謎の依頼
朝は一日の始まりである。昇った明るい日の光は、生き物に今日一日を元気に過ごすための活力を与えてくれる。
そんな一日が始まったばかりだというのに、恵菜は元気なく街を歩いていた。
「ハァ……」
ついには地面に向けてため息である。昨日までの元気の良さはどこへやら。まるで生きがいを失ったかのような落ち込み様である。
昨日の今日という短時間で、どうしてこうなったのか。それは案外、人によってはどうでも良く、しかし、恵菜にとっては重要な問題があったからだ。
「まさか、お風呂のある宿が一つも無いなんて……」
そう、恵菜のテンションがダダ下がりになっている理由――それはこの街に風呂がないからだった。探せど探せど、部屋別はおろか、共用のものすら見つからない。一応、頼めば体を洗うための湯の入った桶を提供してくれる宿をいくつか見つけ、恵菜が昨日選んだのもその中の一つ。ただ、欲を言えば風呂があってほしかったというのが彼女の感想。
そして、テンションを下げている……というよりは上げられない理由のもう一つが、街に見どころがあまりなかったことだ。美しい街並みだとか、何かしらの観光資源だとか、そういったものは一切ない。国境に近いから街として発展してきたのだろうが、街というよりは大き目の村である。
ならば、さっさと次の街へ行ってしまえと思うだろう。だが、それも少し厳しい。ここから一番近い街へ向かうとなった場合、行先というのはリルシャートの首都。つまり、ピレートと首都との間に、街は一つも無いのである。
こうなった場合、旅に必要なものの調達はここで済ませておく必要がある。だが、なんということだろうか。道中の旅支度を整えようにも、彼女の財布にはそれを達成できるだけの力が残っていなかった。盗賊を捕まえたことによる臨時報酬があったものの、それを加えても若干足りない。
何か売れればいいのだが、生憎とお金になりそうなものは石鹸ぐらいだ。風呂がない街では無用の長物過ぎて売れはしない。本当に何故こんな買い物をしたのだろうか。さすがの恵菜も少しは思わないでもない。
ちなみにだが、仮に恵菜が捕まえていたあの盗賊コンビを盗賊扱いにしていた場合、報奨金が少し増えていたりする。兵士は更生のための措置だと言っていたが、街や国によってはこうして報奨金の額を抑えようとする所もあるのだ。もっとも、彼らが本当にそうしたかったのかは不明で、恵菜もそんな事実があるなど露程も知らないが。
つまるところ、現状だと恵菜は何かしらの仕事をしてお金を得る必要がある。幸いなことに、街というだけあってここにもギルドがある。仕事の内容にもよるが銀ランク依頼を数回受ければ金額も足りるだろう。
できれば日数があまりかからないものがあってほしい。そう願いながらギルドを訪れた恵菜。そのまま真っ直ぐ、依頼が張られているであろうボードに向かう。
そこで思わぬものを見つけた。
「あれ? これって、金ランクの依頼?」
銅や銀の依頼が並ぶ中、目立つように離れた位置に張られた一枚の依頼書。その依頼の対象者には、金ランク以上と書かれていた。
「うわー、久しぶりに見たかも」
フリフォニアにいた時でさえ、数度しか見たことがなかった金ランクの依頼。まさかこんな場所で張られているなど思ってもみなかった恵菜は、その依頼書の内容に目を向ける。
しかし、そこでこの依頼書がおかしいことに気づいた。
「でも、これ、何の依頼なんだろ……?」
そう、なんと依頼書に何の依頼かが書かれていないのだ。内容として書かれているのは、「受注後に依頼主より詳細を説明」という一文のみ。金ランクの依頼書を何度か見たことがある恵菜でも、こんなものは初めてだった。
怪しさ満点の依頼。だが、逆に気になる。
一応、銀ランクの依頼もいくつかあるので、無理に危険な橋を渡る必要はない。それでも、この依頼もこうしてギルドが正式に出しているということは、少なくとも変なことを要求されることはないはずだ。それに、内容によっては銀ランクの依頼を複数受けるよりも早く完遂でき、何倍もの額の報酬を得ることができる。
「ギルドの人に聞いてみようかな」
少なくとも、ギルド側は何らかの情報は得ているはず。ギルドの受付で聞ける範囲で話を聞いて、難しそうならやめよう。そう考え、恵菜は依頼書を持っていく。
「すみません、この依頼についてちょっと聞きたいんですけど」
「はい、かしこまり……えっ、これですか?」
何故か困惑する受付嬢。そっちが出したものだろうとツッコミたくなる恵菜だったが、もしや自分が依頼を受けられるランクに達していないように見られているのではないかと思い、ギルドカードを提示する。
