第四十一話 『今、ここで伝えなければ消えてしまう、大切なもの』 3. 殺す覚悟、殺される覚悟
トレーラーから降りた南沢が、駒田の額の傷に気づき、目を細めた。
「おい、大丈夫か」
「ああ、どうってことはない」
駒田がひっくり返した車両を眺め、南沢が嘆息する。
「こうなるとは思っていたが、実際なってみるとつらいな」
「ああ」額の血を拭いながら、「おまえ、家族はどうした」
「メガルに避難させた。あんなところでも、ここに残しておくよりはマシだからな」
「そうか。そうだな」
「そんなことより」
南沢が顎で示した方向に駒田が目を向ける。
そこには海竜王から離れ、塞ぎこむ光輔の姿があった。
*
暴徒達の暴走によって、事態は収拾困難な状況にまで追い込まれていた。
何もできず見守るしかない光輔らの顔が青ざめる。
そこへ南沢からの連絡が届いた。
「南沢さん!」
『光輔だな。今そっちはどうなってる』
「大変なことになってます。逃げ遅れた人達が駒田さん達につめ寄って、今にも爆発しそうです」
『どっちがだ』
「どっちもです。駒田さんも礼也も我慢してますけど、たぶんもう無理です」
『そうか。そっちにいこうと思ったが、様子が変なんでいくのをやめたんだ。おまえ、表の国道まで出られるか』
「え」
『大変だろうが、そういう状況ならば、おまえの手で何とかするしかない』
「お、俺が……」
『傷つけろと言っているわけじゃない。海竜王で威嚇して、彼らを夕季達から遠ざけるんだ。後は俺達でなんとかする。おまえがそういうことをしたくないのはわかっている。だが今はそれしか手がない。割り切ってくれ』
「……わかりました」
『頼んだぞ』
南沢との通話を終え、目立たないように光輔が国道へと向かう。
そこに祐作が立ちふさがった。
「祐作」
「おまえ、何する気だよ」
その真剣な表情に気圧されながらも、光輔が告げる。
「表の国道にメックの人が来ているから、案内を……」
「嘘つくなよ!」
祐作の大声に、みずきも顔を向けた。
「嘘なんかじゃ、ない」
「おまえ、あのロボットに乗って、あの人達を追い払う気だろ」
「!」
図星をつかれ、光輔の心が後退する。
祐作の持つ疑念は、最悪の状況を想定したものばかりだった。
「この状況で俺達にどうしろっていうんだよ。わけわかんねえよ。わけわかんないままこんなことになって、それでも必死んなって逃げて、そんな俺らを、メガルは追っ払うのかよ。メンドくさくなって、全部投げ出すつもりかよ。そんなの納得できねえよ」
「そういうことじゃないだろ」
「そういうことだろ。メガルがなんかあったから、こんなふうになったんだろ。全部とは言わねえけど、メガルが原因なのは間違いないんだろ。ああいうふうに文句言われたって仕方がないことだろ。それなのに、とばっちりくらって逃げることもできない俺らを見捨てる気かよ。おまえら、そんなんでいいと思ってるのかよ!」
「羽柴君、違う」
いたたまれなくなって中に入ったみずきを、祐作が睨みつけた。
「違わないだろ。ちっとも違わないだろ。俺ら、ずっと光輔のこと信じてきた。でもこんなんじゃ、何も信じられねえよ。もう、ツレとか思ってられねえよ。ずっと信じてたのに……」
それは嗚咽のように最後がかき消えていた。
もう何を言っても無駄だろうと、光輔は感じていた。
「……俺、いくから」
「いきたきゃ、いけよ」
追い討ちをかける祐作に、光輔が一瞬足を止める。が、それから振り返ることなく、遠ざかっていった。
「俺らもあっち側の人間だ。おまえがどうしようと、もう関係ねえよ……」
*
塞ぎこむ光輔に南沢が近寄っていく。
その覇気のない顔をまじまじと眺め、南沢は臓腑を吐く思いでそれを口にした。
「光輔、いくぞ。インプがすぐそこまで迫っている」
「……はい」
「本当に大切なものがあるのなら、それをとことん信じろ。何があっても信じろ。俺達がおまえらのことを信じてきたようにな」
市民会館の前では醜い言い争いが起きていた。
