321 花と光の舞い
街道を眼下に眺めながらシルン男爵領に向けてシリウス号が行く。
新しい推進方法はかなり安定している。船の揺れも少なく、消費も抑えて軽快な速度を維持できるということで、シルン男爵領まではそれほどの時間もかからずに到着するだろう。
「時間的にも余裕が出てきましたので、到着まで速度を緩めましょうか」
「ほう。もうそんなに来てしまったか」
「前に進む際に受ける風を後方に流して噴射しているわけですから……帆を用いるより確かに合理的ですね」
「うむ。よくできておるな」
シャルロッテがシリウス号について分析をする。ジークムント老は水晶球に手を翳し、船の推進力を下げた。推進力が下がれば主翼の生み出す揚力も減る。代わりに浮遊炉が起動して船を支え、流れていた風景もゆったりとした速度になった。
「しばらくの間、低速で航行します。甲板にも出られますが、その際、レビテーションが使えない場合は魔道具を忘れずお持ちください」
伝声管で船内各所に通達する。
「お主も甲板に行ってみてはどうかな? 航行中の様子は気になるところであろう?」
「それは確かに。では、この場はお任せしてもいいですか?」
「うむ。問題はない。魔力消費も少ないのでな」
ふむ。では一応、艦橋にカドケウスを残しておこう。異常があってもすぐに察知して対処できる。
というわけでみんなで少し甲板に出てみる。
マルレーンがエクレールとバロールを小走りで追いかけて、甲板の真ん中あたりまで出ていく。ハーベスタはマルレーンがしばらく預かっていたので、今はクラウディアが預かっているようだ。マルレーンを見てクラウディアが微笑む。
「風が強いかと思ったけれど、そんなことはないのね」
ステファニア姫が明るい笑顔を見せる。甲板上には風が吹き付けないようにしているので航行中とは思えないほど静かなものであった。
「風の防壁を作っているのよ。抵抗を減らす意味合いもあるのね」
と、ローズマリーがステファニア姫に説明する。
「風を受けにくいような形状で後ろに流している、ということかしら?」
「そうなるわね」
「なるほど。そういうところでも効率化しているのね」
ステファニア姫とアドリアーナ姫は感心したように頷いた。
「晴れて良かったです。結婚式にぴったりの良い陽気ですね」
グレイスが微笑む。
「ん……。そうだな」
陽光が暖かい。シルン男爵領へ続く街道は長閑なものだ。
「気を付けて」
「ええ」
少し遅れて、扉を開いてエリオットが出てくる。カミラの手を取って、エスコートしているようだ。
「エリオットさんも景色を見に?」
「はい。このあたりの景色には見覚えがありますので。カミラがどうせなら水晶板ではなく直接見に行こうと」
そう言ってエリオットは甲板の手摺から眼下の景色を眺め、目を細める。
「あの山の形も、あの川も……懐かしいな……。こうやって空から、カミラと結婚するために帰ることになるとは思いもしなかった。少し、現実感がないな」
遠くを見るようなエリオットに、カミラは首を横に振った。
「ううん。おかえりなさい、エリオット」
そんな会話をかわして、エリオットとカミラが寄り添い合う。アシュレイはそれを見て穏やかに微笑んだ。
やがて――シルン男爵領が見えてくる。ジークムント老はシルン男爵家の場所など、詳しいことが分からないので操船席に戻り、船を屋敷へと向かわせる。
水晶板には目と口を丸くしているシルン男爵領の領民の姿が見えた。
通りから見上げる者。窓から顔を覗かせている者。
老若男女、領民、兵士、冒険者と、色々家々から出てきてこちらを指差したりしている。
だが空を飛ぶ船で男爵領へ向かう旨をケンネルには事前に周知してもらっている。大きな混乱はない。それでも領民達は呆気にとられていたようだが……やがて大きく飛び跳ねて手を振ったり、歓声を上げたりと歓迎の意を示してきた。
