一緒にいることだけが愛情ではない
母親だって、人間なのです・・・
サイボーグでもロボットでもありません
「私の祖母からの伝言です。
『一旦、離れた方がよい場合もある』
と」
アレクは、慈恵院を視察した後、王太子夫妻と話をしていた。
「一緒にいることだけが、愛情ではない。
私は、そういう意味なのだと受け取りました」
そして、静かに続ける。
「ご子息と一度距離を置かれたことは、よかったのだと思います」
「そうね……」
王太子妃がうつむいた。
「実は、あの子が手を離れて……ほっとしている自分がいるの。
私は母親失格ですね。
その前に……人間として失格なのかもしれない」
「そんなことはございません」
アレクは、すぐに否定した。
「本当によくなさっていたと思います」
王太子妃が顔を上げる。
「私も王子様のお相手をさせていただきました。
レオンも私も、ほんの短い時間で疲れ果てました」
アレクの言葉には実感がこもっていた。
キャロルは、ずいぶんよく泣く子だと思っていた。
だが、まるで比べものにならない。
それを短時間で思い知らされたのである。
「妃殿下は、王子様がお生まれになってから、ずっとだったのでしょう?
よくぞ、ここまで頑張られたと思います」
「最初の子だったから……。
これが普通なのだと思っていたのかもしれません」
王太子妃が力なく言う。
アレクは少し考えた後、強く言った。
「ぜひ、もう一度、お子を持っていただきたいと思います。
そうすれば、妃殿下が母親失格だったのではないと、ご自身で分かることもあるのではないでしょうか」
「次の子も……同じような特性を持って生まれてくるかもしれない」
王太子妃がつぶやいた。
「妃殿下らしくございません!」
アレクが声を上げた。
「ダハントを成敗するために、私たちを利用した頃の妃殿下に戻ってください!」
王太子妃が目を瞬かせる。
「何事も、やってみなければ分かりません」
アレクは力強く続けた。
「私は、フランシス王子のおかげで、今まで知らなかったことをたくさん知ることができました。
こういうことは、誰にでも起こり得るのです」
王太子夫妻は黙って聞いていた。
「無事に生まれたとしても、思いがけない病気や事故で、人生が大きく変わることだってあります。
未来など、誰にも分かりません」
アレクは二人をまっすぐに見る。
「経験は、生かすためにあるのです。
自分をくじくためにあるのではございません。
できることには、立ち向かっていくべきです」
少し間を置いて――
「嫌な見本ではございますが……。
ダハントの執念を見習いましょう」
王太子夫妻の目が遠くなった。
「結局、あの男は、間違った方向を信じ続けたため、結果も最悪になりましたけれど……」
「そなたは励ましに来たのか?
それとも、こちらを落ち込ませに来たのか?」
王太子が、あきれたように言った。
「違います!」
アレクは大真面目だった。
「間違った方向へ突き進めば、それ相応の結果になる。
逆に言えば、正しい方向へ努力すれば、それに見合った結果につながる可能性もある。
そう申し上げたいのです」
「……そうなのか?」
「そうです」
アレクの目は真剣だった。
「熊を倒せるほどの男が、女性二人と男性一人に、再起不能になるほど打ちのめされたのですよ?」
王太子夫妻の目が、さらに遠くなる。
「それは、間違った信念のまま行動し続けた結果です。
王子様を育ててこられた経験だって、何の意味もなかったはずがありません。
その経験を、これからに生かさなくてどうするのです」
「何となく分かったような……。
やはり分からないような……」
王太子が頭を抱えた。
だが、少しだけ笑った。
「まあ……。
そなたの気持ちは分かった。
ありがとう」
アレクも、少し表情を緩める。
「誰だって失敗します。
つらい思いもします。
病気になることもあります」
アレクの脳裏に、かつてリリアから言われた言葉がよみがえった。
「それは、そんなに悪いことでしょうか?」
王太子夫妻がアレクを見る。
「自分の人生が、自分の努力だけでどうにかなるなんて……。
思い上がりです」
また、リリアの言葉が頭に浮かぶ。
「皆で助けて。
助けられて。
そうやって生きていくのです」
アレクは、ゆっくりと言った。
「妃殿下のせいではありません」
王太子妃の瞳が揺れる。
「親だからといって、子供のすべてを背負う必要はないのです。
子供が、親のすべてを背負う必要がないのと同じです」
アレクは、父である公爵のことを思い出していた。
自分の両親を恥じ、
『その血が孫にも受け継がれるのではないか』
と悩み、寝込んでしまった父。
それでも、今は立ち直っている。
「偉そうなことばかり申し上げてしまって、すみません」
アレクは深く頭を下げた。
「ただ、ご自分たちを責めることだけは、やめていただきたいのです」
そして、もう一度顔を上げる。
「私たちも、他人事だとは思っておりません。
一緒に向き合ってまいります」
アレクは、はっきりと言った。
「フランシス様は、リリアの甥です。
私にとっても、大切な甥です。
そして、キャロルのいとこです」
少し笑う。
「身内なのです」
◇
それから、しばらくした後――
王太子夫妻は、
『亡き王子の喪に服すため』
という名目で、しばらく城を離れ、地方で静養することになった。
「少しでも、立ち直ってくださればよいのですが……」
リリアが言った。
「アンドル夫妻も同行するそうだ」
アレクが答える。
「一緒にアンドルの娘を育てながら過ごすのも、よいのではないかな」
「そんなに大変だったのですか?
フランシス様は」
リリアが首を傾げた。
「私と名前が少し似ておりますので、勝手ながら親しみを感じておりました」
執事が微笑んだ。
「泣いてばかりのキャロルが、天使に思えたよ」
アレクの目が遠くなる。
そしてキャロルを抱き上げた。
「この子は、私の顔を見ると笑ってくれる。
私が抱くと、喜んでくれることもある。
だから、自然に『愛しい』と思える」
キャロルは、父親の顔を見て笑った。
「だが、フランシス様はまったく違う」
アレクは言葉を探す。
「人の顔を見ようとしない。
笑うことはある。
喜んでもいる。
だけど……何と言えばいいのかな。
こちらへ気持ちを返してくれているのか、分からなくなるのだ」
執事が静かに口を開いた。
「大変失礼な例えであることを承知で申し上げます」
アレクとリリアが執事を見る。
「初めて接した時、私はまるで……。
人の決まり事がまったく通じない、野生の動物の子と向き合っているような感覚を覚えました」
リリアの目が丸くなった。
「そこまで言うか?」
アレクも目を見開く。
「この場だけのお話でございます」
執事は冷静だった。
「もちろん、王子様を動物扱いしているわけではございません。
ただ、今まで私が子供に対して当然だと思っていた接し方が、まったく通じなかった。
その戸惑いを説明すると、それほど大きかったということでございます」
そして念を押した。
「くれぐれも、他所では口になさらないでくださいませ。
ここだけのお話です」
リリアは静かにうなずいた。
「もう少し落ち着いたら……。
私も視察へ参りたいと思います」
リリアは、そう決心した。
だが――
それが実現するのは、まだしばらく先のことだった。
すこしでも、「特性」を持った方々への理解が広まりますように・・・
そして、親への偏見「育て方云々」がなくなりますようにと願い、この話を書かせていただきました。
お読みいただきありがとうございます




