洞窟の怪物
翌日、久々の風呂で存分にリフレッシュした恵菜は、風呂場に描いた魔法陣と同じものでクルーエルの言うお守りを作成。二人はこのお守りを持って、再び洞窟へと向かった。
だが、恵菜は洞窟に入るまではお守りでゴーストを追い払えるのか不安だった。風呂場でゴーストは出現しなかったのだが、たまたまゴーストが来なかっただけという可能性もあったからだ。対して洞窟はゴーストの巣窟。お守りが効かなければ間違いなく襲われる。
しかし、恵菜の心配は杞憂に終わりつつあった。
「びっくりするぐらい順調ですね~」
「ほんとうにね。作った私もここまでちゃんと効果を発揮するなんて思ってなかったよ」
洞窟に入って数十分。彼女達を襲ってきたゴーストの数は未だにゼロだ。つい昨日襲撃を受けた場所も難なく通り過ぎ、二人の足取りも軽い。
「ところでだけど、このお守りがあるんだったら私っていらなかったよね。護衛する必要がないんだし」
「何言ってるんですか! お守りがきちんと効果を発揮しなかったら私一人になっちゃうです! それに、もしかしたら強力なゴーストも出てくるかもしれないです! その時はちゃんと守ってほしいです!」
「いやー……その時は二人で逃げようよ」
将来の事を考えるなら、ゴースト相手でも恐れず戦えるようにならないといけない。恵菜としては超不本意だが、白金ランクでゴーストを倒せないなど笑い話にしかならないからだ。
しかし、今すぐどうにかなるものでもない。今の恵菜にとっては、このお守りこそがゴースト対策の全て。これが効かないとなるともう逃げる以外の選択肢がない。願わくは何の問題もなく最後まで行ってほしいというのが彼女の願いだ。
「っ!?」
と、ここに来て、クルーエルの足が止まった。彼女に袖を引っ張られていた恵菜も釣られて立ち止まる。
「ど、どうしたの?」
「……この先、すっごい強い負の力を感じるです」
クルーエルが指さす先。そこには左へと直角に折れている曲がり角がある。言い方からしてゴーストがいたわけではないようだが。
「それって、一体どんな――っ!?」
曲がり角に近づく恵菜。だが、曲がり角に一歩足を踏み入れた瞬間、彼女の体を強烈な悪寒が襲った。
驚いた恵菜は慌てて後ろに下がる。身も竦むような、それでいて体の内側を締め付けるような禍々しさ。一日中そこにいれば気が狂ってしまいそうなぐらいのプレッシャー。今までに感じたことのないような気味の悪さだった。
「エナさんも分かったですか」
「うん、凄い嫌な感じだった。もしかして……」
「そうです。これこそが、私がずっと探していたものです」
彼女が探していたもの。ということは、間違いなくこの先にいるのは……。
「なら行こう。クルーエルちゃんの目的を、今日ここで果たそう」
「――はい」
曲がり角に入る前に、恵菜は自らの体を魔力で覆う。いつ戦闘になっても大丈夫なようにしておくというのもあるが、これには負の力から身を守るという役割もある。どれくらいその場にいるのかにもよるが、素の状態では、この負の力によって精神が削られ過ぎる。
一方で、クルーエルの方は何もしなくても平気そうだ。負の力が強いアンデッドだからだろうか。いずれにせよ、クルーエルがついて来られるのであれば何も問題無い。浄化ができるのはクルーエルだけなのだ。
曲がり角を進み無言で歩く二人。お互い緊張感が高まっているのが伝わってくる。さっきまでの雰囲気は微塵も感じられない。
そのまましばらく歩き続けていると、長かった通路に終わりがやってきた。
「やけに広いね」
「こんな場所があったですか……」
今までに通って来た通路の何倍もあるだろうか。二人の目の前に大きく開けた空間が現れる。頭上からは空気が流れてきており、天井付近に穴が空いている。どうやら、あそこは外へ繋がっているようだ。空気が淀んでいないのもあの穴のおかげか。
洞窟の先にここまで広い空間があるなど、二人は全く想像していなかった。しかし、これはむしろ恵菜にとってはいい環境だ。狭い通路だと魔法の威力を押さえなければ自分達にも被害が出かねないが、これ程の広さがあればある程度大きな魔法を使っても心配はない。
(まあ、戦闘にならないのが一番なんだけど)
他を拒絶するようなプレッシャーをまき散らしているのだ。そこに真正面から突撃して何事もなく全てを終えられたら奇跡に近い。
それでも恵菜は望み薄な期待をしつつ、先へと進んでいく。
その時だった。
「グルルルル……!」
「!」
恵菜達がいる場所よりもさらに奥。そこから聞こえてきた低いうなり声。暗くてよく見えないが、微かに何かが動いている。
『ライト!』
ここまで接近できる時点で、お守りの効かない相手であることは確実。恵菜が光を灯し、それを奥の暗闇へと飛ばす。そして、ついにその正体が露になった。
獰猛な肉食獣と見間違うかのような迫力を持つ頭。人の背丈の二倍以上はある巨大な獣の体。四本の足は全てが丸太のように太いが、少しだけ後ろ足の色が薄くなっている。半ゴースト化している証だ。
半ゴースト化しているということを除けば、巨大な犬という表現が一番しっくりくる。だが、決定的に違う点が一つあった。
それは、頭の数。体は一つだというのに、こちらを見据える顔の数は――三。