近隣でもっとも頑丈だと思われるその建物にキャパをはるかに超えた避難住民が押し寄せ、場所の確保をめぐって小競り合いが始まっていたのである。
その中心となっていたのは主に地域の実力者や、直接的な力を誇示しようとする輩達だった。
彼らの身勝手な弁舌によって、老人や子供といった力なきものには厄介者という図式が押しつけられようとしていた。
「ここに全員入るのは無理だ」
「だったら老人や子供達から優先して避難させるべきだ」
「その後はどうする気だ。一難が去っても次の対応のためにはそれなりの人員が必要だ」
「しかるべきところに連絡が取れる人間、そういった連中と対等に話せる人間がいなければ、今生き残ったとしても、結果的に誰も助からなくなる」
「何が重要なのかということを考えれば、おのずと答えは出る。これからのために何をすべきか、そのために何が必要なのかだ。そんなことくらい誰だってわかるだろう」
「これからのためにも、市の行政や町を立て直す力を持った人間が必要になる」
「彼らは生き残らねばならない」
その不毛な言い争いにおける意見の押し付けを、楓は不安げに見守っていた。
無論、彼らが言う『彼ら』とは、自分自身のことを示すことは明白だった。
やがてその身勝手な論法は、理不尽な飛躍をも重ね始める。
再建に必要なのは若い力であり、足手まといになるからと、年寄りや子供を見捨てるよう提案する者がいた。
そこに楓達ごく普通の市民は含まれないはずである。
膨れ上がった数の中から選ばれた人間達は、金持ち、地元の権力者といったわかりやすいものばかりだった。彼らのモチベーションを保つためとその後継者という理由で身内や家族達が選りすぐられ、その関係者と彼らが選んだ知り合いも当然のように優先される。
そこには醜いエゴしか見えなかった。
「この町の復興に必要な人間が生き残るためには、それを守る人間も必要になる」
「若くて強い人間を残せ」
「弱い人間は必要ない」
「弱い人間は足手まといになる」
「弱い人間は不要だ」
「弱い人間は生きている価値がない」
「弱い人間など死んでもかまわない!」
楓が震える弟達を抱きしめる。
この期に及んで、とても自分達だけでもなどと言い出せる状況ではなかった。
屈強な荒くれどもの波にのまれ、一人の幼児が突き飛ばされる。
「どけ、邪魔だ」
あわてて駆け寄る母親と同じタイミングで、楓もその女の子を抱き起した。
「大丈夫?」
「みきちゃん!」
泣き叫ぶ子供を抱きしめる母親。
そこに父親の怒りが重なった。
「何するんだ! あんた達は!」我が子を突き飛ばした輩とは体格も見てくれもまるで正反対の温厚そうな青年だった。それでも怒りはおさまらない。「それでも人間か」
その意味すら解すことのない卑下た輩は、目の前の人間をただ疎ましげに眺めおろすだけだった。
「人間だよ。おまえらより役に立つ、必要な人間だ」
「何もできない奴はどいてろ」
「こっちはおまえらと違って、死ぬ覚悟だってとっくにできてるんだ」
「邪魔だ」
むげもなく突き放される力なき者達。
そこに漂う薄ら笑いからは、正しい心を微塵にも感じ取れはしなかった。
「どけ!」
後ろからの強引な割り込みに突き飛ばされ、しりもちをついた青年を、心無き者達がせせら笑う。
敗者をあざ笑う醜い優越感をあらわに通り抜けようとした乱暴者が、頭から派手に転がっていった。
何者かが足を出し、蹴つまづいたのだ。
幼女を突き飛ばした輩も含め、仲間達が一斉に振り返った。
その視線が集中する一点に目を向けた楓が言葉を失う。
怒りとも悲しみともとれる複雑な表情で、茜が立っていたからだった。
「何しやがんだ」
「わざと足かけやがったな」
「文句があるのか、てめえ」
「ケンカ売ってやがるのか、女のくせに」
「文句があるからわざと足をかけてケンカを売っている。女のくせには余計」
「ああっ!」
「順番を守れない人間に、列に並ぶ資格はない」
