母上
前半、ちょっと不穏ですが・・・
「王太子殿下。
このオットーなる者は、『セリーは無実だ』と民衆を扇動し、城へ抗議に行こうとしていたのでございます」
レオンが我に返ったように言った。
「はあ!?
最近、そういう噂を流していたのは貴様だったのか!」
アレクが、オットーにつかみかかりそうになる。
「我が妻が、あいつにどんな目に遭わされたのか話してやろうか!
何度殺しても、殺し足りぬほどだ。
それを無罪だと!?」
アレクの目は、怒りに燃えていた。
「アレク、やめてくれ」
レオンが静かに止める。
「オットーもクリスティーネ様も、セリーにはとてもよくしてもらっていたのだ。
知らなくても仕方がない」
「なんで、お前が公爵家嫡男様を呼び捨てにするんだ?」
オットーが不思議そうに尋ねた。
「それは今、関係ない」
レオンはため息をつく。
「とにかく、申し開きをしたいのなら、きちんと話せ。
そなたとは旧知の仲だ。
できることなら、厳罰になるようなことは避けたい」
レオンの口から出た言葉に、オットーの顔が青くなった。
「厳罰……?」
「そうだ。
厳罰を受けても仕方がないことをした。
国王陛下の判断が間違っていると、民衆を煽ったのだからな。
ましてや極悪人を無罪にしろと、群衆を引き連れて城へ押しかけていたら、とんでもないことになっていたぞ」
オットーは、その場にへたり込んだ。
「い、いえ!
無罪でないのなら、死刑にしろという抗議だったのでございます!」
「は?」
一同が固まる。
「なぜ、そんな極悪人が死刑にもならず、生きているのか。
おかしいでしょう?
公開処刑にするべきだと、その方向へ民を誘導すればよいと……。
ただ、私はセリー様には大変お世話になりましたので、本当に無罪だと信じておりました」
オットーは、がたがたと震えていた。
「誰に言われたのだ?」
アンドルが静かに尋ねる。
「言っても……クビにしませんか?」
オットーがおびえた顔で見上げる。
「内容による」
アンドルの答えは冷たかった。
オットーは覚悟を決めたように口を開いた。
「エピナスチン伯爵様から、
『セリーを公開処刑にするよう仕向けてくれないか』
と言われたのでございます」
「はああ!?」
部屋にいた全員が、一斉に声を上げた。
「伯爵様は、
『なぜ、あんな極悪人が生きていられるのか。許せない』
と……。
私は、
『セリー様は、そのような人ではありません』
と申し上げました。
そうしたら、
『では、そう主張しながら、“もし無罪でないなら死刑にできるはずだ”と民衆を誘導してみたらどうだ』
と……」
アンドルは、深いため息をついた。
「母上の仇を取りたかったのだな……」
そして、王太子夫妻の前に跪く。
「大変申し訳ございません。
二度とこのようなことのないよう、父には厳重に注意いたします。
どうか、今のお話はお忘れください」
オットーも慌てて、頭を床につけた。
「本日は『お忍び』で来ているの。
私は何も聞いていないわ。
ねえ、殿下?」
王太子妃が笑った。
「ああ。
何も聞いていない」
王太子も苦笑する。
すると王太子妃は、アンドルへ言った。
「お父様に伝えてちょうだい。
処刑なんてしたら、あれはすぐに苦しみから解放されて地獄へ落ちるだけです」
王太子妃の目が遠くなる。
「地獄へ行く前に、この世で十分に苦労してもらえばいいのです」
リリアもうなずいた。
「そうですわ。
あれは反省などいたしません。
だったら牢の中で、うーんと惨めな生活をして、自分のしたことの報いを受ければよいのです」
王太子妃は、オットーへ視線を戻した。
「事情は分かりました。
あなたは、そのまま伯爵様のところへお帰りなさい。
今回のことは、なかったことにします」
「おいおい。
勝手に決めるでない。
レオンの気持ちも聞きなさい」
王太子が言う。
「私も、妃殿下のおっしゃる通りでよいと思います」
レオンが頭を下げた。
「私の旧知というだけで助けていただき、感謝いたします」
「すみません!
