第四十一話 『今、ここで伝えなければ消えてしまう、大切なもの』 4. 醜い言い争い
メガル上空では目を疑うような信じがたい光景が繰り広げられていた。
ガーディアンのシルエットを持つ幻をニセ空竜王が攻撃し、それがすべて透過してしまうがために、メガル本棟に被害が及ぶ事態に陥る。
それはさながら、メガルを空竜王が攻撃しているように周囲の目には映っていた。
「どういうことだ」
拡散空刃の乱れ撃ちが司令塔の壁面をえぐり、顎の汗を拭いながら呻きにも似た声をしぼり出す桔平。
「中和バリアは核の攻撃にも耐えられるはずなのに、簡単に通過してきやがる。これが竜王の力か」
「分散はしているから、すべてというわけではないわ」
「あたりまえだ。全部通ってりゃ、今頃俺達は跡かたもねえ」
「でも、これって……」
あさみが言わんとせんことを先読みし、桔平が神妙な様子で頷いてみせる。
「ニセモノの攻撃を白い方がサポートをしているみたいにも見えるな。まるであらかじめ申し合わせているようだ」
「誰と誰が」
「……。神と悪魔」
空刃の束が正面から押し寄せ、棟が揺らぐほどの衝撃に二人がよろめく。
椅子から転げ落ちそうになり、パネルにしがみついた忍が余裕のない顔を向けた。
「こんな時に何をバカなこと言ってるんですか!」
その後方では無様に引っくり返るショーンの姿があった。
「私もそう思っていたところ」
真顔のあさみに忍が言葉を失う。
「竜王と呼ばれる彼らのしもべを安易に利用した私達のことを、彼らは許せなかったのかもしれない」
続けざまの攻撃が、司令部特設スペースを激しくかきまわした。
「くそったれが!」
鳳と合流し、礼也が陸竜王に搭乗する。
見渡せば、ノロノロと無数の白インプが蠢いているのが見えた。
『礼也、とっととそいつらかたづけろ。すぐに……』
「言われなくてもそのつもりだって」
鳳の声に、ぐっと奥歯を噛みしめる。
モニターには、ニセ陸竜王が街もろともインプを消滅させる様子が映し出されていた。
「こんな奴らに時間かけてらんねえからな」
楓達は倉庫が立ち並ぶ港の埠頭へと辿り着いていた。
周辺に障害物はなく、囲まれれば逃げ場所はなくなる。もし海から何かがやってくれば、一たまりもないはずだった。
広い倉庫内一杯に人が押し込められ、みなが息をひそめてうずくまる。
時おり聞こえる破壊音に、多くの人間がビクッと身をすくませた。
「はい」
洋一とほのかを抱きしめてかがむ楓の目の前に、小さな手が差し出される。
暴徒に突き飛ばされた先ほどの幼女が、飴玉を三つ差し出して笑っていた。
「あげる」
「ありがとう」
楓が笑顔でそれを受け取ると、幼女は両親のいる場所まで走って帰っていった。
十メートルほど離れた場所で幼女を受け止めた父親と母親が、楓に小さく頭を下げる。
それに楓も穏やかな笑みで応えた。
その時、倉庫を激しい打撃音が襲った。
ざわつく庫内。
続けて聞こえてきたのは、最悪の事態ではなかったものの、歓迎しがたい声だった。
「開けてくれ! 俺達も中に入れてくれ」
様子をうかがう避難民達。
彼らにはわかっていた。それがほんの数時間前、自分達を市民会館から締め出した集団であることが。
「助けてくれ。俺達も入れてくれ」
「奴らが来る。早く開けてくれ」
「かまうことない。ぶち壊して中に入ろう」
顔を見合わせる避難者達。彼らを招き入れることは本位ではなかったが、建物を壊されてはたまったものではない。
変化をもたらしたのは、とある一人の発言だった。
「彼らを中に入れよう」
「何を言っているんだ、あんたは」
「奴らは俺達を追い出したんだぞ」
「助けてやる義理なんてない」
「追い返せ」
当然のごとく沸き立つ反対意見だったが、彼の表情が揺らぐことはなかった。
