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第23話 魔弾の射手



 対戦車ライフルが黒い粒子へほどけ、乱子の両手には再び最初の二丁拳銃が戻った。


「でも試合はまだ終わってないから」

 血まみれの腕を持ち上げ、銃口をメフィストへ向ける。

「ちゃんと、終わるまでやろっか」


 メフィストは――答えなかった。


 ほんの一歩とはいえ、自分が人間を前に後退した。その事実を確かめるように足元を見てから、杖を握り直す。


 乱子も満身創痍だった。対するメフィストも散弾と銃弾を何発も受け、あちこちを赤黒く染めている。最初の優雅さは消え失せている。


 ここから先は、どちらも一度の失敗が致命傷になる。



「……、どうやら」

 メフィストがようやく口を開いた。

「あなたにも、退くべき時というものはあるらしい」

「違うよ」

「ほう?」

「知りたかったことが分かっただけ」


 乱子は二丁拳銃を構えたまま、逆に訊いた。


「ねえ」

「何でしょう」

「私、い(・)つ(・)怖(・)が(・)れ(・)ば(・)よ(・)か(・)っ(・)た(・)の(・)?」


 メフィストの反応が途切れた。


「……、何?」


「最初からずっと、私を怖がらせようとしてたでしょ? 指をあげたら助けるとか、翼をあげたら休ませるとか。死ぬよって言ったりもしたよね」

「……、ええ」

「それって、ど(・)こ(・)で(・)怖(・)く(・)な(・)る(・)や(・)つ(・)だ(・)っ(・)た(・)の(・)?」


 乱子は煽っていない。


 本当に分からないから訊いている。


「も(・)う(・)終(・)わ(・)っ(・)た(・)?」


 メフィストは返せなかった。


 彼は長い時間、人間を見てきた。何を欲し恐れ、どこまでなら差し出せるのか。その選択さえ見れば、人間という生き物は理解できると思っていた。


 命を惜しみ、愛する者を慈しむ。財産や名誉信仰――復讐にすら値段をつけ、最後には何か一つを選び取る。


 だが目の前の女は、自分が壊れることすら未知の結果を見るための材料にしてしまう。



「……、あなたは本当に人間ですかな」



 乱子は少しだけ笑った。


「人間だよ。多分」


 先に銃声が鳴った。


 一発目は頭ではなく足元を撃ち抜き、続く一発が杖の銀細工を砕く。


「……、まだ分かんない」

「何がです?」

「あなたと遊んだら、何か分かると思ったんだけど」


 乱子は自分でも答えを探すように言った。


「結局、何もなかった」


 メフィストは杖を拾い、しばらく傷を眺めてから握り直した。


「……、そうですか。それは大変残念です」




:



 最後の攻防が始まった。


 ここまで乱子は、メフィストの条文を読んできた。条件と文言を確かめ、そこに残された穴へ銃弾を通してきた。


 しかし、メフィストも同じ時間だけ乱子を観察している。


 彼女が何を欲し、何を恐れ、何を守るのかは最後まで理解できなかった。


 それでも一つだけ、掴めたものがある。


(あなたは、効率だけで撃っているのではない)


 乱子が床と壁、それに宙へ残る羽根を使って射線を作る。


(確実に分かっているものより、まだ知らない方を選ぶ)