私の独断です!
伯爵様は独り言をおっしゃっただけです!
私が勝手にしたことです!
今すぐ私に厳罰を!」
オットーが、頭を床につけたまま叫んだ。
「遅い」
執事が、あきれたように言った。
「主人の言いなりになることだけが、よい侍従ではありません。
主人が間違った方向へ進もうとした時、全力で止めるのも侍従の務めです」
執事の目が遠くなる。
「まあ……止めても聞かない方もおられますが。
それを上手に止めるのも、仕事のうちでございます」
アレクが、ちらりと執事を見た。
執事は何も言わない。
そして、王太子へ向き直った。
「ですが、オットーには、私が見習いだった頃、娼館へ使いに行った際、ずいぶん親切にしてもらいました。
ですので、私からもお願いいたします」
そう言って、執事まで跪いた。
「おいおい!
やめてくれ!
そなたがそのようなことをするとは!」
王太子が慌てた。
「分かった。
これは内輪の集まりだ。
もう、この件は終わりだ」
「私たちも失礼いたします。
せっかくの再会の場を、めちゃくちゃにしてしまい申し訳ございません」
デリアが頭を下げた。
「えー!
せっかく来てくださったのですから!
もう、このお話はおしまいです」
リリアが慌てて止める。
「さあ、執事さん。
このオットーさんを玄関までお送りしたら、すぐ戻ってきてくださいね。
アンドル様とデリア様は、帰ったら駄目ですからね!」
「そうよ、デリア」
王太子妃も笑った。
「久しぶりに会ったのですもの。
ちょっとしたハプニングよ。
悪いのは全部――『ハゲ』」
皆が、一瞬黙った。
そして、また吹き出しそうになった。
執事は何事もなかったようにうなずき、オットーを玄関へ案内していった。
「いろいろな人間が深い傷を負っているというのに、本人はまったく分かっていない。
ある意味、セリーがうらやましいぞ」
王太子がぽつりと言った。
「本当に……。
いろいろな人間がいるものです」
公爵夫人の目も遠かった。
その時、王太子が突然声を上げた。
「さあ!
早く公爵を呼んでこい!
クリスティーネ殿と会わせるのだ!」
そして胸を張る。
「親子であることの証人となるため、我々は国王、王妃両陛下の名代として来たのだ!」
「はい!
ただいま!」
アレクが走って部屋を出ていった。
「あれ?
『お忍び』なのでは?」
デリアが目を丸くする。
「一割は公務。
残りは『お忍び』よ」
王太子妃が、ふふ、と笑った。
「あっ。
アンドル様の奥様。
改めまして、初めてお目にかかります。
公爵家嫡男の妻、リリアーナと申します」
リリアが、キャロルを抱いたまま丁寧に頭を下げた。
「え?
まさか、あなたが『熊殺しの公爵若夫人』なの?」
デリアの目が大きく見開かれた。
リリアが首を傾げる。
「えっと……。
『熊殺し』とは、何のことでございましょう?
今、公爵家は我が家だけですから、若夫人というのは私のことですよね?
私、熊を見たことすらないのですが……」
「デリア、略しすぎだ」
アンドルが訂正する。
「正確には、
『熊殺しを返り討ちにして半殺しにした、公爵家若夫人』
だ」
「待て!