相手を見下すように憮然と言い放つ茜の姿に、ならず者達が毒気を抜かれる。
すぐさま心を立て直した彼らの鼻つらを、茜の差し出した棒の先端が封じ込めた。
「なんだ、てめえ」
「上等だ」
見過ごせぬ怒りがありながら、なおも女となめてかかる彼らが威嚇を解かぬうちに、茜が先に動く。
身長よりも長い棒をくるくると己の手足のように操り、瞬く間に三人を打ち伏せていた。
ある者は脳天を、ある者はみぞおちを打たれ、いずれも動くこともままならぬダメージにうずくまった。
残りの人間達を不敵に見据え、ドンと大地に怒りを叩きつけた茜に、今度こそ彼らの迷いが吹っ切れたようだった。
目の前の少女を叩きのめすべき敵だと認め、激しく憤ったのである。
「女だからって容赦しねえぞ!」
拳を振りかざして飛びかかった彼らの声が、そこで途切れる。
ぬらりと光る鋭利な刃先が、先頭の男の鼻先に突きつけられていた。
ナギナタの先に被せられていた布を茜が取りはらったのだ。
「女だからと容赦はしなくていい。こちらも遠慮する気はさらさらない」
「お、おい、何やってやがる……」
震える声でそういきまく男に、軽蔑だけの表情を仕向ける茜。
「人を一人殺そうとしている。覚悟もないのにいつでも死ねるとうそぶく、救いようのない愚か者を」
「じょ、じょうとう……、ひっ!」
数ミリだけ動く刃先が彼の鼻つらに浅い筋を描く。
それだけで乱暴者達の勢いは沈静化してしまった。
その間、茜の表情は微動だにしなかった。
「あ、あ……。俺が何をした。殺されるようなことは何もしていないぞ」
「あいにく、そう思っているのは自分だけ。あなたは自分が考えているより、はるかに罪深い人間なはず」
「ふざけるな! 俺が何をした! 言ってみろ!」
「小さな積み重ねを怠り、人の気持ちを踏みにじり、力ずくで相手を蹴落とすことにわずかな痛みも感じない傲慢で愚かな輩が、ためらいもなく他人から大切なものを奪っていく。何の感情も持たず、時にはくだらない冗談すら口にしながら。厚顔無恥なあなた達には、一つも思い当たらないでしょうけれど」
「……。罪のない人間なんてどこにもいねえだろ。生まれたばかりのガキでも、大なり小なりいつかは罪を犯す。ここにいる奴ら、全部そうだ! 違うか!」
「そのとおりだと思う。あなた達を見ていればよくわかる」
「てめえだけ違うとは言わせねえぞ」
「違わない。私ほど罪深い人間はいないから。だから誰かに助けを求めたり、他人を助けるつもりもない。残念だけれど、私にはあなた達を助ける理由が見つからない。ここまで言えば、あなたがどれだけ自分勝手で恥知らずでも、自分がこれからどうなるのかわかるはず」
「……。助けてくれ。死にたくない……」
「安心しなさい。あなたが誰よりも助かるべき存在であり、死をも恐れない命知らずが他にもいるのなら、きっと助けてくれる。そうでなければ、諦めなさい」
「ひっ……」
シュッと刃先を返し、茜が背中を向ける。
死地から開放された輩が、切り裂かれずり下がったズボンに足をとられ、無様にしりもちをついた。
「自分が必要な人間だと勘違いして、他人に利用されていることにも気づかないお人よしのあなた達には、こんなくだらない世界がお似合いだと思う。せいぜい頑張ることね」
完全に毒気を抜かれた彼の仲間達には、もはや敵討ちのために少女の背中を追う勇気はなかった。
「お姉ちゃん」
トリップしかかっていた楓の心を、洋一の声が引き戻す。
「あのお姉ちゃんだよ。僕達を助けてくれたの」
「本当なの」
「うん」
「う~ん!」
その一瞬で茜の姿を見失う。
きょろきょろ周囲を見回す楓に、先の親子が声をかけてきた。
「港の倉庫ならまだ避難する場所が残っているかもしれない。君達もいくかい」
茜に気をとられ反応が遅れた楓だったが、今置かれた状況を思い返し、神妙な様子で頷いてみせた。
「はい」
背後から囁かれる、「あんなところにいっても助からない」と、あざ笑う声を聞きながら。




