四話 英雄
東部街道が、一時的に再開された。
その報せは、王都へ驚くほど早く広まった。
原因は単純だった。
街道封鎖を、突破した者たちがいたからだ。
◇
「"灰狼騎士"だってさ」
「また東部の英雄譚か」
「今度は本物らしいぞ」
昼の市場は、その話でもちきりだった。
東部南街道。
武装寺院勢力と流民化した傭兵団が衝突し、物流が完全停止していた地域。
そこへ一人の騎士が現れ、街道封鎖を突破。
避難民を護衛しながら、商隊を王都側まで通したという。
話は尾ひれを増やし続けていた。
百人斬った。
魔獣を従えた。
結界を単騎で破壊した。
半分は嘘だろう。
だが。
東部街道が実際に開通したのは、紛れもない事実だった。
「民衆は、英雄が好きだからな」
アルスは書類をめくりながら、言った。
「分かりやすくて結構だ」
「・・・兄上は信用してないんですか?」
「一個人の実力云々で街道が維持される国家を、健全とは言わない」
珍しく、辛辣だった。
だがレオは、その言葉に妙な安心感を覚えた。
兄も分かっている。
今起きていることの、異常さを。
◇
午後に入り、政庁内は妙に騒がしかった。
官僚たちが慌ただしく行き交い、伝令が階段を駆け上がる。
「何かあったんです?」
レオが尋ねると、若い文官が小声で答えた。
「・・・東部から使節が来る」
「・・・また?」
「今回は、英雄様本人も同行らしい」
その瞬間、周囲の空気が少し変わった。
興味。
期待。
熱。
最近の王都には珍しい種類の高揚だった。
◇
夕方。
王都中央広場には、予想以上の人間が集まっていた。
野次馬。
商人。
神官。
貴族。
衛兵。
そして、流民たちまでいた。
皆、東門を見ている。
「・・・そこまでのものですかね?」
レオが呟くと、近くの老人が笑った。
「坊主!人間ってのは、平和な時ほど英雄譚が好きなんだよ!」
やがて、東門が開いた。
先頭に現れたのは、騎士団ではない。
武装した商会護衛。
その後ろには、疲弊した避難民たち。
荷車。
痩せ馬。
傷だらけの傭兵。
誰も彼も、疲れ切っていた。
歓声は少し弱まる。
想像していた"英雄凱旋"とは違ったからだ。
そして、最後に一騎の黒馬が現れた。
ざわめき。
馬上の人物は若かった。
二十代後半ほど。
灰色の外套。
片肩には寺院式の護符布。
だが腰には、軍用長剣。
そして何より。
視線が違った。
群衆を見ていない。
敵がいないか探すように、周囲を観察していた。
「・・・東部の目だ」
誰かが呟く。
その意味を、レオは何となく理解した。
王都の者の目ではない。
常に、次の危険を探す人間の目だった。
歓声が広がる。
「英雄様だ!」
「灰狼騎士!」
「街道解放万歳!」
人々は熱狂していた。
子供たちは目を輝かせ、商人たちは安堵した顔を浮かべる。
だが。
英雄本人は、まるで疲れ切っていた。
◇
レオは気付いた。
広場上階。
政庁回廊の奥。
エーヴェルが、立っている。
黒衣の伯父は、歓声ではなく。
英雄の後ろに並ぶ、避難民たちを見ていた。
荷車の数。
護衛の装備。
傷病者。
運ばれてきた物資。
まるで、戦場報告を読むようだ。
「・・・増えすぎだな」
誰へ言うでもなく、伯父は呟いた。
その瞬間。
後方から、数人の高官が慌てて現れる。
「エーヴェル卿!」
「閣議が、前倒しになります!」
「西棟へ!」
空気が変わった。
レオは目を細める。
周囲の官僚たちも、ざわつき始めていた。
「何かあったのか?」
「大公、閣下が・・・」
声が途切れる。
嫌な沈黙だった。
◇
広場では、まだ歓声が続いている。
英雄。
救世主。
東部を救った騎士。
皆が、熱狂していた。
だが、政庁上層だけは違った。
高官たちが、早足で移動していく。
神官が呼ばれる。
伝令が走る。
衛兵配置が変わる。
そして。
回廊の奥で、エーヴェルが一瞬だけ立ち止まった。
黒衣の男は、広場の熱狂を見下ろす。
その目は、冷えていた。
「・・・早すぎる」
小さな呟きは、歓声に呑まれて消えた。
◇
夜。
王都はまだ、英雄の話題で溢れていた。
酒場では武勇伝が語られ、市場では東部再開通を祝う声が響く。
皆、安心したかったのだ。
まだ、この国は大丈夫だと。
けれど。
帰宅途中、レオは政庁西棟の灯りが消えていないことに気付いた。
深夜だというのに。
文官。
神官。
武官。
次々と、馬車が入っていく。
そして、王城方面から鐘の音が一度だけ響いた。
重く、低い音だった。
祝いの鐘ではない。
レオは足を止める。
春の夜風は、少し冷たかった。