『返り討ち』は聞いていないぞ!」
王太子が身を乗り出す。
「うちの方では、
『熊殺しを半殺しにした公爵家若夫人』
と広まっている」
「何ですか、それ?」
公爵夫人とリリアが、そろって首を傾げた。
王太子夫妻は、苦笑するしかなかった。
すでに城内では、
『熊を倒したダハントを再起不能にした、公爵家の夫人たち。熊より強い』
という噂まで広まっていたのである。
◇
「お待たせいたしました。
父上をお連れしました」
アレクシスが、公爵と共に部屋へ戻ってきた。
その瞬間――
クリスティーネの表情が変わった。
そして、その場に膝をつき、深く頭を下げた。
「ずっと、公爵様を置き去りにしてしまいました。
本当なら、お会いする資格などございません」
公爵が立ち止まる。
「ですが……どうしても、お顔を拝見したくて。
アレクシス様のお言葉に甘えて、ここまで参りました。
そして、ひ孫の顔まで見せていただくことができました。
もう、思い残すことはございません」
クリスティーネは、さらに深く頭を下げた。
「どうか……煮るなり焼くなり、お好きになさってくださいませ」
部屋にいた全員が息をのんだ。
公爵は、しばらく動かなかった。
やがて、ゆっくりとクリスティーネのそばへ歩み寄る。
そして、その肩に手を添えた。
「どうか、顔を上げてください」
クリスティーネがおそるおそる顔を上げる。
公爵は、その顔をじっと見つめた。
長い、長い時間だった。
「生きていてくださった」
公爵の声が震えた。
「そして、会いに来てくださった。
それだけで、十分です」
クリスティーネの目が大きく見開かれる。
「私は、何も恨んでおりません。
ずいぶん、ご苦労なされたのでしょう」
公爵は微笑んだ。
「これからは、何も心配せず、ここで暮らしてください。
失われた時間を、少しでも取り戻しましょう」
「でも……」
クリスティーネの声が震える。
「私は、あなたを捨てたのですよ。
そんな資格はありません」
「違います」
公爵は、はっきりと言った。
「父が、あなたを捨てたのです。
そのことは、すでに調べがついております」
クリスティーネが息をのむ。
「私は、あなたが私を捨てたのではないと知って――
本当に、うれしかった」
公爵の目から、涙がこぼれた。
「今から、親孝行をさせていただけませんか?」
そして――
長い間、口にすることのできなかった言葉を呼んだ。
「母上」
クリスティーネの目から、大粒の涙があふれた。
「本当の母親の温もりと優しさを、今から私に教えてください」
公爵は、ゆっくり両手を広げた。
「私を……抱きしめてくださいませんか?
母として。
長い、長い時間の分まで。
ずっと……そうしてほしかったのです」
クリスティーネは動けなかった。
目の前にいるのは、自分よりもずっと大きな、立派な公爵だった。
だが――
彼女の中に残っている息子は、まだ小さな赤ん坊のままだった。
公爵は、両手を広げたまま待っている。
やがてクリスティーネも、震える両腕を広げた。
そして、自分より大きくなった息子を、強く抱きしめた。
「もっと……もっと小さい頃に抱きしめたかった」
クリスティーネの声が震える。
「たくさん頭をなでてあげたかった。
一緒に過ごしたかった……」
彼女は少し体を離すと、公爵の頬を両手で包んだ。
そして、涙を流しながら微笑んだ。
「立派に育ってくれて……ありがとう」
公爵も、もう涙を止めることができなかった。
誰も何も言わなかった。
しばらくの間、皆はただ静かに、二人を見守った。
やがて――
アレクシスが、涙を拭いながら口を開いた。
「おばあ様」
クリスティーネが振り向く。
アレクは、笑った。
「お帰りなさい」
その時、戻ってきていた執事が、静かに言った。
「これで公爵家には、大奥様、奥様、若奥様。
三人そろわれました」
そして、ほんの少し口元を緩める。
「最強でございます。
熊であろうと、尻尾を巻いて逃げていくことでしょう」
一瞬の沈黙の後――
皆が笑った。
涙を流したまま。
泣き笑いだった。
クリスティーネにとっては、キャロルの方が自分の子供のような気がしたのかもしれません。
失われた長い時間・・・
取り戻すのは大変そうです
お読みいただきまして、ありがとうございます




