12:本とマホ
ある日、マホは児童養護施設の遊戯室にある、
小さな本棚の前で立ち止まった。
色あせた背表紙の中に、ひときわ大きくて重そうな本があった。
『世界の写真集』と書かれているが、マホには読めない。
大きな本に魅かれ、マホは両手で本を引き出すと、床に座り込んでページを開いた。
砂漠。
雪原。
石造りの街並み。
鮮やかな民族衣装をまとった人々。
様々な写真が載っている。
ページをめくるたび、マホの心の奥がざわついた。
どの光景も見たことがないはずなのに、どこか懐かしい。
マホは自分の記憶の中にある街並みや色合いに近い風景を、夢中で探し続けた。
「マホちゃん、それは“エジプト”って国だよ」
声をかけてきたのは、ホシさんだった。
マホは写真に目を戻し、
「エジプト」と小さくつぶやいた。
ホシさんは色んな国の名前をマホに教えてくれた。
翌日、マホはあるページを指さして言った。
「これは……ノルウェー」
ホシさんは目を丸くした。
昨日教えた国名を、全て正確に覚えている。
「マホちゃん、すごいね……覚えるの早い」
ホシさんは感心しっぱなしだった。
――学校へ通うようになって、まだひと月も経たない頃。
マホはもう、充分に読み書きを身につけていた。
読み書きができると、マホは本に書かれた言葉の意味を知りたくて、
周りの子どもや先生、大人たちに次々と質問した。
「これは、どういう意味?」
「この漢字は、なんて読むの?」
その姿は、まるで知識を吸い込むために生まれてきたかのようだった。
「マホちゃんは、ほんとに本が好きねぇ」
ある日、トモミとアンナにそう言われたマホは、ふと気づいた。
――ああ、これはパパだ。
学者だった父ファルシュを、マホは自分の中に感じた。
そう思えるようになると、気持ちが少し軽くなった気がした。
やがて、マホは魔法使いが登場する本を好んで読むようになった。
『魔女の宅急便』
『ハリー・ポッター』
絵本から児童書へ、児童書から長編へと、読む世界がどんどん広がっていく。
気づけば、マホは養護施設で本を“読んでもらう側”ではなく、
小さな子たちに“読んで聞かせる側”になっていた。
「次はこれ読んで」
「マホちゃんの読む声、好き」
子どもたちが集まってくると、マホは少し照れながらも本を開いた。
ページをめくる音が、静かな部屋に心地よく響く。
平穏になり始めた日々。
それでも時々、寝つきの悪い夜がやってくる。
そうすると決まってこの言葉が、マホの頭の中で繰り返される。
私は、どこから来たのだろう。
世界の写真集を何度見返しても、
魔法使いの物語をどれだけ読んでも、
自分の国にたどり着けるようなヒントはなかった。
それでもマホは、本を閉じなかった。
読むことだけが、唯一の希望だったからだ。
ページの向こうに、いつか自分の世界へ続く道があると信じて。