「見ての通り、一応、依頼は受けられます。でも、ここまで情報がないと受けるに受けられないんです。聞ける範囲でいいので、何か教えてくれませんか?」
「そ、そうでしたか。ですが、申し訳ありません。我々としてもこれの内容は把握しているのですが、我々の方から内容を口外しないよう指示されていまして」
恵菜の推測通り、ギルドはこの依頼が何の依頼なのかを知っていた。だが、箝口令が敷かれているらしく、情報は得られぬまま。
こうなると、やはり受けるに受けられない。恵菜がどうしたものかと悩んでいると、受付嬢が付け加えるように口を開く。
「ただ、この依頼に関しては、受注の無条件取り消しが可能となっています」
「? どういうことですか?」
「受注をすれば、依頼主様から依頼の説明を聞くことができます。もしその内容が無理だと判断された場合、何のペナルティーも無く、受注を取り消せるのです」
受注後の依頼取り消しは、ギルド側の不備や不慮の事故などといった仕方のない事情でもない限り失敗扱いとなる。受けてみて「やっぱり駄目でした」というのは基本的に許されていない。
そして、この依頼の失敗の数はギルドによって記録され、冒険者を評価する一つの基準として使われる。失敗の割合が多い者に待っているのは依頼の受注制限、もしくは冒険者ランクの降格だ。そんなことになれば、ただでさえ安定しない冒険者の収入がさらに不安定になり、生活は苦しくなる。
どんな冒険者であろうとも、依頼の失敗はしたくない。後先を考えずに行動する者が冒険者には多いが、そんな彼らもこと依頼の話となると内容をしっかり吟味し、自分に見合った依頼を受けるのがほとんど。書かれている内容に不鮮明な点がある依頼書は敬遠されがちだ。
だが、人によっては、依頼として出したいものの内容をあまり公にしたくないということもある。具体例としては貴重な物資の運搬依頼、要人の護衛などだ。こういったものは内容を公開してしまうと、それを狙った襲撃が計画されてしまう危険性がある。
ギルド側もこういった依頼は事情を考慮し、今回のように内容を秘匿した状態で張り出すことがある。ただ、それだけだと今度は受ける者がいなくなるという問題が出てきてしまう。
そこで、ギルドが行うもう一つの対処策が、受注ペナルティーなしという条件の付加である。こうすれば、依頼の内容を知れるのは受注資格のある者だけに限定され、冒険者も内容を知った上で依頼を受けられる。
「じゃあ、詳細が聞きたかったら依頼を一回受けろってことですね」
「そういうことになります。もし受けられるのであれば手続きをいたしますが、いかがいたしますか?」
「ペナルティーもないみたいですし、お願いします」
受けるだけならタダ。そうと分かれば怖いものはない。恵菜は何の躊躇いもなく、依頼を受注する。
「では、こちらの依頼書をどうぞ。そして、こちらの方が依頼主様となります」
依頼書と共に差し出された、名前と思われる文字が書かれた紙。当然、その名前に心当たりはない。
「依頼主様の居場所は大丈夫ですか?」
「知らないので、教えてもらえると助かります」
ここに住んでいるのならまだしも、恵菜は昨日来たばかりである。どこに誰がいるかまでは、超能力でもなければさすがに分からない。迷子にならないよう、受付嬢の丁寧な説明をしっかりと頭に焼き付けてから、目的地に向かう。
そうして歩くこと数分。
「うわぁ……」
目の前にある大きな屋敷が目的地だと知った恵菜の反応がこれである。家の大きさに感嘆しているというよりは、「ああ、依頼者は貴族か……」という落胆の方が正しい。
だが、このまま回れ右するのも躊躇われる。折角の金ランク依頼。お金を稼ぐにはもってこいだ。それに、逆に考えれば貴族の依頼なら報酬も期待ができる。恵菜はそう言い聞かせて屋敷の門へ近づくが……。
「あれ、誰もいない?」
屋敷と門までの距離が離れている場合、普通なら訪れた者の応対をしてくれる門番がいるはずである。だが、この屋敷の門には人っ子一人いない。屋敷までフリーパス状態だ。
ただ、さすがに無断で敷地内に入るわけにはいかない。そんなことをすれば不審者扱いから即座に牢獄行きだ。先日捕まえた盗賊達と再会する羽目になる。
かといって、ここから大声で叫んでも聞こえはしないだろう。解決策を求め、どこかに何かないか見渡す恵菜。ふと、その目が門に取り付けられたボタンらしきものを捉える。
「これ、インターホンかな?」
この世界では見慣れない……いや、むしろ初めて見たインターホン。電子機器でないとすれば魔道具だろうか。
とにかく、これ以外に現状を打開できそうなものはない。恵菜は迷いながらもボタンを押した。
――ビィーッ!
