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娘のためなら、熊殺しを半殺しにいたします  作者: 鶴見 日向子


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20/27

母上

前半、ちょっと不穏ですが・・・

「王太子殿下。


このオットーなる者は、『セリーは無実だ』と民衆を扇動し、城へ抗議に行こうとしていたのでございます」


レオンが我に返ったように言った。


「はあ!?


最近、そういう噂を流していたのは貴様だったのか!」


アレクが、オットーにつかみかかりそうになる。


「我が妻が、あいつにどんな目に遭わされたのか話してやろうか!


何度殺しても、殺し足りぬほどだ。


それを無罪だと!?」


アレクの目は、怒りに燃えていた。


「アレク、やめてくれ」


レオンが静かに止める。


「オットーもクリスティーネ様も、セリーにはとてもよくしてもらっていたのだ。


知らなくても仕方がない」


「なんで、お前が公爵家嫡男様を呼び捨てにするんだ?」


オットーが不思議そうに尋ねた。


「それは今、関係ない」


レオンはため息をつく。


「とにかく、申し開きをしたいのなら、きちんと話せ。


そなたとは旧知の仲だ。


できることなら、厳罰になるようなことは避けたい」


レオンの口から出た言葉に、オットーの顔が青くなった。


「厳罰……?」


「そうだ。


厳罰を受けても仕方がないことをした。


国王陛下の判断が間違っていると、民衆を煽ったのだからな。


ましてや極悪人を無罪にしろと、群衆を引き連れて城へ押しかけていたら、とんでもないことになっていたぞ」


オットーは、その場にへたり込んだ。


「い、いえ!


無罪でないのなら、死刑にしろという抗議だったのでございます!」


「は?」


一同が固まる。


「なぜ、そんな極悪人が死刑にもならず、生きているのか。


おかしいでしょう?


公開処刑にするべきだと、その方向へ民を誘導すればよいと……。


ただ、私はセリー様には大変お世話になりましたので、本当に無罪だと信じておりました」


オットーは、がたがたと震えていた。


「誰に言われたのだ?」


アンドルが静かに尋ねる。


「言っても……クビにしませんか?」


オットーがおびえた顔で見上げる。


「内容による」


アンドルの答えは冷たかった。


オットーは覚悟を決めたように口を開いた。


「エピナスチン伯爵様から、


『セリーを公開処刑にするよう仕向けてくれないか』


と言われたのでございます」


「はああ!?」


部屋にいた全員が、一斉に声を上げた。


「伯爵様は、


『なぜ、あんな極悪人が生きていられるのか。許せない』


と……。


私は、


『セリー様は、そのような人ではありません』


と申し上げました。


そうしたら、


『では、そう主張しながら、“もし無罪でないなら死刑にできるはずだ”と民衆を誘導してみたらどうだ』


と……」


アンドルは、深いため息をついた。


「母上の仇を取りたかったのだな……」


そして、王太子夫妻の前に跪く。


「大変申し訳ございません。


二度とこのようなことのないよう、父には厳重に注意いたします。


どうか、今のお話はお忘れください」


オットーも慌てて、頭を床につけた。


「本日は『お忍び』で来ているの。


私は何も聞いていないわ。


ねえ、殿下?」


王太子妃が笑った。


「ああ。


何も聞いていない」


王太子も苦笑する。


すると王太子妃は、アンドルへ言った。


「お父様に伝えてちょうだい。


処刑なんてしたら、あれはすぐに苦しみから解放されて地獄へ落ちるだけです」


王太子妃の目が遠くなる。


「地獄へ行く前に、この世で十分に苦労してもらえばいいのです」


リリアもうなずいた。


「そうですわ。


あれは反省などいたしません。


だったら牢の中で、うーんと惨めな生活をして、自分のしたことの報いを受ければよいのです」


王太子妃は、オットーへ視線を戻した。


「事情は分かりました。


あなたは、そのまま伯爵様のところへお帰りなさい。


今回のことは、なかったことにします」


「おいおい。


勝手に決めるでない。


レオンの気持ちも聞きなさい」


王太子が言う。


「私も、妃殿下のおっしゃる通りでよいと思います」


レオンが頭を下げた。


「私の旧知というだけで助けていただき、感謝いたします」


「すみません!


