こういうところは鈍い
「エナさーん。まだですかー?」
「もう少しだよー」
扉越しにクルーエルが呼びかけると、その向こう側から恵菜の声が返ってくる。
恵菜の強引な案内要求に従わされたクルーエルは、教会にある風呂場の場所まで恵菜を案内。風呂を見た恵菜は涙を流すほど感激し、「じゃあ、ちょっと改良するから待ってて」と言い残し、風呂の扉の向こうへと消えていった。それから二十分ぐらい経過しているが、未だに恵菜は作業を続けている様子。
一体何をするのか。クルーエルは当然気になったのだが、恵菜は教えてくれなかった。どうやらクルーエルを驚かせたいらしく、終わるまで秘密とのこと。
念のために言っておくが、ここはクルーエルが住んでいる場所である。この風呂も一応は彼女のものと言っていい。だが、恵菜はそんなことお構いなしで、風呂場を絶賛改造中だ。なかなかにぶっ飛んだ行動をしている。
ただ、本当にやめてほしいならクルーエルも必死に止めるだろう。拒否する前に恵菜が施工を開始した疑惑もあるが、クルーエルは明確な拒否反応を示していない。彼女も彼女で、少しはゴーストに襲撃されない措置というものに期待しているのかもしれない。
「……エナさーん?」
「もうちょっと待ってー。えっと……これがこうで……うわ、ここ間違えてる。危なかった」
何やら不安を駆り立てる声が聞こえてくる。本当に大丈夫なのか。風呂が消えて無くなってしまわないか。クルーエルも少しずつ不安気な表情になってきたときだった。
「ここはよし……ここもよし……。うん、できたよ!」
中から扉が開けられ恵菜が出てくる。無事作業が終わったことに安堵するクルーエルだったが、部屋の外からでも分かるぐらいの大きさで壁に描かれていたソレを見つけて首を傾げる。
「これは?」
「見ての通り、魔除けの魔法陣だよ。しかも、今回のは特別製で、アンデッドだけがこの部屋に入って来られないようにしてみたの。少しでも効果が長持ちするようにね」
魔法陣も魔法と同じように、効果を発動するには魔力を要する。当然、魔力がなくなれば何の効果も無いただの模様と化す。そして、基本的にその消費量は効果の質や数の多さに比例して増える。
一般的に、この効果の持続時間を延ばすためには、今回のように効果を限定するという方法を取ることが多い。本来、魔除けの魔法陣は魔物全般が周辺に寄り付かないようにする魔法陣だ。恵菜はその対象を魔物全般からアンデッド系に絞り、さらには範囲をこの部屋限定とすることで、魔力の消費量を抑えている。
「見ての通りって……これをエナさんが零から描いたですか? しかも、改良まで?」
「そうだよ。ごめんね、時間かかっちゃって」
そう謝る恵菜。だが、魔法陣を正しく描くにはかなりの知識と技術を必要とする。魔法陣の中では初歩とされるものでさえ、描けるようになるまで莫大な時間を勉学に費やさねばならない。恵菜はそこにアレンジを加えるどころか、それを数十分で描き上げてしまったのだ。
恵菜が何をしていたのか分かるまで、クルーエルはずっと何を長い事やっているのかと思っていた。だが、今はこの短時間でここまでの魔法陣を描き上げたことに対する称賛しかない。
「す、凄いです! リルシャート全体を探しても、ここまで卓越した技術を持つ魔術師はそういないです! どこでこの魔法陣の技術を身に着けたですか!?」
「うーん……独学?」
ユーリエのことをしゃべるわけにもいかないので、恵菜はそう誤魔化す。だが、魔法はユーリエから学んだものの、魔法陣は本当にほぼ独学だ。嘘は吐いていない。
「ほぇ~、独学でこのレベルの魔法陣が描けるようになるですか……。エナさん、天才です?」
「そんなんじゃないよ。半分ぐらいは努力の成果だよ」
「もう半分は?」
「……運、かな」
死ぬ直前だった頃に神様から贈物を貰って別世界へ転移。来て早々、魔物に追いかけられるという不運もあったが、崖から海へ飛び込んで、心優しいイルカに浜辺まで運んでもらい、そこで助けてもらった人から魔法を学べた。これを幸運と言わずして何と言うのだろう。いや、もはや幸運という言葉で片付けられるレベルではない。
「エナさん、エナさん! あの魔法陣、近くで見てもいいです?」
「うん、いいよ。あ、でも消さないでね」
「分かってま――へぶっ!?」
魔法陣を見るために風呂場へ駆けこもうとしたクルーエル。
だが、風呂場へ差し掛かろうかというところで、何かにぶつかり尻もちをついた。
「痛たた……。な、何です、これは?」
手を前に突き出し、何もないはずの空間をペタペタと触りだす。その姿はまるでパントマイムで壁があるように見せているようだった。
「ど、どうしたの?」
「ここに見えない壁があるです」
「壁?」