「うわっ!?」
想像以上にけたたましく鳴り響いた音に驚く恵菜。だが、どうやら当たりだったらしい。音が鳴って数秒後、どこからともなく声が聞こえたからだ。
『お客様。ご用件をどうぞ』
男性、それもかなり年季の入った声だ。
「あ、えっと、ギルドで受けた依頼の説明がここであるって聞いたんですけど」
『冒険者の方でございましたか。少々お待ちください』
そう言い残して声が聞こえなくなる。そこから一分も経たないうちに、屋敷の方から執事の恰好をした人物が歩いてきた。
「ようこそいらっしゃいました」
先ほどと同じ声。この執事がさっきの声の主のようだ。
「依頼書はお持ちですかな?」
「はい。これです」
依頼書を渡す恵菜。それを見た執事が軽く頷き、恵菜へと依頼書を返す。
「確認いたしました。主が直接、件の依頼について説明しますので、こちらへどうぞ」
執事の案内のもと、恵菜は敷地内へと足を踏み入れる。そのまま屋敷の方へと通され、高そうな絵画や装飾に見下ろされながら、豪華な絨毯の上を歩く。
(そういえば、貴族の家に来るのって初めてかも)
今までに恵菜が行ったことのある身分が高い者の家は、エリスのお城のみ。国一番の家(?)なのだから充分と言えば充分ではあるが、その他の貴族の家がどんな風なのか、興味がなかったわけではない。一般人ではあまり見ることができない場所なのだ。むしろ見てみたいという気持ちは強かった。もっとも、縁談を受ければ見に行くことはできただろうが。
ともあれ、初の貴族屋敷である。執事に案内される間、恵菜は真っ直ぐ歩きながらも、視線はあっちこっちへと飛んでいた。
しかし、そんな貴重な時間も終わりが来る。
「コロッソ様。冒険者の方がいらっしゃいました」
「うむ、ご苦労だった」
執事に案内されたのは、書斎と思われる小さな部屋。小さいとは言っても、他の部屋に比べればの話で、恵菜が今泊まっている宿の部屋よりはでかい。
そして、そこに待っていたのは一人の男性。年は三十から四十ぐらいだろうか。人目で貴族と分かるような煌びやかな衣装……とまではいかないが、質の良さげな服を身にまとっている。
「依頼書に書かれているのでもう分かっているかと思うが、軽く挨拶しておこう。この街を治めている、コロッソ=ワービアレシャスだ。家名は長くて呼びづらいだろう。コロッソで構わない」
「冒険者で魔術師のエナと申します。以後、お見知りおきを」
貴族になってからというものの、恵菜は苗字を名乗らないようにしている。これは自身の身分がバレるのを回避したいからだ。「霜月」というのはこの世界では珍しく、公爵家の名もこれになっているため、知っている人には一発で分かってしまう。
ただ、顔を上げた恵菜は首を傾げる。何故かコロッソがポカンとした表情で恵菜を見ていたからだ。ついでに言うと、執事も少しだけ驚いた顔をしている。
「どうかされましたか?」
「ああ、いや、冒険者にしては随分と作法を弁えた挨拶だと思ったものでね。つい呆けてしまった」
それを聞いた恵菜は心の中で「やっちゃったー!」と大絶叫。相手が貴族ということもあり、つい条件反射的に貴族式の挨拶をしてしまっていたようだ。エリスの教育の賜物だろうが、これでは苗字を名乗らなかった意味がなくなる。
このままでは身分がバレるかもしれない。そう危惧した恵菜は、何とか言い訳を考える。
「い、今まで何度も身分の高い人相手の依頼を受けてきたので、自然と身に着いてしまったのだと思います」
「なるほど。貴族相手の場合、何で機嫌を損ねてしまうか分からないからな。危険から身を守るための経験則といったところか。さすがは冒険者だ」
どうやら、誤魔化すことができたらしい。ただ、執事の方は少し納得がいっていないのか、疑問顔だ。
「さて、さっそく依頼の話に移ろう……と言いたいところだが、その前に一つ確認したいことがある。君の実力についてだ」