私の独断です!


伯爵様は独り言をおっしゃっただけです!


私が勝手にしたことです!


今すぐ私に厳罰を!」


オットーが、頭を床につけたまま叫んだ。


「遅い」


執事が、あきれたように言った。


「主人の言いなりになることだけが、よい侍従ではありません。


主人が間違った方向へ進もうとした時、全力で止めるのも侍従の務めです」


執事の目が遠くなる。


「まあ……止めても聞かない方もおられますが。


それを上手に止めるのも、仕事のうちでございます」


アレクが、ちらりと執事を見た。


執事は何も言わない。


そして、王太子へ向き直った。


「ですが、オットーには、私が見習いだった頃、娼館へ使いに行った際、ずいぶん親切にしてもらいました。


ですので、私からもお願いいたします」


そう言って、執事まで跪いた。


「おいおい!


やめてくれ!


そなたがそのようなことをするとは!」


王太子が慌てた。


「分かった。


これは内輪の集まりだ。


もう、この件は終わりだ」


「私たちも失礼いたします。


せっかくの再会の場を、めちゃくちゃにしてしまい申し訳ございません」


デリアが頭を下げた。


「えー!


せっかく来てくださったのですから!


もう、このお話はおしまいです」


リリアが慌てて止める。


「さあ、執事さん。


このオットーさんを玄関までお送りしたら、すぐ戻ってきてくださいね。


アンドル様とデリア様は、帰ったら駄目ですからね!」


「そうよ、デリア」


王太子妃も笑った。


「久しぶりに会ったのですもの。


ちょっとしたハプニングよ。


悪いのは全部――『ハゲ』」


皆が、一瞬黙った。


そして、また吹き出しそうになった。


執事は何事もなかったようにうなずき、オットーを玄関へ案内していった。


「いろいろな人間が深い傷を負っているというのに、本人はまったく分かっていない。


ある意味、セリーがうらやましいぞ」


王太子がぽつりと言った。


「本当に……。


いろいろな人間がいるものです」


公爵夫人の目も遠かった。


その時、王太子が突然声を上げた。


「さあ!


早く公爵を呼んでこい!


クリスティーネ殿と会わせるのだ!」


そして胸を張る。


「親子であることの証人となるため、我々は国王、王妃両陛下の名代として来たのだ!」


「はい!


ただいま!」


アレクが走って部屋を出ていった。


「あれ?


『お忍び』なのでは?」


デリアが目を丸くする。


「一割は公務。


残りは『お忍び』よ」


王太子妃が、ふふ、と笑った。


「あっ。


アンドル様の奥様。


改めまして、初めてお目にかかります。


公爵家嫡男の妻、リリアーナと申します」


リリアが、キャロルを抱いたまま丁寧に頭を下げた。


「え?


まさか、あなたが『熊殺しの公爵若夫人』なの?」


デリアの目が大きく見開かれた。


リリアが首を傾げる。


「えっと……。


『熊殺し』とは、何のことでございましょう?


今、公爵家は我が家だけですから、若夫人というのは私のことですよね?


私、熊を見たことすらないのですが……」


「デリア、略しすぎだ」


アンドルが訂正する。


「正確には、


『熊殺しを返り討ちにして半殺しにした、公爵家若夫人』


だ」


「待て!