 弾丸同士が空中で衝突し、軌道を変えた。


 これまでなら、そこから死角へ入る。だが今度は、その先へすでに杖が置かれていた。


 甲高い音が鳴り、弾丸が弾き飛ばされる。


「……、あ」


 乱子の声に、純粋な驚きが混じった。


 読まれた。



 メフィストが一気に踏み込む。


 乱子も即座に撃ち返した。正面の一発は第一条で失速し、横から回した次弾は杖に阻まれる。空中衝突で角度を変えた次々弾も、その到達点には先回りされていた。


「あなたのことは、最後まで分かりませんでした」


 距離が縮まる。


「ですが――」



 乱子がさらに撃つ。


 メフィストは身体一つでかわした。

「あなたが〝知らない方を選ぶ〟ことだけなら、読める」



 黒い円の内側へ入る。


 もう二人の距離は、一メートルもない。


 乱子はその言葉を聞いて、どこか嬉しそうだった。


「そっか」



 それが、最後の隙になった。メフィストの杖が真正面から伸び、乱子の胸を貫く。


 鈍重な音とともに乱子の身体が大きく揺れた。


「乱子さん……!!」


 マヨイエルの悲鳴が響く。


 乱子の二丁拳銃がメフィストへ向いたまま、かたかたと震えた。


 

