2026年9月25日 『初滞在』②
その後、優真はリビングのテーブルにノートパソコンを広げた。
卒論の作業に取りかかる。
卒論のテーマは、
『リモートワークが生産性に与える影響』だ。
通勤ストレスの解消や集中環境の確保が、個人の業務効率をどれだけ向上させるかを分析する予定だ。
政府の統計データをExcelで分析しながら、優真はふと思った。
(今の状態って、『サンプルA』みたいな生活だな。N=1だけど、ある意味検証か)
優真はデータ分析に集中し始めた。
音楽を流しながら、カタカタというキーボードを鳴らす。
やがて昼になり、優真は買ってきたサンドイッチを頬張った。
窓の外には、煌めく海が広がっている。
湯を沸かして茶を淹れて飲むと、静かな時間が流れた。
(……なんか、贅沢だな)
ふと視線を横に向けると、庭に面した窓が見えた。
庭はかなり荒れており、あちこちにまだらに雑草が生い茂っている。
(庭って、半年放っておいたら、こんなに荒れるんだな)
庭には金木犀が植えられているようで、
風が吹くとほのかに甘い香りが漂ってくる。
(今度来たとき、庭の手入れもしてみようかな)
そんなことを考えながら、作業に戻る。
――そして、夕方。
やや薄暗くなった部屋の中で、優真は大きく伸びをした。
「今日はかなり進んだな」
ぼっと光るPCの画面には、今日整理したファイルが並んでいる。
(リモートワークって結構いいな)
大学の図書館とはまた違った充実感がある。
そして、今日はこのへんで帰ろうと、PCを閉じようとした――その瞬間。
――ボソボソボソボソ。
突然、優真の耳に誰かがしゃべっているような声が聞こえてきた。
「……ん?」
優真は眉をひそめた。
それは男女の声で、最初は外からかと思いきや、家の中から聞こえてきている気がする。
(…………)
優真の背中がざわざわし始めた。
ありえないと思いつつも、頭の中で嫌な想像が膨らみ始める。
息をひそめて耳を澄ませていると――しゃべり声がピタリと止んだ。
少しして、音楽が流れ始める。
アップテンポの明るい曲で、どこかで聞いたことがある。
(……これ、最近よく流れている曲だよな)
優真は、そっと立ち上がった。
電気をつけて廊下に出ると、音楽の音が少し大きくなる。
廊下を慎重に歩いていくと、少し開いた洗面所のドアの隙間から音が聞こえてきていた。
洗面所のドアを開けると、更に音が大きくなる。
優真はキョロキョロと周囲を見回すと、洗面台の排水溝に耳を近づけた。
「……ここからか」
スマホを取り出し、「家」「排水溝」「ラジオ」と検索すると、一番上のリンクを開く。
――――――――
Q.排水溝からラジオが聞こえてくることはありますか?
A.あります。
古い家は金属配管が多いため、外の音が配管の中で共鳴して、
排水溝から聞こえてくることがあります
――――――――
そこには、“配管を固定している金具を少し緩めたり、締め直したりすると、音が止まる”と書いてあった。
優真は洗面所の下の扉を開けた。
確かに配管から音楽が響いてきている。
物置から道具を持ってくると、
ネットに書いてある通り、金具をいじり始めた。
金具を閉めた瞬間、音がピタリと止まる。
「ふう……ちょっとびっくりしたな……」
優真は、ホッとしながら洗面所の床に座り込んだ。
スマホを調べると、古い家ではこうした心霊現象っぽいことがたまに起こるらしいことが書いてあり、他にも、
・気圧変化でドアが勝手に開閉する
・鏡に影が映るのは、照明のちらつきと脳の補完
・古い建材による大きな家鳴り
などが書いてあった。
「だよなあ」
優真は、うんうん、とうなずいた。
この世に説明できないことなんてある訳ないよな、と思う。
「現に、今のも普通にラジオだったわけだし」
彼は立ち上がると、リビングに戻った。
窓から入る空気が冷たくなっており、肌寒い。
ピシッ、ピシッ、と家鳴りの音がし始める。
「なるほど、夕方だから寒暖差で家鳴りがするんだな」
頭では理解するものの、あまり気持ちが良いものではない。
優真はノイズキャンセリングのイヤホンを耳に入れた。
音が消えたことに安堵しながら、窓を閉めて戸締りをする。
そして、セキュリティを起動させると、家を出た。
外はすでに薄暗く、金木犀の香りが漂っている。
優真は鍵をしっかり閉めると、門を出た。
門の鍵もしっかり閉める。
そして、「色々あったけど、今日はよく進んだな」と大きく伸びをすると、
夕焼けの空の下、駅へと歩いていった。