『返り討ち』は聞いていないぞ!」


王太子が身を乗り出す。


「うちの方では、


『熊殺しを半殺しにした公爵家若夫人』


と広まっている」


「何ですか、それ?」


公爵夫人とリリアが、そろって首を傾げた。


王太子夫妻は、苦笑するしかなかった。


すでに城内では、


『熊を倒したダハントを再起不能にした、公爵家の夫人たち。熊より強い』


という噂まで広まっていたのである。



「お待たせいたしました。


父上をお連れしました」


アレクシスが、公爵と共に部屋へ戻ってきた。


その瞬間――


クリスティーネの表情が変わった。


そして、その場に膝をつき、深く頭を下げた。


「ずっと、公爵様を置き去りにしてしまいました。


本当なら、お会いする資格などございません」


公爵が立ち止まる。


「ですが……どうしても、お顔を拝見したくて。


アレクシス様のお言葉に甘えて、ここまで参りました。


そして、ひ孫の顔まで見せていただくことができました。


もう、思い残すことはございません」


クリスティーネは、さらに深く頭を下げた。


「どうか……煮るなり焼くなり、お好きになさってくださいませ」


部屋にいた全員が息をのんだ。


公爵は、しばらく動かなかった。


やがて、ゆっくりとクリスティーネのそばへ歩み寄る。


そして、その肩に手を添えた。


「どうか、顔を上げてください」


クリスティーネがおそるおそる顔を上げる。


公爵は、その顔をじっと見つめた。


長い、長い時間だった。


「生きていてくださった」


公爵の声が震えた。


「そして、会いに来てくださった。


それだけで、十分です」


クリスティーネの目が大きく見開かれる。


「私は、何も恨んでおりません。


ずいぶん、ご苦労なされたのでしょう」


公爵は微笑んだ。


「これからは、何も心配せず、ここで暮らしてください。


失われた時間を、少しでも取り戻しましょう」


「でも……」


クリスティーネの声が震える。


「私は、あなたを捨てたのですよ。


そんな資格はありません」


「違います」


公爵は、はっきりと言った。


「父が、あなたを捨てたのです。


そのことは、すでに調べがついております」


クリスティーネが息をのむ。


「私は、あなたが私を捨てたのではないと知って――


本当に、うれしかった」


公爵の目から、涙がこぼれた。


「今から、親孝行をさせていただけませんか?」


そして――


長い間、口にすることのできなかった言葉を呼んだ。


「母上」


クリスティーネの目から、大粒の涙があふれた。


「本当の母親の温もりと優しさを、今から私に教えてください」


公爵は、ゆっくり両手を広げた。


「私を……抱きしめてくださいませんか?


母として。


長い、長い時間の分まで。


ずっと……そうしてほしかったのです」


クリスティーネは動けなかった。


目の前にいるのは、自分よりもずっと大きな、立派な公爵だった。


だが――


彼女の中に残っている息子は、まだ小さな赤ん坊のままだった。


公爵は、両手を広げたまま待っている。


やがてクリスティーネも、震える両腕を広げた。


そして、自分より大きくなった息子を、強く抱きしめた。


「もっと……もっと小さい頃に抱きしめたかった」


クリスティーネの声が震える。


「たくさん頭をなでてあげたかった。


一緒に過ごしたかった……」


彼女は少し体を離すと、公爵の頬を両手で包んだ。


そして、涙を流しながら微笑んだ。


「立派に育ってくれて……ありがとう」


公爵も、もう涙を止めることができなかった。


誰も何も言わなかった。


しばらくの間、皆はただ静かに、二人を見守った。


やがて――


アレクシスが、涙を拭いながら口を開いた。


「おばあ様」


クリスティーネが振り向く。


アレクは、笑った。


「お帰りなさい」


その時、戻ってきていた執事が、静かに言った。


「これで公爵家には、大奥様、奥様、若奥様。


三人そろわれました」


そして、ほんの少し口元を緩める。


「最強でございます。


熊であろうと、尻尾を巻いて逃げていくことでしょう」


一瞬の沈黙の後――


皆が笑った。


涙を流したまま。


泣き笑いだった。


クリスティーネにとっては、キャロルの方が自分の子供のような気がしたのかもしれません。

失われた長い時間・・・

取り戻すのは大変そうです


お読みいただきまして、ありがとうございます

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