母と名乗る資格
真実が明かされますが・・・・
医師が帰った後――
「あんた、かわいそうにねえ……」
ダハントの隣の牢から、女の声がした。
「私はセリーっていうのさ。
無実の罪で、ここに放り込まれているんだ。
あんたは、何をしたんだい?」
ダハントには、何を言われているのか分からなかった。
だが、セリーの優しい口調に、少しだけほっとした。
ダハントに優しく話しかける人間など、今まで周囲にはいなかったからだ。
「なんだい?
話せないのか?」
セリーがさらに声をかけるが、ダハントは答えられない。
「もしかして、あんた、外国人かい?」
今度は、ダハントの母国語で話しかけてきた。
ダハントはうれしくなり、思わず手を叩いた。
少々、体には響いたが、それでもかまわなかった。
「口がきけないのかい?
そうなら一回、違うなら二回、手を叩いてごらん」
ダハントは、一回だけ手を鳴らした。
「そうかい。
かわいそうに。
早くよくなるといいね」
ダハントは、また一度手を鳴らした。
「元気になったら、また話をしよう。
ひどい怪我みたいだから、今はしっかり寝ておきな」
そう言われ、ダハントは安心したように目を閉じた。
◇
「ほら、お前に差し入れだ」
看守は、元娼館の女主人に、暖かそうな毛布を渡した。
「まったく、奇特な人間もいるものだ。
お前なんかに差し入れとはな。
しかも、新品の上等な毛布ときた」
「誰からだい?」
女主人が尋ねる。
「名前は名乗らなかったそうだ。
『昔、恩を受けた』と。
面会はできないと伝えたら、これだけ置いていったらしい」
女主人は首を傾げた。
「誰だろう?」
日の差さない牢の中は寒く、毎日つらかった。
「ありがたい……」
女主人は、さっそく毛布にくるまった。
「誰だか分からないけれど……本当にありがたい」
その目から、涙がこぼれた。
◇
看守は、女主人へ差し入れがあったことを公爵家へ知らせた。
同時に、差し入れをした人物の身元も調べさせていた。
「あれに、上等な毛布の差し入れ?」
知らせを聞いたアレクが叫んだ。
「あれが、人から『恩返し』をされるようなことをするわけがない」
アレクの顔が歪む。
「きっと、何か関係のある者に違いない」
そう話していたところへ、レオンから手紙の返事が届いた。
アレクは、すぐに封を開けた。
「おお!
レオンの家にいる女性が、そうではないかと書いてある!」
アレクの表情が一気に明るくなる。
リリアの顔にも笑みが浮かんだ。
「早く、直接確認しに行ってください。
キャロルのことは何も心配いりません。
ただ、人違いだといけませんから、確定するまではお父様には内緒にしておきましょう」
リリアがアレクを急かした。
「よし!
行こう!」
アレクが旅支度を始めようとした、その時だった。
看守から、再び知らせが届いた。
内容を読んだアレクの表情が、たちまち険しくなる。
「……ぬか喜びだったかもしれない」
アレクが力なくつぶやいた。
「レオンの手紙に書かれている老婦人と、女主人へ毛布を差し入れた人物は、同一人物だ」
「お名前は?」
リリアが尋ねる。
「クリスティーネというそうだ」
アレクの拳が強く握られた。
リリアは驚いたが、すぐに言った。
「だったら、なおさらレオン様のところへ行くべきです。
もしレオン様ご夫妻が騙されているのなら、きちんとお伝えしないと」
「……それもそうだな。
すぐに出かける。
いいか、このことは二人だけの秘密だからな」
アレクが念を押す。
「分かっております。
道中、お気をつけて」
アレクは護衛を一人つけ、馬でレオンの領地へ向かった。
◇
数日後――
「クリスティーネ。
先週の休みは、いったいどこへ行っていたのだ?」
レオンが厳しい顔で尋ねた。
「内緒でございます」
クリスティーネは、ふふ、と笑った。
「そなたに、『詐欺事件の関係者ではないか』という疑いがかかっている。
私は『そんなはずはない』と言った。
だが、そなた。
牢にいる娼館の女主人へ、上等な毛布を差し入れたそうだな?
