第28話 気まずい
庁舎を出た後、三人の間には重苦しい沈黙が降りていた。
ロンジ自身、ここでどんな顔をして何を言えばいいのか、全く整理がついていない。戒律院の理不尽な決定に怒るべきなのか、それとも死の恐怖にうち震えるべきなのか。……実感というやつが完全に迷子になっていた。
整理すると。
三日後、薄暗い地下迷宮に放り込まれ、見ず知らずの化物と殺し合いをさせられる。負ければ、十中八九、俺は死ぬ。いや、もう一回死んでるんだが、それはそれとして完全に消滅する。
「……いや普通に考えて怖すぎない!? 俺、三日後に死ぬの!?」
思わず口から飛び出した悲鳴に、マヨイエルがびくっと肩を揺らし、心配そうにこちらを見つめてきた。
「そ、そうですよね! 怖いですよね……!」
彼女の瞳はすでに涙ぐんでおり、ロンジよりも泣きそうな顔をしている。
「………………、」
一方のディーゼといえば二人の騒ぎなどどこ吹く風で、一人すたすたと前を歩いている。
「おい、ディーゼ! 聞こえてんだろ、俺さんが死ぬかもしれないんだが」
「……ええ、鼓膜は正常に機能してますよお」
「お前、ひょっとしてなんか怒ってんの?」
「まさか。怒ってませんよ」
「絶対嘘だな! 背中からオーラが出てるもん!」
「本当に怒ってませんってば」
その直後だった。ディーゼが道端に置かれていた石製の案内板を、親の仇のように思い切り蹴り飛ばしたのは。
『ドゴォッ!』という、天使が発していいとは思えない鈍い音が辺獄の通りに響き渡り、ロンジとマヨイエルは足を止めた。
ディーゼは何事もなかったかのように自分の足先を見つめている。
「……おや、奇遇なことに足が滑りましたねえ」
「どんな物理法則が働いたら、そんな真横に全力で滑るんだよ!」
「辺獄ですから。珍しいこともあります」
「お前みたいな飄々としたヤツでも、キレることってあるんだな~」
「だからキレてませんってえ」
「見事な回し蹴りを案内板にぶち込んでおいて、その台詞は説得力ゼロだよ!」
ディーゼはそれ以上何も言わず、少し歩いてからまた立ち止まった。そして、背中を向けたまま、ぽつりと呟いた。
「……ごめんなさい」
ロンジは自分の耳を疑った。
「え? 今、何て?」
「聞こえたでしょう」
「いやいやいやもう一回。録音するからもう一回」
「殴りますよ」
「俺、お前から普通に殺される仕様だから、その脅し本気で怖いんだがな」
ディーゼがゆっくりと振り返り、ほんの少しだけ、だが確かに柔らかく笑った。
「そうでしたね」
ロンジも、大げさに肩をすくめてみせる。
「まあ、今さらだろ。お前に巻き込まれたのなんて、最初から分かってたことだしな」
「……、」
「それに、俺の死後生活なんて、最初からまともじゃねえし、お前のせいばっかりじゃないわな」
「それは確かに私の責任じゃないですねえ」
「そこはあっさりかい! せめてちょっとは罪悪感持って!!」
「トラックの運転手さんに言ってください」
「ここに運ちゃんいねえから!」
二人のいつもの調子を見て、マヨイエルがようやく少しだけ表情を緩めた。
ディーゼは小さく息を吐き、いつもの飄々とした態度に戻る。
「さて、猶予は三日です」
「短えよ、3分クッキング並みの体感時間だ」
「我々はこれからロンジさんが生き残る方法を、全力で探しますが……」
ディーゼは人差し指を立てて、少しだけ考える素振りを見せた。
「まず――食べましょう」
「はあ?」
「腹が減っていると、脳に糖分がいかず、ろくな案が出ませんからねえ」
「……お前、相変わらず切り替えがマッハだな」
「怒っていても、お腹は減る構造にできているので」
「天使の神秘性とかどこに置いてきたの?」
「昨日、先輩もケーキを三つも食べてましたよお」
「ひゃあ!? なんで急に私に飛び火するんですかぁ!」
三人はそのまま、いつもの市場の方へと足を進めた。
ロンジの腹の底には、まだ重たい恐怖が居座っている。三日後には地下へ送られ、何と戦わされるのかも分からない。
それでも、俺は一人じゃない。少なくとも今は、一緒に策を練ってくれる(そして飯を食う)ヤツらがいる。それだけでも、この理不尽な死後世界における僅かな救いか。
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翌朝、ロンジは宿の一室で、人生でもかなり上位に入るほど先行きの暗い会議へ参加していた。
「というわけで」
ディーゼが卓上へ一枚の紙を置き、仰々しく宣言した。
「第一回、ロンジさんをどうにか三日後も生きた状態で回収しよう会議を始めます」
「会議名からすでに成功するビジョンが見えないんだけどな? もっとこう、ポジティブな響きにしろい」
「では『地下贖罪戦必勝会議』にしますか?」
「それはそれで詐欺の匂いがプンプンするな」
「本当に注文が多いですねえ、マネージャーは」
テーブルを囲むのはロンジ、ディーゼ、マヨイエルの三人だけである。世界の存亡に関わる召喚術の中核――つまりロンジ――を救うための軍議にしては、戦力も人数もあまりに心許ない。
マヨイエルは朝から何枚もの資料を抱え込み、真剣な面持ちで口を開いた。
「私も、調べられる範囲では調べてみました! 辺獄地下で過去百年間に行われた贖罪戦のうち、人間が参加した記録が……三件あります!」
「ひゃ、百年でたったの三人!? レアケースすぎるだろ!」
「はい!」
「で、その三人の先輩方はどうなった?」
