第27話 役所は地獄より話が早い
封筒には、出頭命令だけが簡潔に記されていた。
封蝋に刻まれていたのは、細い剣と天秤を組み合わせた紋章。
天界戒律院。
「名前からして絶対仲良くなれない組織じゃん!」
「奇遇ですねえ。私もそう思います」
「ディーゼちゃん、そういうこと言わないで!」
マヨイエルだけは昨夜からずっと落ち着かず、封書を読んだあとも「どうして今……」と何度か繰り返していた。
そして今。
三人は辺獄の東側に設けられた天使側行政区へ向かっていた。
昨日歩いた市場や宿泊区とは空気がまるで違う。道幅は広く、建物は白い石造りで統一され、露店も酒場も見当たらない。代わりに武装した天使が一定の間隔で立っている。
「辺獄にもこんな堅苦しい場所あんだな。急に現実へ連れ戻された感じするわ~~」
「ここは臨時の天界行政区です。戦争前から辺獄には天使側の施設がいくつかあったんですけど、今は避難してきた組織も多くて」
マヨイエルの説明を聞きながら、ロンジは前方の白い建物群を見る。
「戒律院も?」
「一部だけです。本部は天界ですよ」
「神様が亡くなったからって、役所まで一緒に消えてくれたわけではないんですよねえ」
ディーゼの一言に、マヨイエルがぎょっとする。
「ディーゼちゃん! 門の人に聞こえるよ!」
「聞かせてます」
「もっと駄目!」
実際、門を守る二人の天使がこちらを見た。
ディーゼは構わず通り過ぎる。ロンジはその横顔を見ながら、昨日の展望路で聞いた言葉を思い出していた。
《《天使だから味方とは限らない》》。
ネタ半分に聞いていた話を、これから実物で確認させられるような気がしてならない。
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戒律院の臨時庁舎は、教会と裁判所を無理に繋げたような建物だ。案内された部屋には装飾はほとんどなく、中央に長机と椅子が置かれているだけ。
三人が入ると、すでに五人の天使が待っていた。
全員が白と濃紺を基調にした法衣を纏い、中央には人間の感覚で五十代ほどに見える男性天使が座っている。長い緑色の髪と眼鏡をかけた痩身の男だった。
「能天使ディーゼ。権天使マヨイエル。そして――人間ロンジ」
名前を呼ばれたロンジは、少し迷ってから片手を上げた。
「どうも。場違い枠です」
男は反応しなかった。
「私は戒律院第三執行部所属、ラグエル。着席を」
「冗談通じなさそうですねえ」
「ディーゼちゃん、本当に今日はやめて!!」
三人が机を挟んで腰を下ろす。
ロンジは何気なく室内を見回した。壁際の武装天使に加え、部屋の隅にも護衛がいる。
昨日までなら単なる警備だと思っただろう。
今は違う。
天使は天使を殺せる。
《《そして人間である自分なら》》、もっと簡単に殺せる。
「まず確認します」
ラグエルが書類を開く。
「第一回神魔代理戦争において、天使陣営第一闘技者として、死した天使の肉体へ人間の罪人を降霊した。間違いありませんね」
「概ね」
「その術式の提案者はあなた。死した天使の肉体を器として使用し、神罰を利用して罪を武装化した。そして、人間ロンジを魂の中和のために用いた」
「全部私ですねえ」
「本人の同意は?」
「取りました」
そのままラグエルの顔がロンジへ向く。
「事実ですか」
「え、俺? まあ……同意はしましたけど」
「強制は?」
「強制っていうか、報酬でかなり釣られました」
マヨイエルが隣でうっと声を出す。
「ロンジくん……」
「いや事実じゃん。ここで嘘ついて後からもっと怒られる方が嫌だろ」
「具体的な報酬は?」
ラグエルに問われ、ロンジは一度ディーゼを見た。
本人は完全に他人事の顔をしている。
「現世への復活と……世界を救った英雄なら、天使の女性とも仲良くなれるかもしれない、的な話をちょっと」
戒律院側が沈黙した。
マヨイエルの顔が一気に赤くなる。
「な、なんでそこまで正直に言うんですか!」
「俺が悪いの!? 今、事情聴取されてんの俺なんだけど!?」
ディーゼだけが喉の奥で笑っている。
「一応、本人の自由意思ですよお」
ラグエルは何事もなかったかのように記録へ何かを書き込んだ。