理由を、きちんと説明してほしい」
レオンが言った。
クリスティーネは、しばらく黙っていた。
そして、ふっと笑った。
「昔の『借り』を返しただけでございます」
「借り?
どういうことだ?」
レオンの目が見開かれる。
「娼館の女主人は、私を救ってくれた人なのです」
「はあ?」
レオンが思わず声を上げた。
「あれは元侯爵と組み、セリーが騙した貴族の子女まで利用して金を稼いでいた女だぞ。
いったい、どういうことだ?」
クリスティーネは静かに息を吐いた。
「だんな様には、お話しいたします。
私も、いつまで生きられるか分かりません。
死んだ後になって、いろいろとお手を煩わせるのも申し訳ありませんので……。
今、お話ししておきます」
そして、静かに告げた。
「私は――元侯爵の妻だったのです」
(やはり、そうか!)
レオンは、そう叫びたいのを必死でこらえ、続きを待った。
「夫だった元侯爵は、私をあの娼館へ売りました」
レオンの表情が凍る。
「ですが、主人の妻だったあの女が、
『この人には客を取らせるな』
と言ってくれたのです。
そして、私を客から隠してくれました。
元夫である侯爵や、店の主人とも顔を合わせないよう、手配してくれました。
あの女のおかげで、私は一度も客を取らずに済みました。
下働きだけで済んだのです。
だから、何とか生き延びることができました」
クリスティーネは、かすかに笑った。
「私は、夫から逃げたかった。
ですから、ある意味ではありがたかったのです。
夫の相手をすることが、本当に嫌でした。
子供と引き離されたことだけは、悲しかったのですが……。
それでも、あの人と一緒に暮らし続けることは、本当に苦痛だったのです」
クリスティーネの目が遠くなる。
「両親を亡くし、ほかに頼れる身内もいませんでした。
両親が残してくれた財産も、すべて夫に取り上げられてしまい、私には逃げ場がなかった。
それを、あの人は結果的に外へ出してくれました。
娼館へ引き渡すという形ではありましたが……。
あの人と暮らし続けるくらいなら、娼婦になった方がましだとさえ思っていました。
だから、体を売らずに済むと分かった時は、本当にほっとしました。
下働きの生活など、あの人と一緒にいることを思えば、天国のようなものでしたよ」
「では……お子は?
今の公爵閣下のことを、どう思っているのだ?」
レオンが恐る恐る尋ねた。
クリスティーネは、しばらく黙っていた。
「お腹を痛めて産んだ我が子です。
ですが……。
あの人の血を半分受け継いでいる子でもあります。
当時の私には、あの子を愛せる自信がありませんでした」
「公爵閣下は、父親とはまったく似ておられない!」
レオンが思わず強い口調で言った。
「本当に、すばらしいお方だ!」
「……よかったです」
クリスティーネは、遠い目をした。
「私が育てていたら、そうならなかったかもしれません」
「そんなことはない!」
レオンが否定した。
「そなたは、ずっとジャンヌにも、私にも、ほかの下働きの者たちにもよくしてくれた。
そんなそなたが、実の子を大切にできないはずがない」
そして、少し声を落とした。
「名乗り出て差し上げてくれ。
公爵閣下は今、本当の母上を探しておられるそうだ」
クリスティーネは、ゆっくりと首を横に振った。
「今さら……。
私には、あの方の母親だと名乗る資格などございません。
どうか、このことは、だんな様の胸の中だけにおしまいくださいませ」
クリスティーネが深く頭を下げた。
「そうはいかないよ」
突然、若い男の声が響いた。
クリスティーネが振り向く。
部屋の奥。
カーテンの陰から、一人の男が姿を現した。
「おばあ様。
初めてお目にかかります。
あなたの孫、アレクシスです」
アレクシスはクリスティーネの前にひざまずき、まっすぐ目を合わせた。
クリスティーネの目が大きく見開かれる。
「孫……?