依頼の説明がされる。そう思っていた恵菜だったが、予想とは違う言葉がコロッソから告げられた。
「実力、ですか? 冒険者カードならここに……」
また自分の見た目が災いして、強く見えないと思われているのだろう。あまり見せたくはないが、話が進まないのならどうしようもないと、恵菜が冒険者カードを取り出そうとする。
しかし、恵菜が冒険者カードを取り出す前に、コロッソがそれを手で制した。
「ああ、冒険者カードは別にいい。この依頼を受けられたという時点で、金ランクであることは間違いないからな。だが、それだけでは実力が分からんのだよ。『養殖』という可能性もあるのでね」
コロッソが語った『養殖』とは、他人の力を借りてランクを上げた冒険者の比喩だ。冒険者ランクは自分と同格の依頼を受けることで上がっていくが、これは個人だけじゃなくパーティでも同じである。
これを悪用し、ランクを簡単に上げようとする者がいる。実力はないが金はあるといった者達がそれだ。彼らは金で高ランクの冒険者を雇い、自分を含めたパーティで依頼を受け、冒険者に依頼を達成してもらう。こうすれば、自分は安全な場所にいながらランクを上げることができる。
だが、当然のことながら、そんなことをして実力がつくはずもない。彼らはランクに見合わない実力であることがほとんどだ。
「本当はこういったことはしたくないのだが、何度かそういった者が来たことがあるのだよ。自慢げに自分のことを話す、口先だけの者ばかりだった。こちらも依頼はしっかりと達成してもらいたい。だから、少し君の実力を見させてほしい」
「それは構いませんが……一体、どうやって?」
「簡単だ。そこの執事と戦ってもらう」
そういってコロッソが恵菜の後ろを指さす。その指先にいたのは、恵菜を案内してからずっと扉の近くで待機している執事だった。
「君と同じく、彼もまた魔術師だ。今は引退しているが、昔は一線で活躍していた宮廷魔術師でもある。彼と模擬戦を行い、勝てば君の実力を認めよう」
「勝ち負けの判定はどうやって?」
「相手を戦闘続行困難にさせるか、ギブアップさせるかとする。無論、殺すのは無しだ。怪我をしても治癒魔法を使える者を準備しているから問題ない。痛みに関しては、まあ、大丈夫だろう?」
確認するような問いかけ。冒険者にとって怪我など日常茶飯事だと、彼は思っているに違いない。
全然大丈夫じゃないと軽く抗議したくなる恵菜だが、グッとこらえる。痛みを嫌ったが故に実力不足判定を下されるわけにもいかないのだ。
もっとも、話を手っ取り早く済ませる方法もある。白金ランクのカードを見せればいいだけだ。コロッソは恵菜のことを金ランクだと思っているようだが、実際はその一つ上の色。それが『養殖』で辿り着けるものではないことぐらい、少し考えなくても分かることだ。
ただ、見せなくて済むのならそっちの方が恵菜にとっては気楽というのも事実。幸いなことに、模擬戦で勝てば実力を認めてくれるという。それに、相手は魔法が発展したリルシャート王国育ちの魔術師。どんな魔法を使ってくるのか、どんな戦い方をするのか、恵菜は興味があった。
「分かりました」
「よし。ならば、裏庭へ行くとしよう。そこならばちょっとやそっとのことでは周囲に被害はない」
コロッソと執事と共に部屋を出た恵菜は、そのまま裏庭まで案内される。野球のグラウンドより少し狭いか、というぐらいの広さ。コロッソの言った通り、これならば周囲への被害もなさそうだ。
「それでは、これより模擬戦を行う。ルールは先ほど説明した通り。双方とも、準備は良いか?」
「はい」
「いつでも構いませぬ」
コロッソの確認に、十メートル程度の間隔を空けて向かい合う恵菜と執事が同時に頷く。それを見て、コロッソは右手を高々と掲げ――。
「ならば……始めっ!」
――合図と共に振り下ろした。
石鹸が貨幣だったらいいのに。
更新が遅れて申し訳ありませんでした。