「では、本題へ移ります。戒律院として、今回の召喚術には重大な問題があると判断しています」
「でしょうねえ」
「死体利用、魂への干渉と神罰の転用。いずれも従来の天界法では禁忌に該当する可能性が高い」
ディーゼが椅子の背へ身体をもたれる。
「〝可能性が高い〟とは、随分慎重な言い方ですねえ」
「神の死後、法解釈が確定していません」
「ですよねえ。だからムリエル様も、監視下での試行を認めた」
「承知しています」
「なら、この話はそこで終わりでは?」
「我々は問題がないとは申し上げていません」
「さすが戒律院。言葉の隙間が細いですねえ」
「法を扱う組織ですので」
ラグエルは調子を変えない。
「ただし、代理戦争そのものは継続してください」
ロンジは思わず身を乗り出した。
「止めないのか?」
「止めれば、悪魔側へ世界統治権が渡る可能性が高まります。我々も世界を滅ぼしたいわけではありません」
そこだけ聞けば、至極まっとうだった。
「では、何がご不満で?」
ディーゼが訊く。
「あなたではありません」
ラグエルの視線がロンジへ移る。
「問題は、彼です」
「……俺?」
「正確には、人間ロンジの扱いです」
ディーゼが椅子から背を離した。
「続けてください」
「彼は正式な天界所属者ではない。天使でもなく、現在は代理戦争の闘技者でもない。それにもかかわらず、禁忌術式の中核へ置かれている」
「中核というより原版です」
「本質的な差はありません」
「ありますよ」
返答だけはすぐだった。
ディーゼの声から、さっきまでの戯けた響きが抜ける。
「ロンジさん本人を毎回術式へ組み込んでいるわけではありません。第一回降霊時に取得した魂魄の波形を参照して、中和膜を複製しているだけです」
「しかし、原版との参照接続は今も維持されている」
今度はディーゼが黙った。
「……、そこまで調べましたか」
「戒律院ですから」
ロンジだけが会話から一歩遅れている。
「ちょっと待って。俺って今も何かと繋がってるの?」
「薄くですけども……」
「初耳なんだけど!」
「今度ちゃんと説明しようとは思ってましたよお」
「俺に関する重要事項、毎回今度に送られてない!?」
「現時点で生きてますし」
ラグエルは二人のやり取りを無視して書類をめくった。
「原版である彼が死亡した場合、新規降霊は著しく困難になる。また、既に定着した闘技者についても、時間経過とともに安定性を失う可能性がある」
ロンジの頬が引きつる。
「……、俺、思ってたより重要なやつですかねこれ」
「そうですねえ」
「昨日まで戦闘力ないから安心してくださいみたいな扱いだったじゃん!」
「重要性と強さは別物ですよお」
「ゆえに、人間ロンジを無制限にディーゼの管理下へ置くことは認められません」
その言葉に、ディーゼがラグエルを見る。
「……それで?」
「戒律院の監督下へ置きます」
「嫌です」
間髪入れない返答だった。
ラグエルが一拍だけ止まる。
「まだ条件を提示していません」
「聞いたところで良しにはならないでしょうけど、一応どうぞ」
「完全拘束はしません。世界救済に必要な人材であることは、我々も認識しています。その代わり――定期的な贖罪戦への参加を命じます」
聞き慣れない単語に、ロンジの頭が一度止まった。
「……、《《贖罪戦》》って何?」
「辺獄地下迷宮に設けられた、戒律院管轄の戦闘処分制度です」
昨日聞いた話が、一気に繋がった。
「……………………待って。俺がそこに出るの?」
「はい」
「戦うんだよな?」
「その都度、規則と対戦対象が決定されます」
「いやいや、そこ曖昧にするなって。俺、戦えないぞ!!!?」
「承知しています」
「承知した上で送り込むの!? おいおい今日は嘘ついていい日とかじゃないぞ!!?」
「生還できれば問題ありません」
ロンジは一瞬、言葉を失った。
「……、それ、送り出す側が言っていい台詞?」
隣で椅子が軋んだ。
「ラグエルさん」
ディーゼが身体を起こす。
「確認しますけど、ロンジさんに戦闘能力がほぼないことは、そちらも把握してるんですよね? その人を地下迷宮へ送って、必要に応じて戦わせる」
「その通りです」