三つ首の巨大犬。その特徴を聞けば、この世界では誰もが同じ魔物を思い浮かべる。そんな特徴を持つ魔物など、この世に二種として存在しない。
その名前は――ケルベロス。ギルドが推奨する討伐ランクは最低でも白金。知名度、危険度共に、魔物の中ではトップクラス。上位のドラゴン相手と三日に及ぶ死闘を繰り広げ、決着つかずに引き分けたという伝承もある。
そんな厄災にも等しい化け物がそこにいた。
「グゴアアアアアアアアアアア!」
「ギシャアアアアアアアアアア!」
左右の頭が同時に咆哮を上げる。ビリビリと大気を震わせるほどの振動が辺りを駆け巡る。
その迫力は、恵菜が今までに相対した魔物の中で、間違いなく一番だった。まるで金縛りにでもあったかのように体が固まってしまう。相手がゴーストだからというのもあるかもしれないが、それだけではない。初めて味わう、圧倒的な存在を目の当たりにした恐怖が恵菜を包み込んでいた。
そんな動けない恵菜の横を、一つの影が通り過ぎた。
「ネロン! クィル! テルサ! 私です、クルーエルです! あなた達を育てていたクルーエルです! 忘れたですか!?」
飼っていたときの名前だろうか。クルーエルがケルベロスの前に走り出て必死に呼びかける。彼女のその行動は、助けたいという一心から来たものだろう。
「シャアアアアアア!」
「グォアアアアアア!」
だが、ケルベロスから返ってきたのは否定とも取れる再びの咆哮。記憶を失っているのか、それとも自我が残っていないのか。いずれにせよ、クルーエルが何者かを理解していないのは明白だった。
「……っ! お願いです! 正気に戻るです! あの頃の自分達を思い出すです!」
一瞬だけ悲し気な表情を見せたクルーエル。だが、諦めずに再度呼びかける。怖がりなはずの彼女は、足を震わせながら必死にケルベロスを落ち着かせようと試みる。
(クルーエルちゃんがあんなに頑張ってるのに、私は何をしてるの!)
その姿を見た恵菜は自分を叱咤する。吠えられただけで動けなくなっていてどうするのか。このまま棒立ちになっていていいはずがない。
唇を噛みしめ、気力でプレッシャーを跳ね除けた恵菜。その時、クルーエルの声を煩わしく思ったのか。ケルベロスの前足が大きく振り上げられた。
「危ないっ!」
危険を察知した恵菜は、反射的に地面を蹴ってクルーエルのもとへ急ぐ。そのまま彼女を抱え込むようにしてその場から飛び退る。
――ドゴォン!
直後、クルーエルがいた場所にケルベロスの足が叩きつけられた。その真下にある地面は大きく抉れ、辺りに石の破片が飛び散っている。あと一歩恵菜の助けが遅れていたら、あの強力な一撃で潰されていた。そう思うとクルーエルも顔が引き攣ってくる。
「大丈夫?」
「へ、平気です。エナさんが助けてくれたおかげで」
「気を付けてね。気を抜いてると一瞬でやられちゃうよ」
恵菜の言葉は自分に対しての意味も含んでいる。自分だけでなく、クルーエルをも巻き込んでしまいかねない失態だった。もう二度とあんな醜態を晒したりはしない。
「クルーエルちゃん。早く浄化を」
「そうしたいですが、あの子達の負の気が昔と比べて段違いになってるです。あれだと浄化の魔法を使っても弾かれちゃうです」
「そんな……。じゃあ、どうしようもないってこと?」
「いや、方法はあるです。あの子達を弱らせれば、負の気も弱くなっていくです。そこを浄化すれば……」
「浄化できるかもしれないってことだね……。でも、見たところ話は通じ無さそうだし、大人しく弱ってはくれないよね」
浄化魔法一発で終わりという線は無くなった。当然、恵菜達が攻撃すれば向こうも反撃してくるに決まっている。先の一撃以外にどんな攻撃をしてくるのか分からないが、あの巨体から放たれる一撃は全て致命傷になると思っておいた方がいいだろう。
「とっても厚かましい……いや、それどころじゃないことを承知でお願いするです。あの子達を浄化するのを、手伝ってくれないですか?」
ケルベロスを見据えながら、クルーエルが横にいる恵菜に頼み込む。だが、手伝うと言えば簡単に聞こえるが、内容的にはケルベロスと戦うということ。ゴースト化した魔物は弱体化すると言われているが、相手が相手だけに、戦うのは命を懸ける行為に等しい。
当然、クルーエルもそれは理解している。だが、彼女一人ではどうしようもないことだって分かっている。今ここにいるのが恵菜しかいない以上、彼女は恵菜に頼るしかないのだ。
断られるのも覚悟の上。しかし、恵菜の答えは最初から同じである。
「今更頼まれなくても、手伝うに決まってるよ。浄化するまで護衛するっていう約束だったんだしね」
ギルドからの正式なものではないといえ、これも立派なクルーエルからの依頼だ。途中で逃げ出すという選択肢など、彼女の中には存在しない。
「っ、ありがとうございます。私も微力ながら戦うですよ。魔法学院卒業は伊達じゃないってことを、あの子達に見せてあげるです!」
「浄化の魔法分の魔力は残しておいてね」
「もちろんです! 最後の最後に魔力がなくなるなんてみっともない真似はしないです!」
恵菜が手伝ってくれると再確認できたクルーエルが意気込む。それをチラッと見た恵菜は少しだけ笑みを浮かべた後、ケルベロスの方へと向き直る。
「それじゃ――」
いくよ。恵菜がそう言いかけた時だった。
『コナイデ……』
そこに昔の面影は……。