クルーエルが言うには、本当にそこに壁があるらしい。
それを確認すべく、恵菜も手を伸ばしてみる。だが、クルーエルが何かを触っている空間に達しても、恵菜の手は何の抵抗もなく奥へと突き抜けた。
「何もないけど……」
「お、おかしいです。だって、私にはここに壁があるのが分かるですよ」
「でも、私、普通に入れるよ?」
恵菜が風呂場を行ったり来たりし、壁が無い事を証明してみせる。それを見たクルーエルが真似をしようとするが、入る直前で何かにぶつかり「ふぎゅっ」っと変な声を上げる。
「は、入れないです。まるでお風呂場が私を拒んでいるかのような……ような?」
訳が分からないという顔のクルーエル。だが、ふと何かに気づいたらしい。
「エナさん。あの魔法陣って何するものだったですか?」
「え? 魔除けの魔法陣をちょっと変えたやつだけど」
「どんな感じの変更でしたっけ?」
「えっと、対象の魔物をアンデッドだけにして、範囲をお風呂場だけに…………あ」
そこまで言いかけて、恵菜はある事実に気づいた。
「……気づいちゃったです?」
「……うん。そういえば、クルーエルちゃん、リッチだったね……忘れてたよ」
恵菜が施した魔法陣の対象はアンデッド。そして、クルーエルはリッチ――言ってしまえばアンデッドだ。
まあ、つまりはそういうことである。
「うわあああああああああああん! もうお風呂場に入れなくなったですううううううううう! 一生体を拭くだけで我慢する生活になっちゃったですうううううううう!」
「だ、大丈夫だよ! すぐ描き直すから安心して! でも本当にごめんなさーい!」
泣き喚くクルーエルを見て、慌てて魔法陣に修正を施し始める恵菜。
――三分後。
「ほらっ、できた! できたよクルーエルちゃん! これで入れるはずだよ!」
恵菜が修正した魔法陣を指さしてクルーエルを慰める。修正するだけとは言っても、さすがに三分は早い。人間、やればできるということだろうか。また一歩、人外への道を進んだかもしれない。
「ぐすっ……本当です? 騙してまた弾かれたりしないです?」
未だに疑っているクルーエル。ここでもう一度壁に激突でもしようものなら、彼女が人間不信になる。一瞬、恵菜は本当に大丈夫か不安になったが、それでも自分を信じる。
「本当だよ。ほら、入ってみて」
「そ、それなら……」
恵菜に手を引かれて立ち上がったクルーエルが、そのままお風呂場へと歩み寄る。そして、ゆっくりとその敷居を跨いだ。
「は、入れるです! やったです!」
「よ、良かった……」
ピョンピョンと飛び跳ねて喜ぶクルーエル。その様子に恵菜も一安心だ。
「でも、どうして私が入れたです? リッチだけ対象外にしたですか?」
「いや、さすがにリッチだけ除く、みたいな効果は付けられないよ。だから、効果を少し弱くしたの。そうすることでクルーエルちゃんが入れるようになったってわけ」
直接的な方法での除外は不可能。なら、間接的な方法でやるしかない。効果の強さを低くすれば、必然的に強力なアンデッドは魔法陣の力が効かなくなる。クルーエル以外の強力なアンデッドも入って来られるようにはなってしまったが、そんなアンデッドが出現するとは考えにくく、そもそもそんなのが来たらお風呂どころではない。
「おぉ~! 確かにそれならゴーストやゾンビは来ないです! さすがです! すごいです! これで私もお風呂に入れるです~……って、あれ?」
ピョンピョンと飛び跳ねて歓喜していたクルーエル。だが、突然、何かを思いついたように魔法陣を見つめ始めた。
「どうしたの? クルーエルちゃん」
「この魔法陣、お守りみたいにして持っていれば、弱いアンデッドが寄ってこないようにできるです?」
そう言われて恵菜も魔法陣を見る。壁に大きく描かれた魔法陣だが、なるべく大きく描こうとしたからこうなっただけだ。遠話器のように、頑張ればアクセサリサイズの大きさで描くこともできる。
「たぶんできるかな。でも、どうして?」
「それを持っていれば、あの洞窟も安心して進めると思ったです」
恵菜が描いたこの魔法陣。大まかにその効果を説明すれば、『一定の範囲内に特定の魔物を寄せ付けない』というもの。当然、その範囲は変更が可能だ。一日だけ効果を保っていられればいいというのであれば、数十メートル以上の範囲にまで広げることもできる。
つまり、その魔法陣が描かれた物を持っていれば、自分達の周囲数十メートルにゴーストは入って来られない。
「……クルーエルちゃん、もしかして天才?」
「むしろ先に思いついてほしかったですよ。あぁ、でも私がすぐ洞窟へ連れて行ったのが悪いですか……」
一つのことに集中すると周りが見えなくなることってありません?
誤字を修正しました(2017/11/11)