どういうことなの?」
「ほら。
言った通りだろう?
クリスティーネが、あの女の仲間であるはずがない。
これで理由が分かっただろう?」
レオンが笑った。
「ああ。
よく分かったよ」
アレクは、涙を浮かべながら笑った。
「私のおばあ様は、すばらしい方だった。
そして父上は、おばあ様の血を濃く受け継いだのだということも、よく分かりました」
アレクは立ち上がる。
「お会いできてうれしい。
本当に、うれしいです。
抱きしめさせてください」
アレクの目から、涙がこぼれた。
そして、あっけに取られているクリスティーネを、そっと抱きしめた。
しばらくして体を離すと、アレクは真剣な顔で言った。
「父上に、会ってあげてください。
父上は、亡き祖父と、あの牢に入っている女に、長い間苦しめられて育ちました。
それでも曲がることなく、今では皆から尊敬される人になりました。
どうか、褒めてあげてください。
父上は今でも、両親からの愛情を求めています」
アレクは、言葉を選びながら続けた。
「おばあ様が苦しまれたのは、当然だと思います。
ですが、父上もまた、長い間苦しんできました。
一度だけでも、父上の話を聞いていただけませんか?」
「あの子は……大切に育てられたのではなかったの?」
クリスティーネの目が見開かれた。
「それは、ご自分の目と耳で確かめてください。
私が知っている祖父母は、最低の人間でした。
その二人から私を必死で守ってくれたのは、父上と母上です。
私は、父上にとても感謝しています。
ですが父上はきっと、本当の母親であるおばあ様からも、一度くらい褒めてほしいのだと思います」
クリスティーネは、レオンの顔を見た。
「アレクシスの言うことは本当です。
私も、公爵閣下には一方ならぬお世話になりました。
どうか一度、母親として会って差し上げてください」
レオンも言った。
「何てこと……」
クリスティーネの顔が青ざめた。
「私はずっと、私の代わりにあの女が息子を大切に育てているものだと思っていました。
セリーさんの言っていたことは、真実ではなかったのですね……」
「え?」
アレクとレオンが同時に声を上げた。
「セリー?」
二人は顔を見合わせる。
「はい。
セリーさんが、
『ご子息はとてもかわいがられて、今のお母様にもよく懐いている』
と、ずっと教えてくださっていたのです」
「ああ……。
ここにも被害者が……」
アレクは額に手を当てた。
「あれは、とんでもない詐欺師です。
貴族の子女が、なぜあれほど娼館にいたのか。
セリーが騙して、連れてきていたのですよ」
レオンが説明した。
クリスティーネは目を見開いたまま、言葉を失った。
「まさか……。
あんなに優しい方が……?」
アレクの目が遠くなった。
「とにかく、公爵邸へ来ていただけませんか?
父上と会ってください。
それから、私の妻と娘にも会っていただきたい。
セリーのことは、私の妻が詳しく知っています。
直接、話を聞いてください」
アレクが静かに言った。
「え?
あなたには、娘がいるのですか?」
クリスティーネの目が丸くなる。
「そうです。
あなたの『ひ孫』です。
これは絶対に、会うべきでしょう」
レオンが笑った。
「ひ孫……」
クリスティーネの瞳に、初めて明るい光が宿った。
「まさか……。
ひ孫まで生まれていたなんて……」
しばらく黙った後、クリスティーネは強く拳を握った。
「分かりました。
行きます。
どれほど責められても、仕方がありません。
覚悟いたします」
その声は震えていたが、決意は固かった。
「ひ孫」に反応するクリスティーネ
目の前に孫がいても半信半疑、ピンと来ていません。
彼女の中では自分の息子は赤ん坊の姿のままで止まってしまっているという裏設定
さて、今回のチャッピーの感想
冒頭の
「その女に心を許すなーー!」
でしたw
お読みいただきまして、ありがとうございます