既に男爵領はお祝いムードだ。ほとんど全ての者が着飾っていて、通りに花飾りなどが溢れて、華やかな雰囲気に包まれている。
甲板上からアシュレイとステファニア姫、アドリアーナ姫が手を振ると、領民達や冒険者達が明るい笑顔で手を振り返してきて……随分盛り上がっている様子だ。
とはいえ住宅の上などを通ると圧迫感がある。ほどほどの距離を迂回しながらゆったりとした速度でシルン男爵家へと船を向かわせる。
シルン男爵家の裏手は小さな雑木林がある。アシュレイの話によるとあれも男爵家の土地で、家人をやって時々山菜やキノコを集めたりなどに使っているそうだ。飛行船を停泊させるならば、その雑木林の上が適当だろう。
シルン男爵家周辺に町の衛兵達が警備に就いているのが見える。領主とその兄、その婚約者。更に王族2人が来訪。当然手配して、警備を厚くしているのだろう。
「ステファニア殿下、アドリアーナ殿下、テオドール様におかれましてはご機嫌麗しゅう。おかえりなさいませアシュレイ様、エリオット様。ようこそシルン男爵領へ、皆様方。遠路はるばるよくぞお越しくださいました。シルン男爵家にお仕えしております、ケンネルと申します」
船から降りて男爵家の正門へ回ると、ケンネル以下、使用人とシルン男爵家の家臣達が総出で屋敷の前に並び、一礼して挨拶をしてきた。
父さんと、ブロデリック侯爵家を継いだマルコムの姿もある。冒険者ギルドのベリーネもいるな。
このまま時刻になったらシルン男爵領にある小さな神殿で挙式という流れになる。結婚式を周知して飛行船で乗り付けると恐らくお祭り騒ぎになるからと、そのまま盛り上げられるだけ盛り上げてしまうのが良いのではないかと、アシュレイやエリオット達と打ち合わせて決まったわけである。
到着してすぐに動けるというのはまあ……通信機があればこそだな。
「ただいま戻りました爺や。準備は整っていますか?」
「はい。全て打ち合わせた通りに、滞りなく。それにしても……いやはや、すごいものですな、飛行船というのは」
ケンネルはシリウス号を見て大きく息をつく。
男爵家の屋敷からは料理の良い香りが漂ってきて鼻孔をくすぐるが、まだ男爵領で食事というわけではない。挙式が済んでから男爵家で宴会となるわけだ。
この世界での結婚式は、神殿で行うのが一般的だ。神殿は月女神のものであっても精霊王のものであっても良いのだが……ともあれ月女神や精霊王の前で互いへの愛を誓い、指輪を交換して口付けを交わすという流れになる。
今回の場合は、やはり月女神の神殿で挙式という形になるか。
「こんにちは、父さん」
「うむ。元気そうで何よりだ。また……とんでもないものを建造したものだな」
「僕だけの力ではありませんよ」
と答えると、父さんは苦笑する。
「大使殿、ご無沙汰しております」
マルコムは柔和な笑みを浮かべる。
「こちらこそ、ブロデリック侯爵。その後お加減はいかがですか? 忙しいので、体調を崩されたりといったことは?」
「いや、忙しいは忙しいのですが、やりがいのある仕事だと張り合い甲斐が違いましてな。大使殿のおかげでこの通りです」
と、胸に手を当ててマルコムは一礼した。
「それは何よりです」
前に見た時より血色が良くなっているように見える。胃薬や薬香が健康維持に役立っていると良いのだが。
「何と申しますか、今日は素晴らしい式になりそうですな。いきなり度胆を抜かれました」
「そう言っていただけると作った甲斐があります」
冒険者ギルドのベリーネとも挨拶をかわす。
「ご無沙汰しております、テオドール卿」
「こちらこそ、ベリーネさん。お元気そうで何よりです。その後、森の魔物はどうですか?」
「ふふふ。アシュレイ様の冒険者からの評判が良いので、捗っておりますよ」
ベリーネは含み笑いを漏らす。社交辞令ではなく、本当に順調なようだ。
「テオドール卿こそ、大変なご活躍の様子。いやはや。空飛ぶ船とは驚きです。しかもあれほど美しい船とは」