「…………それを定期的に?」
「必要と判断した際に」
ディーゼはすぐに返さなかった。
ロンジにも分かる。これはいつもの彼女ではない。
軽口を挟む場所を探しているのではなく、自分の中で何かを押さえ込んでいる。
「ディーゼちゃん……」
マヨイエルも気づいたらしい。
「つまり、それ」
ディーゼがようやく口を開く。
「《《処刑ですよね》》」
「違います。生還の可能性を与えています」
「可能性さえあれば処刑じゃない、と?」
「贖罪です」
「名前を変えても中身は変わりませんよ?」
ディーゼが机へ片手を置いた。叩いたわけではない。それでも護衛の天使たちが彼女の動きを意識したのが分かった。
「この人、そもそも罪人ですらありません」
「禁忌召喚へ関与しています」
「私が巻き込んだんです」
「能天使ディーゼ。感情で議論しないでいただきたい」
ディーゼは机に置いた手を引かなかった。
「かなり理性的に話してますよ。でしたら逆に教えてください。なぜ贖罪戦でなければならないんです?」
「《《彼が危険だからです》》」
ラグエルの返答は早かった。
「人間でありながら、死者の魂と接続している。神罰を介した<罪具>生成にも関与した。そして第一闘技者が消滅した後も、接続が完全には切れていない可能性がある」
ロンジの右手が反射的に動いた。昨日から勝手に曲がる人差し指。
(……、何でこいつら、それを知ってんだ?)
誰にも話していない。ディーゼも同じ疑問を持ったらしい。
「何か確認したんですか?」
「現時点では可能性の話です。しかし、彼を放置する方が無責任でしょう」
「……だから極限状態へ放り込むと?」
「その際に起きる変化も含め、観察します」
そこで、ディーゼの肩から余計な力が抜けた。
怒りが収まったわけではない。むしろ、相手の目的がようやく一本に繋がったようだった。
「……、なるほど」
「何が?」
ロンジが訊く。
ディーゼはラグエルから顔を逸らさない。
「嫌がらせじゃないんですねえ」
返事はない。
「ロンジさんが〝何なのか〟、極限状態まで追い込んで確かめたい。贖罪戦なんて名前をつけてますけど――要するに実験ですか」
室内から音が消えた。
否定はされない。
「最低」
ディーゼが吐き捨てる。
マヨイエルが息を詰め、護衛の天使たちも重心を変えた。ラグエルだけは席を立たない。
「拒否しますか」
逆に問われ、ディーゼは数秒黙った。
「拒否したら?」
「禁忌召喚への関与者を一時拘束します。対象はあなた、マヨイエル、人間ロンジ。そして召喚施設を封鎖する」
ロンジの背中に嫌な予感が通って行った。
「次の闘技者は……?」
「召喚できません」
「現在の戦力だけで、代理戦争を続けろと? それで勝てると思ってるんですか」
「判断するのは戒律院ではありません」
ディーゼはは、とため息をついた。
「責任だけは綺麗に外へ出すんですねえ」
それ以上は反論しなかった。正確には、できない。ここで拒めば、自分たちが拘束されるだけでは済まない。
次の罪人を召喚できなくなる。
世界を救うために作った唯一の手段ごと止められる。
ディーゼはしばらく机を見ていたが、やがて顔を上げた。
「……、初回はいつです?」
「三日後。場所は辺獄地下迷宮第一区画です」
「対戦相手は? 武器と試合規則は?」
「当日発表。試合ごとに定めます。付き添いは認められません」
「おい」
ロンジがディーゼを見る。嫌な予感しかしない。彼女は答えず、しばらくラグエルと向き合っていた。
「分かりました。受けます」
「ちょちょ、ディーゼさん!!!!!??? 何言ってんの???」
「賢明な判断です」
ラグエルが書類へ手を伸ばす。
「ただし」
ディーゼが遮った。
「ロンジさんが死んだら、事故でも贖罪でもありません」
今度は声を荒らげなかった。
その分だけ、部屋の空気が張る。
「戒律院が殺したものとして、私は扱います」
「脅迫という解釈でよろしいですか」
「宣言ですよ?」
「あなたは戒律院へ敵対するおつもりで?」
ディーゼは椅子を引き、立ち上がった。
「まさか」
いつもの間延びした調子が、最後の一言だけ戻る。
「――今は、ですけどねえ」




