、ケルベロスの顎の下だ。
「グボ!?」
真下から突きあがってきた土壁が顎を直撃し、左頭が強制的に口を閉じさせられる。毒霧が止められたその一瞬を見計らい、恵菜は猛ダッシュ。その勢いと飛行魔法を駆使し、ケルベロスを大きく飛び越えて着地する。
「そんなっ……!」
そこで見たのは、周囲を炎に囲まれて逃げ場を失っているクルーエルの姿だった。まだ立ってはいるが、あちこちに小さな傷が見える。
「ガウオアアアア!」
「くっ!」
救出に動こうとした恵菜の正面に次々と打ち込まれる火炎。こうも妨害されては近寄ることはおろか、自分の身を守るだけで精一杯だ。
「エナさん! 今は自分の身を守るですよ! 私もまだやれるです!」
「でも火が!」
「これぐらいの広さがあればまだ逃げ回れるですよ! それに体が冷たい冷え性の私にはちょうどいいです!」
恵菜の心配を他所に、クルーエルが笑えない冗談を交えて余裕をアピールする。だが、それは強がりにしか聞こえなかった。
「コラ! エナさんばかり狙ってるんじゃないですよ! 育ての親を無視する悪い子にはお仕置きです! 『ホーリ――』」
怒りの矛先が少しおかしいクルーエルが、抗議しながらケルベロスに魔法を放とうとした。
その時だった。
「グルゥ……」
「――え?」
ケルベロスの鳴き声。それは先程までの咆哮とは明らかに違う。その異常にクルーエルは戸惑い、魔法を中断する。
「グゥ……」
「ま、まさか、思い出したですかっ? 自分が何者で私が誰か、思い出したですか!?」
信じられないといった表情でクルーエルがケルベロスを見やる。それに対し、囁くような鳴き声と共に、頷くような仕草で応えるケルベロス。さっきまでの暴れっぷりもなくなり、今は落ち着いている。
(正気に戻った……? いや、でも……)
一見すれば、理性を取り戻したかのように見える行動。しかし、恵菜は心の底にある違和感を拭えなかった。
確かにクルーエルを攻撃しようとはしていない。だが、今、ケルベロスが発しているのは鳴き声……ただの音だ。先程のような言葉は一切しゃべっていない。本当に理性を取り戻したのであれば、先程の声が聞こえるはずなのだ。
別の意図がある。直感的にそう悟った恵菜は、ケルベロスの真ん中の頭がその目を怪しく光らせているのに気が付き、戦慄した。
あの光を恵菜は知っている。自分が数日前に使った魔法と同じ光だからだ。
――そう、盗賊集団相手に使ったあの魔法と。
「見ちゃ駄目えええええええええええええええ!」
必死の叫び。その制止も空しく、恵菜が目を逸らす直前まで、クルーエルは視線を動かそうとはしなかった。
「グルガォ!」
ケルベロスの声と共に、空間に紫の光が満ちる。一瞬ではあったが、それは目を閉じている恵菜でも、瞼の向こう側から薄っすらと感じる程の強さだった。
光が止んで、恵菜が目を開ける。目を閉じる前と開けた後で、ほとんど状況は変わっていない。クルーエルの周りにあった火が消えているのと、彼女が崩れ落ちるように座り込んでいるのを除いて。
「……クルーエル、ちゃん?」
「…………」
恐る恐る、恵菜がクルーエルの名前を呼ぶ。だが、反応は無く、無言のまま座り込んでいる。ケルベロスの魔法が成功したのか失敗したのか。これでは判断がしづらい。
もう一度、恵菜が呼びかけようと口を開きかける。と、その前にクルーエルが反応を示した。
――無言で恵菜に向かって深紅のナイフを飛ばすという行動をもって。
「っ!?」
空中に突如出現して飛んできたナイフに驚きながらも、恵菜は反射的に横っ飛びでそれを回避する。詠唱が一切聞こえなかったということは、今のはクルーエルの無詠唱による魔法攻撃。
その不意打ちが意味することはただ一つ……。
「殺す……この子達に近づく者は皆、私が殺すです」
スッと体を起き上がらせた彼女から発せられる、感情を失った機械のような声。光を失いながらも強い殺意を感じさせる、恵菜を睨み続ける両目。
姿は一緒でも雰囲気は普段と完全に違う。クルーエルではなくなった冷酷なリッチがそこにいた。