「それでは彼らと同じじゃないか。俺達は人間だ。こんな時に助け合わなくてどうする」
それでも渋る声々を制して、彼が扉を開けに向かう。
ドンドンと鈍器で破壊を試みる外の輩に声をかけ、扉を開放した。
我先に飛び込んでくる、この世界に必要な人間達。
助けられた礼よりも先に、恨み言が先住者達に襲いかかった。
「どうして早く開けなかったんだ!」
「奴らが来たらどうなっていたと思う!」
「俺達を見殺しにする気だったのか!」
「おまえらは自分達だけ助かればいいのか!」
「なんて自分勝手な奴らだ!」
自分自身に投げかけるべき言葉すべてを、救済者に向けて叩きつける。
それは助け合いという意味すら見失うに充分な振る舞いだった。
「自分勝手なのはおまえらの方だろう!」
そのしごく当然な一言が、対立の構図を決定づけることとなった。
「俺達を追い返したくせに、自分達が困ったら助けろというのか。虫がよすぎるぞ」
「さっき言ったことが理解できなかったのか。我々はこの先に必要な人間だと言っただろうが。そんなこともわからないのか、バカどもが」
「知ったことか。おまえらなんぞ、俺達は必要としていない」
「後で泣きついてきても知らんぞ。おまえ達だけで何ができると思っているんだ」
「どの口が言うんだ。恥を知れ」
もはや収拾不可能な状態にまで陥っていた。
外部者を招き入れた決定者も事態収拾に奔走するが、誰も耳を貸そうとはしなかった。
楓は醜い言い争いから目をそむけるように、洋一とほのかを強く抱きしめて目を閉じた。
少女の家族達も同様だった。
争いを好まない人間達にとって、今の惨状は身を引き裂かれるほどの苦痛であったからだ。
やがて意外な人物がその争いに終止符を打つ。
地元の有力者であり、国の政治にも発言力を持つ有名議員だった。
「みんな、やめよう。不毛な争いはもうやめよう」
懐疑的な視線を向ける人間もいたが、多くの視線が彼の言葉に耳を傾ける。
「情けないことだが、先ほどは不測の事態に流されてしまい、我々も自分を見失っていたようだ。反省しなければならない。だが、こうなってしまってはどうしようもない。ここにいる全員で助け合って、この苦境を無事生き延びよう」
演説はなれたものだった。うさんくささはあるが人を惹きつけるカリスマ性が彼からは感じられ、そこに安心感を覚えた人間も少なくなかった。
「助け合うって、どうするんだ」
「どうやったらここから生きて出られる」
「いったい、何がどうなっているんだ」
その一人一人の顔を見つめながら、彼が頷いてみせる。
「今、原因を調査させているところだ。もうすぐ外部にいる秘書から連絡がくるだろう。すでに助けがこちらに向かっている」
「本当か」
「俺達も助かるのか」
「本当だ。必ず助けが来る。私の周辺の人間達が私の身を案じてくれている。私といれば大丈夫だ」重々しく頷く。「この山凌市に不測の事態が起きていることは隠しようがない事実だ。このままでは市が丸ごと消滅することにもなりかねない。だが私がそれを未然に防いでおいた。多方面に働きかけて止めさせるよう進言したから、もう大丈夫だ。君達の安全も保証するよう伝えておく。ここにいる人間しか助けられないかもしれないが、残念ながら今の私の力ではそれが精一杯だ」
「それで充分です」
扉を開けた人物が、政治家を熱いまなざしで見つめる。
「あなたがいてくれたおかげで我々は助かった。あなたがきてくれてよかった」
「それはこちらのセリフだ。我々を助けてくれてありがとう」
集団の怨嗟が沈下し、倉庫内が穏やかな安堵で満たされていく。
が、争い合っていた人間が自分達の行為を恥じ出した頃合いで、それはいともたやすく崩壊していった。
「やつらだ、やつらが来たぞ!」
扉の隙間から外を見張っていた人間が叫ぶ。
埠頭にある倉庫を取り囲むように、白いインプの群が迫りつつあった。