マヨイエルは急に資料へ目を落とし、気まずそうに視線を泳がせた。ロンジの背筋に嫌な汗が伝う。
「……二人、は、死亡しています」
「知ってたァ! 聞く前からそんな気はしてたんだよなあ~~~~」
「で、でも一人は!」
「お? 生還した!?」
「途中から記録がありません!」
「それが一番怖いパターンじゃねーか! 神隠しエンドかよ!!!」
「すみません!」
「先輩、情報を集めてから謝るまでが伝統芸能みたいになってませえん?」
「だって、探せば探すほど不安になる情報しか出てこないんですもん!」
ロンジは椅子に深く沈み込み、テーブルに突っ伏した。
「ああもう……もう少しこう、『昔、一人だけ一般人が知恵と勇気だけで全勝しました!』みたいな、都合のいいラノベ的展開の前例はないの?」
「そんなご都合主義が存在しないから、今こうして困っているんですよ」
珍しくディーゼからド正論のカウンターを食らい、ロンジはぐうの音も出ない。
「じゃあ、具体的にどうする……」
「まず前提、相手が分からない以上、小手先の技を教えても無駄です。たった三日で剣術の達人になれるわけもありませんし、隠された魔力が覚醒することもありません。ですから、ロンジさんに覚えてもらうのは、たった二つだけです」
ディーゼは人差し指と中指を立てた。
「まず一つ。強い相手ほど、自分が勝つことを疑いません」
「……つまり? 気合と根性でビビらせろ的な精神論?」
「逆です。観察の話ですよ」
ディーゼは机の上に置いてあった林檎を手に取った。原罪の果実だ。
「例えば、私がロンジさんと殴り合いをするとしますね?」
「それ、殴り合いじゃなくて一方的な公開処刑だろ」
「私は、自分が絶対に負けないと確信しています。するとどうなるか。自分でも気づかないうちに、『やらなくなること』が増えるんですよ」
「やらなくなること……?」
「警戒。確認……または退路の確保。細かな変化を見逃さないこと。自分より圧倒的に弱いと見下している相手に対し、一歩ごとに罠を疑うような臆病な強者は、滅多にいません」
言いながら、ディーゼは林檎をロンジへ向けて軽く放り投げた。ロンジは慌ててそれを受け取る。
「だから、相手が強ければ強いほど、敵が『何をしているか』だけではなく、『何をしていないか』を観察してください」
「何をしていないか、か……」
「ええ。相手が絶対に避けない場所。守ろうとしない部位や確認を怠るもの。罠があっても気にせず踏み抜く床――そして、何度も繰り返す無意識の癖。それが生き残るために役立つかどうかは、分かりませんが」
「最後に特大の保険かけるのやめてくれるか?」
「絶対に役立つ知識なんて、この世にはありませんからねえ」
それでもロンジは、ディーゼの言葉を脳裏に深く刻み込んだ。相手がしていることではなく、していないことを見る。いかにも、常に盤面を俯瞰している彼女らしい、合理的でひねくれた視点だった。
「それから、もう一つ」
ディーゼは続ける。
「試合開始前に審判が告げる規則は、一字一句、聞き漏らさないでください」
「ルールを?」
「贖罪戦はあくまで『試練』という建前で行われます。単なる処刑ではありません。だから、必ず明確な勝利条件が存在する。相手を殺す以外に勝つ方法があるのなら、迷わずそこを探してください」
「なるほど……殺せないなら、倒さなくていい条件をクリアすればいいってことか」
「その通りです」
ディーゼは満足そうに頷いた。
「要するに、格好良く勝とうとしないことです。だっさくても、生き残った者の勝ちですからねえ」
これまで黙って二人のやり取りを聞いていたマヨイエルが、今度は清潔な布や小瓶を机の上にずらりと並べ始めた。
「私は、もっと現実的なことを教えますね!」
「おお、頼む癒やし担当」
「怪我をした時の、応急処置ですぅ!」
「……怪我する前提?」
「します!」
「力強いなあ!!!」
「怪我をしないと思って行く方が、ずっと危険ですから!」
マヨイエルはロンジの腕を引き寄せ、布を巻きながら、出血した際に圧迫すべき部位、傷口を塞ぐ手順、骨折した時の簡単な固定方法などを、次々と実践しながら教えていった。
「特に、これだけは絶対に忘れないでください。血が出ても、慌てて布を剥がしちゃダメです。血が染みてきても、上からどんどん重ねていくんです」
「なんで? 剥がして新しいの巻いた方が綺麗じゃん」
「剥がすと、せっかく固まりかけた血まで一緒に取れてしまって、また出血してしまうんです!」
「なるほど……リアルなサバイバル知識だな」
「あと、自分で縛れる場所なら、すぐにきつく縛る! 綺麗にやろうなんて思わなくていいです。とにかく生きて帰ってきてくれれば、あとで私が全部、綺麗にやり直しますから……っ」
最後の一言だけ、マヨイエルの声が僅かに落ち、弱々しくなった。
ロンジはそれに気づいたが、今度は茶化す気にはなれなかった。彼女の不器用な優しさが、痛いほど伝わってきたからだ。
「……ああ、覚えたよ」
「本当に……? 本当に覚えましたか?」
「多分、な」
「多分じゃ困りますぅぅっ!」
「じゃあ、もう一回練習するわ」
マヨイエルは涙目になりながら、何度も何度もロンジに包帯の巻き方をやり直させた。
途中から、ディーゼが横でワイングラスを揺らしながら口を挟む。
「先輩、意外とスパルタ教育ですねえ」
「死なれるよりはずっとマシです!」
マヨイエルの悲痛な叫びに、ロンジも「違いない」と強く頷いた。