             撃てない。


     指に力が入らない。


 やがて片方の<絶対銃>が黒い粒子へ崩れ、続いてもう一丁も輪郭を失った。


 戦装束へ、胸を中心に赤が広がっていく。




「乱、子…………」


 ロンジの口から名前だけが漏れる。乱子は胸に刺さった杖を見下ろした。



「……、これ」


 呼吸のたび、声がかすれていく。


「死ぬ?」


「ええ」


 メフィストは嘘をつかなかった。


「間もなく」

「そっか」


 乱子は妙に素直に納得した。


 怖がるでもなく、泣くでもなく、少しだけ上を向く。




 闘技場の天井。


             悪魔。


                        天使。


 さっきまで自分が撃ち回っていた戦場。


 全部をもう一度眺めてから、メフィストへ戻る。



「ねえ」

「何です?」

「もう一回やったら」


 息を吸う。


 もう、それだけでも苦しそうだった。





「次は勝てそう」





 メフィストの口が僅かに開いた。


 だが返事は出なかった。乱子は、それを待たなかった。


「……、やっぱり」


 力の抜けた右手が、ほんの少しだけ持ち上がる。


 銃はもうない。


 それでも人差し指だけが、メフィストへ向いた。



「まだ撃てる気する」



 指先が、引き金を引くように曲がった。


 ぱん。






 ――もちろん銃声など鳴らない。


 ただ乱子自身だけが、撃ったつもりだったのかもしれない。


 その手が静かに落ちる。赤い瞳から力が抜けた。

それでも最後に残った表情は、恐怖でも後悔でもなかった。


 何か面白いものを途中まで見て、続きだけ見損ねたような顔だった。







 同時に、辺獄大決戦場へ、聖なる鐘が鳴る。








『…………決着』


 いつもなら叫ぶ実況さえ、一瞬だけ声を詰まらせた。そして役目を思い出したように、腹の底から声を張る。





『決着ゥゥううううゥッううう!! 第一回戦! 勝者――悪魔陣営!!!!』


 数瞬遅れて悪魔席が爆発する。



『メフィストフェレスゥうううううゥッ――!!!!!!!!!!』






 大歓声が決戦場全体を揺らした。


 天使側は――静まり返っている。


 第一戦。


 敗北。


 零対一。



「……………………、」

 メフィストは乱子の胸から杖を抜いた。支えを失った身体が、そのまま崩れ落ちる。


 だが、地面へ倒れ切ることはなかった。


 足(・)元(・)か(・)ら(・)白(・)い(・)炎(・)が(・)噴(・)き(・)上(・)が(・)っ(・)た(・)。



「……、え?」


 ロンジの声が掠れる。


 先ほどの<神の炎>とは違う。同じ白でも、あれには神聖さよりも終わりの気配があった。


「乱子さん!!」


 マヨイエルが立ち上がる。


 炎は乱子の身体を下から包み、白い衣装も、傷ついた翼も、青い髪も容赦なく呑み込んでいく。


「何だよ、あれ……」


 ロンジがディーゼを見る。ディーゼは、すぐには答えなかった。



「――業火です」

「業火?」

「罪人が敗北した時に落ちる、最後の天罰ですよ」


 炎の中で、乱子の輪郭が崩れていく。


「あの身体は天使のものです。でも、そこに入っているのは大罪人の魂ですから」


「……、負けたら、どうなる」


 答えを聞きたくない。


 それでもロンジは訊いた。


「試合で敗北した時点で、魂は世界から《《救済される資格を失います》》」


 ディーゼは炎から目を逸らさない。


「そして、そのまま天罰に灼かれる」



 マヨイエルの顔から血の気が引いた。

「そんな……、そんなの、聞いて……」

「これが、悪人を天使の器へ入れて戦わせるってことです」


 乱子の翼が炎の中で崩れ、白い灰にもならず消えていく。


 最後まで残ったのは、青い髪につけられた小さな白い花だった。


 昨日、ロンジが買った髪飾り。

 乱子が気に入って、ずっとつけていたもの。

 花びらの端へ火が移る。

 一瞬だけ白さを残し、それも炎の中へ消えた。




「……、クソ」


 ロンジの口から、勝手に言葉が漏れた。


 乱子は極悪人だ。


 人を殺した。それも一人や二人じゃない。死んで当然だと言われても、上手く否定できない。

 それでもついさっきまで隣で喋っていた奴が、目の前で何一つ残さず灼かれていく。


 それを見て「当然だ」の一言で片づけられるほど、ロンジは何かを捨てられてはいなかった。



「……………………、」

 メフィストも炎を見下ろしていた。


 勝者の高揚はなかった。

 穴の開いた帽子へ手を添え、消えていく乱子へ向けて静かに言う。


「……、実に不愉快な人間でした」


 声音には、嫌悪だけでは説明しきれないものが混じっていた。




「できることなら貴女の中を開いて、何が欠けていたのか確かめたかったものです」




 白い炎が一度だけ大きく揺れ、それから跡形もなく消えた。






:





 ――〝魔弾の射手〟という物語が、かつてあった。


 悪魔の力を借りて作られた魔弾は、狙った獲物を決して外さない。ただし最後の一発だけは、射手ではなく悪魔の意志に従う。


 人間は当たる弾を欲し、その代わりに運命を悪魔へ預けた。



 ――ならばこれは、ひどく悪趣味な話だったのかもしれない。


 彼女は悪魔から魔弾を授かった射手ではない。


 自分自身の罪から弾丸を生み出した人間が、契約を操る悪魔へ銃口を向けた。


 最後まで、弾の行き先を他者へ渡さなかった。


 ただ――契約だけが、最後に射手自身へ返ってきた。








 しばらく……誰も喋らなかった。


 天使側には複雑な見えない膜のような、困惑が広がっている。

 悪人を使うなど許せない。冒涜だ、恥だと試合前まで叫んでいた天使たちも、今では言葉を失っていた。


 悪魔側も、勝利に沸いてこそいるものの、さっきまでと同じ笑い方ではない。


 人間、それもたった一人の罪人が、《《古き悪魔メフィストフェレスをあそこまで追い詰めた》》。



「……負けましたねえ」

 ディーゼが口を開く。


 いつもの声音だったが、その一言が出るまでに少し時間がかかった。


「これもお前の予定通りか?」

 ロンジが訊く。

「まさか。勝つ予定でしたよ」


 冗談ではないらしい。


「一敗です」


 ディーゼは闘技場を見たまま答える。


「それだけですよお」


「……、そうかよ」




 ロンジは、乱子が消えた場所へ目を戻した。


 何もない。


 灰すら残っていない。


 その時だった。


 右手の人差し指が、勝手に僅かに曲がった。まるで、そこに存在しない引き金を引いたように。


 ぱんッ。

 小さな銃声が、耳元で鳴る。




「……、え?」




 ロンジが振り返る。


 当たり前だが、誰も撃っていない。


「ひぐ……ロンジ君、どうしました?」



 目元を赤くしたマヨイエルが訊く。


「いや……」


 ロンジは自分の右手を確かめる。そこには……何もない。


「……、何でもない」










 そうとだけ、答えた。

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