そこから逃げ出すには、前方の海に飛び込むしかない。
その海の彼方からも、おびただしい数の異形の影が浮かび上がり始めていた。
「おまえ達だ。おまえ達がやつらを連れてきたんだ!」
「違う。おまえ達が騒ぐから、やつらに見つかったんだ」
「さっさと俺達を中に入れないからだ」
「おまえ達のせいだ」
「いや、おまえ達のせいだ!」
再び火がついた醜悪な争いのノイズは、インプ達を誘導するに充分すぎるほどだった。
「先生! 大丈夫ですよね!」
泣きついた人間の手を、政治家が渾身の力で引き剥がした。
「離せ!」血走る目で睨みつける。「隠れるところはないのか。隠れるところを教えろ。早くしろ!」
「おい、何とかしろ。助かるんじゃなかったのか!」
「うるさい、何もしない奴は黙っていろ!」
「なんだと、貴様!」
「貴様達は口ばかり出してきて何もしようとしない。人にばかり頼っていないで、たまには自分達で何とかしてみろ! おい、どけ! そこをあけろ!」
楓が唇を噛みしめる。
何もできない無力さが悔しかった。
ただ、震える弟達を抱きしめることしかできなかった。
濃霧のように見通せないほど密集する白いインプの塊を、礼也が駆逐する。
その動きは極めてのろく、さして脅威も感じられない。
しかし数が尋常ではなく、倒しても倒しても際限なく湧き出るようでもあった。
「くそ、キリがねえ」
悪態をつく表情に焦りの色が浮かび上がった。
楓達の身を心配していた。
『どこにいる、どこに……』
轟音とともに、目の前のインプがごっそりと刈り取られる。
開けた視界の先に、礼也は見たくもないものを認めなければならなかった。
「おいでなすったか」
両眼を煌々と輝かせ真紅に燃え上がるもう一体の陸竜王の姿を、たった今肉眼で確認した。
「みんな死ぬんだ! 死ぬんだ!」
やけっぱちとなった無責任な発言の束が、パニックに次々と拍車をかけていく。
「誰も助からないんだ。俺達は全員死ぬんだ」
「いやだ、死にたくない」
「死にたくない!」
覚悟を決め、なかば諦めたようなまなざしで周囲を見渡す楓。
そこに助け合いの精神は微塵にも存在せず、こんな醜い心ばかりであれば滅びてしかるべきだとも思わせた。
泣き喚く声に、楓が目を向ける。
飴をくれた少女だった。
恐怖に震える少女を、その父親と母親が優しくなだめる。
騒がしさでその声は耳に届かない。
しかし楓にはわかっていた。
彼らの口の動きが、少女を安心させるために動いていることを。
大丈夫、大丈夫と元気づけていることを。
その表情はこの期に及んでも穏やかで、何があろうと自分の子供の身だけを案じているようだった。
「ママ、こわい……」
「大丈夫よ。きっと神様が助けてくれるから。一緒にお願いしよう」
「うん」
「!」
ふいに思い出し、楓が制服のポケットをまさぐる。
取り出したものを見つめる楓に気づき、洋一とほのかが不思議そうな顔を向けた。
「お姉ちゃん、どうしたの」
「それ、な~に」
*
「おい、待て」
礼也から引き止められ、楓が足を止める。
何も期待せずに振り返った楓を、礼也はただ見つめ続けた。
やがて懐から腕時計を取り出し、差し出す。
「これ、持ってけよ」
「……」
「発信装置だ。いろんなモンがぐちゃぐちゃに入り乱れてる状態でも、この赤いボタンを押している間はおまえ達のいる場所をピンポイントで教えてくれる。あんまりずっと使ってると電池がなくなるから気をつけろ。いけるかどうか、約束はできねえがな」
礼也の目を見つめたまま、それを受け取る楓。
「ありがとう」
「ケガするなよ」
「礼也君も……」
*
キッと顔を上げ、楓が弟達を抱きしめた。
「私達は、今、自分達ができることをしよう」
楓が手にするものを握りしめる。
強く、強く、自分の命と引きかえにするように。




