三話 難民
春灯祭から三日後。
王都は、まだ祭りの余韻を残していた。
広場には色布が残り、露店の撤収も終わり切っていない。
神殿の表通りでは、子供たちが春灯祭の光模様を真似して遊んでいる。
平和な朝だった。
少なくとも、街の中心だけを見れば。
◇
政庁区へ向かう途中、レオは足を止めた。
外壁沿い。
普段は荷車置き場として使われている空き地に、粗末な布屋根が並んでいる。
人、いや、流民。
数日前より、明らかに増えていた。
「また増えたな・・・」
衛兵のぼやきが聞こえる。
「東部からか?」
「らしい。今朝だけで、二十組以上だ」
「今年は多いな」
その口調は軽い。
春先の流民増加など、珍しい話ではないのだろう。
だが、レオは視線を細めた。
妙だった。
座り込む老人。
荷物を抱える母親。
痩せた子供。
一見すれば、どこにでもいる難民だが。
全員、荷物が少なすぎる。
逃げ慣れている。
必要最低限しか持たない人間の荷物だった。
その時。
荷車同士が接触し、木箱が崩れ落ちた。
大きな音。
次の瞬間、流民の子供たちが一斉に地面に伏せた。
息を呑む。
周囲の王都民は、何が起きたのか分からない顔をしている。
だがレオだけは、妙な寒気を覚えた。
あれは訓練ではなく、反射だ。
日常的に暴力を晒されている人間の反応だった。
◇
「レオ?」
背後から声がした。
振り返ると、セシリアが立っていた。
政庁監査局の紺衣を纏い、書類筒を抱えている。
「姉上」
「また変な顔してる」
「・・・増えてますね」
「ああ、流民?」
セシリアは一瞥する。
「東部街道の封鎖、増えてるらしいわ」
「封鎖?」
「寺院同士の衝突とか、徴税拒否とか。報告は色々」
淡々とした声だった。
だが。
「去年までは、こんな数じゃなかった」
レオが言うと、姉は少しだけ黙った。
「・・・監査局でも話にはなってる」
「なら――」
「でも中央は動かない」
即答だった。
「まだ、地方レベルの問題だから」
◇
政庁内でも、話題は似たようなものだった。
「流民対策を増強すべきでは?」
「春先だけでしょう」
「街道警備を強化すれば済む」
「炊き出しの回数調整を――」
危機感は薄く、あくまで治安問題。
行政負担について精々語られる程度の扱いでしかなかった。
執務室を歩きながら、レオは書類棚へ視線を向ける。
東部。
東部。
東部。
最近、同じ地域名ばかり見る。
徴税遅延。
神官失踪。
寺院衝突。
街道封鎖。
護衛要請。
傭兵契約。
しかも、全て微妙に繋がっていた。
◇
「考えすぎだ」
昼休憩の際、アルスはそう言った。
「兄上」
「東部は昔から荒れてる。中央経済は好調だし、備蓄もある。すぐ国家が傾くような話じゃない」
理屈は正しかった。
実際、王都は豊かだ。
市場は動き、税も入り、魔導水路も正常稼働している。
それでも。
「・・・でも、増え方がおかしい」
「何が?」
「全部です」
書状。
流民。
護衛依頼。
武装神官。
全部。
増え方が、まるで何かから逃げるためみたいだった。
アルスは少し困った顔をした。
「お前は昔から、空気に呑まれやすい」
「・・・そうかも、しれません」
「中央の秩序は、まだ生きてる」
兄は言い切った。
まるで、自分自身へ確認するように。
◇
帰路。
レオは、再び外壁沿いを歩いていた。
夕暮れ時、流民たちの炊煙が空へ伸びている。
その一角で、老人が座り込んでいた。
痩せた男だった。
片足を悪くしている。
服装は粗末だが、元は平民ではない気がした。
「東部から?」
レオが尋ねると、老人はゆっくり頷いた。
「ああ」
「何があったんです?」
しばらく沈黙。
やがて老人は、妙な顔で笑った。
「何も」
「え?」
「何も起きてなくても、これなんだ」
乾いた声だった。
「だから皆、逃げ始めてる」
レオは黙った。
「村が焼かれた訳でもなく、戦が始まった訳でもない。だがな」
老人は遠くを見る。
「今年は、神官が来なかった」
その言葉だけで、十分だった。
この世界で神官が来ないということは、守護祈祷が消えるということだ。
浄化が止まり、街道結界が弱まり、魔導設備の維持が滞る。
つまり、文明崩壊を意味するのだ。
「寺は兵を集めてる」
老人は続けた。
「街道には傭兵が増えたし、商人は護衛付きでしか動かない。だから皆、分かったんだよ」
――ここは、もう駄目だと。
◇
夜。
王都の魔導灯が、一斉に灯る。
青白い光が整然と街を照らす、美しい景色だった。
百年続いた平和の光。
だが。
その外壁のすぐ側では、流民たちが薄い毛布へ包まっている。
咳。
空腹。
子供の泣き声。
泥。
煙。
そして。
春灯祭で見た、あの子供がいた。
焚き火の前で眠っている。
王都の光は、そこまで届いていなかった。
レオはしばらく、その光景を見つめていた。
やがて静かに、空を見上げる。
王都はまだ美しく、まだ平和だ。
けれど。
その平和はもう、国の全てではない。
そんな気がした。




