クローゼットの中から
「ぴゃああああああああああああああああああ!?」
「きゃあああ……って、え?」
突然の叫び声に悲鳴を上げる恵菜。だが、すぐに目の前の光景を目の当たりにして落ち着きを取り戻す。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 許してください見逃してください出て行ってください! 私を呪っても良い事はないですし取り憑かれるのも勘弁願いたいですし食べてもおいしくありませんからああああああああああ!」
クローゼットの中で頭を抱えながら体を丸めて座りこんでいる少女。黒を基調とした修道服に身を包んでいるということは、この教会のシスターだろうか。そんな彼女が震えながら絶叫している。しかも涙声だ。
構図的には恵菜に怯えているように見える。が、おかしい。恵菜は別に彼女に怯えられることはしていない。ただクローゼットを開けただけなのだ。しかも、初対面はおろか、彼女がずっと顔を埋め込んでいるせいで未だに顔すら見れていないのだ。恵菜の事を別の何かと勘違いしているとしか思えない。
「あ、あの……」
「いぃやあああああああ!? 全然帰ってくれないですぅううううう! 私はこのまま呪われておしまいですぅううううう!」
恵菜が話しかけようとするが、彼女は全く聞く耳を持ってくれなかった。それどころか、恵菜が声を発した瞬間に耳を塞ぎだす始末。この状態で絶叫までしていては、もはや何も聞こえないだろう。
「死にたくないです死にたくないです死にたくないですぅううううう! 私にはまだやり残したことがあるんですぅううううう! 後生ですから殺さないでください殺さないでください殺さないで――」
「ちょ、ちょっと!」
少女が呪詛の如き命乞いを始めたところで、耳を塞いでいる彼女の腕を恵菜が掴んだ。このままではどうしようもないと思ったのだろう。そのまま恵菜は彼女の耳から手を引き離した。
「ひぃいいいいい!?」
「私は化け物じゃないし、あなたを呪ったり殺したりなんてしないよ! だから、落ち着いて!」
なおも怯えて叫ぶ少女。恵菜はその声に負けないように、聞こえるようになった片耳に向かって安心させるように言葉をかける。
「ぁ…………え?」
そこで初めて少女の叫びが止まった。そして、恐る恐る顔を上げ、恵菜の顔を初めて視認する。
「お……お化けじゃ、ないです?」
「うん、お化けじゃない」
「じゃ、じゃあゾンビです!?」
「ゾンビでもないから! というより、最初に化け物じゃないって言ったよね!?」
全力で否定する恵菜。顔を見ているにもかかわらずゾンビ扱いされたことにはショックだったが、表情には出さずに堪える。
「え、それなら、あなたは何なんです……?」
「何なんです、って……人間だよ、人間」
何故こんな当たり前のことを説明しているのか。頭が痛くなってくる恵菜だったが、そういえば最近、自分が人間扱いされていないことを思い出してしまい、さらに心にダメージを負う。相手と自分によるダブルパンチだ。
「人間……? 驚きです。この街に人が来るなんて、いつ以来でしょうか」
「いや、驚いたのは私の方だよ。この街に人は住んでないって聞いたのに、普通に誰か住んでるだもん。えっと……」
「あ、申し遅れましたです。私はクルーエルと言いまして、この教会のシスターです」
恵菜が人間だと分かったことで安心したのか。クルーエルと名乗る少女は怯えるのを止め、明るさを取り戻した。
「やっぱり、この教会の人だったんだ。あ、私は恵菜だよ」
「では、エナさんと呼ぶです。私の事は呼び捨てでも構わないです」
恵菜は「さん」付けされるのは好きじゃない。だが、既に一人、そう呼ぶ友人がいる。もしかしたらクルーエルもそういった人種なのかもしれないので、黙認することにした。
「じゃあ、クルーエルちゃんって呼ぶことにするよ。ところで、さっきこの部屋から何かが落ちたような物音がしたんだけど。それってクルーエルちゃんが?」
「たぶん、そうです。誰かが階段を上ってくるのに驚いて、私がベッドから転げ落ちた音だと思うです」
「あー、そういうことだったんだ……」
クルーエルの説明通りなら、恵菜が立てた音にクルーエルが驚き、クルーエルが立てた音に恵菜が驚いていたことになる。しかも、二人ともお化けの仕業だと勘違いして……。
(何やってたんだろ、私……)
「? どうしたです?」
「いや、何でもないよ……」
自分の滑稽な行動を理解した恵菜。唯一の救いは、誰にもそれを見られていなかったことか。それでも、恥ずかしさのあまり顔を両手で覆ってしまう。
「ところで、エナさんはどうしてこの村へ来たのです? 観光でもしに来たのです?」
「いつもはそうなんだけど、今回は違うかな。私、一応冒険者をやっててね。この近くの街で依頼を受けて、それ絡みで来たの」
「なるほど、そうだったですか。確かに、観光目的でこんな村に来る人は普通いないですね」
「自分で言っておいて否定するんだね……。私としてはこの村に住んでる人も普通はいないと思うんだけど……」
一年前に壊滅したとされている村だ。事実、ここに来るまでの間、村の中で恵菜はクルーエル以外の人間を見ていない。しかも、見たところクルーエルは恵菜以上の怖がりだ。こんな場所に一人で暮らすメリットはない。
ただ、それでも一人でいるということは何らかの理由があるのだろう。恵菜もそれを聞きたかったのだが、村の事情があるだけに聞くに聞けない。それに、クルーエルとはまだ会ったばかりだ。重い話だと話しづらいに決まっている。
「そうだ。それよりもクルーエルちゃんに一つ聞きたいことがあるんだけど」
話題を変えるついでに、恵菜は自分がここに来た目的を果たすため、クルーエルへと問いかける。
「聞きたいことですか? いいですよ」
「さっき、依頼でこの村に来たって言ったよね。で、その依頼で私、魔物を探してるんだけど、この村で魔物を見たことってない?」
「ゴーストやゾンビなら偶に出るですよ。でも、それ以外となると……」
「あれ? おかしいなー、確かにいるって聞いたんだけど」
コロッソの話では今もこの村にいるとのことだった。だが、クルーエルはゾンビやゴーストぐらいしか見かけていないらしい。これでは二人の言っていることが噛み合わない。
(クルーエルちゃんが嘘を吐いてる? でも、全然そんなことをしているように感じないし……。じゃあ、まさかコロッソさんが……?)
「ちなみに、その魔物ってどんなのです?」
「ん? えっと、リッチって言うらしいの。ただ、私、リッチは見たことなくて」
恵菜はコロッソからリッチがどんな見た目なのか聞いている。だが、リッチは分からないことが多く、個体によって見た目も違い、中には姿を変えるものまでいるらしい。そのため、コロッソの説明も「人型で黒っぽい」という曖昧なものでしかなかった。
しかし、その名前を聞いたクルーエルがポンと手を叩く。
「ああ、エナさんが探しているのはリッチだったですか」
「知ってるの?」
間髪入れずに恵菜が尋ねる。様子からして、クルーエルはリッチについて知っている可能性が高い。いや、もしかすると、姿だけでなくいる場所まで分かっているかもしれない。
ここで有力情報が得られれば、依頼の達成に大きく近づける。ゴーストやゾンビが出る村から早くおさらばできる。そう思うと恵菜の期待はどんどん膨れ上がっていく。
だが、クルーエルから返ってきたのは、予想外の答えだった。
「知ってるも何も、目の前にいるですよ」