「ありがとうございます」
やはりみんな気になるのは飛行船らしい。
「さて……。テオ。私達は一足先に神殿に向かう段取りになっていると聞いたが」
「はい。僕達は丁度昼前になりましたらシルン男爵領の大通りを馬車で通り、神殿へ向かう形ですね」
「なるほど。領民達にアシュレイ様やエリオット卿、ステファニア殿下やアドリアーナ殿下のお姿を見せようと」
「そうですね。メルヴィン陛下の意向でもあります。男爵家の領民と家臣達に安心を与えてやってほしい、とのことですので」
そう答えると、父さんは得心がいったというように頷いた。メルヴィン王の方針は通信機で連絡済みということもあり、その意図を父さんは割合正確に理解しているようだ。
招待客との簡単な挨拶を終えると、打ち合わせてある通り、父さん達は先に馬車で神殿へと向かっていった。
俺達やエリオット達の乗る馬車も――先に所定の場所に移動して待機してもらう。
頃合いを見計らい、飛行船に乗って男爵領内にある大通りの外れまで向かう。
俺達の乗る馬車が待機している場所だ。黒塗りの格調高い馬車が数台停まっている。
覆いがついていないので周囲から中に乗っている人間が見える。というより、沿道にいる人達に姿を見せるのが目的の馬車だな。
俺もアシュレイも、そしてみんなも正装だ。準備は整った。
「いよいよか」
正装に着替えたエリオットが深呼吸する。隣には花嫁衣装を身に纏い、白いヴェールをかけたカミラの姿もある。カミラは既に少しだけ涙ぐんでいる様子だ。
「カミラ。とても綺麗だ。よく似合っている」
式当日まで見てはいけない、というジンクスを守っていたから、エリオットがカミラの花嫁衣裳を見るのは今日が初めてということになる。
細かな装飾の施された見事なドレスに着替えたカミラを見て、エリオットが微笑んで言った。
「ありがとう、嬉しい……」
エリオットの言葉にカミラは今にも泣き出しそうな笑顔で答えた。
では――始めよう。甲板の縁に立ち、マジックサークルを展開する。
水で作られた階段が、シリウス号の甲板から、馬車の停まっている場所まで蛇行しながら伸びていく。水の道の先端を追うように光の煌めきと水の泡とが乱舞する。陽光を浴びる水の階段が、光を複雑に反射して七色に輝く。大通りの沿道を固める領民と冒険者達がその光景にどよめき、そして歓声を上げた。
「これは……何とも美しいですね。ありがとうございます、テオドールさん。ここまでしていただけるとは……」
エリオットが目を細める。エリオットとカミラに笑みを返し、答える。
「みんな、準備はいい?」
「ん。大丈夫」
シーラとイルムヒルトと、ユスティア、ドミニク、シリルの5人が楽しげな旋律を奏で、みんなに先んじて水の階段を渡って地上へと降りていく。
「では――行こう、カミラ」
「ええ、エリオット」
エリオットが自身とカミラに水上歩行の魔法を用いて水の階段の上に立つ。カミラは少しだけ恐る恐ると水の上に立ち、2人はゆっくりとした歩調で階段を下りていく。
ますます大きくなる歓声。俺達も少し距離を置いてエリオット達に続く。アシュレイやステファニア姫、アドリアーナ姫を称える声もあるな。祝福するように沢山の花びらを中空に投げ上げる領民もいる。丁度良い。花びらも風で巻き上げ、泡や光と一緒に周囲に舞わせる。
皆で馬車に乗り込む。主役であるエリオットとカミラが先頭の馬車に。念のために先頭の馬車にカドケウスをつけておこう。
そして領主であるアシュレイと、ステファニア姫、アドリアーナ姫が次の馬車に。
俺達がその次の馬車に乗る。水の階段は用途を終えたら変形させてイルムヒルト達の足場にして、馬車と並行させる。空飛ぶ楽隊だ。
沿道の人々の笑顔と歓声。イルムヒルト達の奏でる旋律に送られて、シルン男爵領の大通りを縦断して月女神の神殿へと向かうのだ。




