第24話 一つの決着
第一回戦が終わっても、辺獄大決戦場の熱はなかなか冷めなかった。
悪魔側の観戦席では酒瓶が飛び交い、誰かがメフィストフェレスの名を叫べば、別の誰かが応える。それが次第にちょっとした合唱へ変わり、賭けに勝った者は見知らぬ隣人と抱き合い、負けた者は早くも次戦の倍率を気にしていた。
……つい数分前まで世界の命運を懸けて殺し合っていた場所とは思えない切り替えの早さ。
一方、天使側は静か――というより、歓声だけがなかった。
「だから言ったんだ。人間など使うべきではなかったと」
「メフィストフェレスをあそこまで追い込んだのも事実だろ!」
「追い込んだだけだ。結果は敗北」
「正規の天使を出していれば勝てたとでも?」
「そういう問題ではない! 死した同胞の肉体に罪人の魂を入れ、あげく業火で焼き尽くしたのだぞ!!」
あちこちから飛び交う怒号を背中に受けつつも、ロンジたちは何も言わず決戦場を後にする。
反論しようと思えば、いくらでもできる。
乱子は確かにメフィストを追い詰めた。安全な場所から「人間なぞ」と笑っていた天使たちより、よほど世界の命運に近い場所で戦っていた。
だからといって、乱子が善人になるわけでもない。
彼女は大量殺人犯だった。
生前に何人殺したのか……ロンジは正確な数を知らないし、知りたいとも思わなかった。学校で人を撃ち、その後も事件を繰り返し、ついには彼女を真似する者まで現れた。
彼女に殺された者たちには乱子を憎んで当然の理由が山ほどあるはずだ。だけど。
だから「あんな奴、灼けて当然だ」と言われても、上手く否定できない。
「あー……、最悪だ」
漏れた声に、隣を歩いていたマヨイエルがびくんっと肩を揺らした。
「ご、ごめんなさいっ」
「なんでマヨイエルが謝んだ?」
「分かりませんけど……、何か謝った方がいい空気かなって」
「便利な謝罪機能ついてんなあ!」
「きっ機能じゃありません……!!」
少しだけ語気を強めたあと、マヨイエルはまた俯いた。
目元はまだ赤い。乱子が消えてから、何度も涙を拭っていた。
「……、泣くんだな」
「え?」
「乱子のために」
マヨイエルはすぐには答えず、しばらく歩いてから両手を胸元で重ねた。
「分かりません」
「そこ分かんないの?」
「乱子さんがしてきたことは……やっぱり、絶対に許されないと思います。もし私が被害に遭った方の家族だったら、きっと憎むし、あんな人を世界のために戦わせるなんて……間違ってる。ふざけるなって思うかもしれません」
「…………、」
「でも昨日、乱子さんとロンジくんと一緒にご飯を食べました。今日も話して、それで目の前で死んで……、最後は何も残らず燃えてしまって」
そこで言葉が詰まる。
「だから悲しいです。でも、悲しんでいいのかも分からなくて」
「……………………、」
前を歩いていたディーゼは、さっきから何も言わない。
いつものように周囲を茶化すことも、乱子の死をもっともらしい理屈で片づけることもなく、天使たち、悪魔たちの流れを避けながら先へ進んでいる。
その背中が妙に静かで、ロンジは逆に気になった。
「お前は何も言わないんだな」
「何についてです?」
「乱子」
「死にましたねえ」
「……それだけ?」
「それ以上、何と言えばいいんです?」
言葉だけなら冷たい。ただ、いつもの間延びした調子が少し薄い。
「……勝つつもりだったんだろ」
「もちろん」
「メフィストの第五条は読めなかったか?」
「読めなかったですねえ」
そこはあっさり認めた。
「『契約』の悪魔ですから、最初のやり取りが後で効く可能性は考えてました。でも、最後の一条にああいう形で仕込んでるとは思いませんでしたねえ」
「珍しく素直に負け認めるんだな」
「悔しいですよお。私なら第三条か第四条の時点で、もっと契約そのものを疑わせる構成にするんですけど」
「敵の能力構成にダメ出しすんな!」
「悔しいので」
「理由になってねえよ!!」
そこだけは、いつものディーゼだった。ロンジは笑いそうになったが、今はまだ上手く笑えなかった。
「でも、負けた……」
「ええ。一敗ですねえ」
ディーゼはそこで足を止めた。
「ただしい」
振り返る。
「今日の試合で、天界の空気は確実に変わりました」
「……空気?」
「見てください」
ディーゼが後方を示す。決戦場から吐き出された天使たちは、通路のあちこちでまだ揉めている。
「結果は敗北だ!」「だが、あれを見て本当に可能性がないと言えるのか?」「次も罪人を出すつもりか……!」
(おお、マジか……)
――試合前とは、論点そのものが変わっていた。
「ついさっきまでは、ほとんど全員が『人間なんか悪魔に勝てるわけがない』って言ってたんですよ」
「あと『ディーゼは頭がおかしい』」
「それは今も有力説ですねえ」
「認めるんかい」
「でも、今は違う」
ディーゼは騒ぐ天使たちへ向き直る。
「『本当に勝てないのか?』って疑問が生まれた」
ロンジはもう一度、天使たちを見る。
「乱子さんは負けました。でも、メフィストフェレスを殺しかけた。しかも、戦争を生き延びた名のある天使ではなく、人間の罪人が」
「……、それってまずい?」
「分かりません」
ディーゼは頬に手をあてる。
「数刻前まで私の案はただの狂気だった。それが今日からは、『もしかしたら』になった」
「自分で狂ってるって言いたがるの中学生かな」
ディーゼは軽口を気にせず歩き出す。
「一度でも『もしかしたら』が生まれると、少々面倒な流れが生まれます。次に勝てば『やっぱり』になる。その次も勝てば、『正しかった』になる」
「それの何が悪いんだ。勝てるならいいだろ」
「世界を救うだけなら」
ディーゼの返答は早かった。
「天界は、神様がいなくなったばかりなんです」
その一言で、ロンジも少し分かった。
神が死んだ。ただの上司ではない。法律を作った存在で善悪の基準を定めていた存在だ。
何千年、何万年と天使たちが従ってきた世界の中心。
それが突然いなくなった。
「今まで『やってはいけない』とされていたことを破って、その結果として世界が救われたらどうなると思います?」
「……、次からも、破る理由になる」
「そういうことです」
ディーゼは、さも楽しそうに言った。
「素敵でしょう?」
「お前が言うと全然素敵じゃない」
「でも事実です。だから今日、怒っている天使たちの中には、乱子さんの敗北を喜んでいる方もいます」
「喜んでる?」
「はい。『ほら見ろ、悪人なんて使っても負けた』と証明されたと思いたいから」
「世界の命運より、自分たちの正しさ?」
「人間もよくやるでしょう?」
黙って聞いていたマヨイエルが、そこで口を挟んだ。
「でも……ムリエル様は違います」
ディーゼが横目で見る。
「先輩、あの方を随分信用してますねえ」
「信用してるよ、だってあの方は、ディーゼちゃんが嫌いだから反対してるわけじゃないもん」
「ええ。だからあとあと面倒くさそうだなあって……考えることが山積みです」
「めんどくさいって言わないで!」
「褒めてますよお」
「絶対違う……!!」
ロンジは一度だけ巨大な決戦場を――今日の戦いの舞台を振り返る。そして、また前を向いた。




