最終話 盤上の神々
死は終わりではなかった。
少なくとも。
森本明が目を開いた時、そう理解した。
◇
最初に見えたのは白だった。
天国のような雲ではない。
神秘的な光でもない。
ただ白い空間。
果てが見えない。
上も下も分からない。
壁もない。
時間もない。
奇妙な場所だった。
◇
(ここは)
声に出したつもりだった。
だが声は聞こえない。
代わりに。
考えたことがそのまま広がる。
言葉より速く。
意味だけが伝わる。
不思議な感覚だった。
◇
そして。
前方に人影が現れた。
老人だった。
白髪。
穏やかな顔。
どこにでもいそうな老人。
だが。
目だけが違った。
途方もなく長い時間を見てきた目だった。
◇
『ようこそ』
言葉ではなかった。
意味だった。
直接頭へ流れ込んでくる。
『森本明』
老人は微笑む。
『人生はどうだった』
明は考える。
長い人生だった。
苦しかった。
楽しかった。
理不尽だった。
幸せでもあった。
答えは簡単だった。
(分からない)
老人は笑った。
まるで予想していたように。
◇
『皆そう言う』
老人は振り返った。
その先に。
巨大な盤面があった。
人生ゲームだった。
ただし。
子供向けの玩具ではない。
果てが見えない。
無数のマス。
無数の道。
無数の分岐。
そして。
無数の駒。
◇
明は息を呑んだ。
その駒は人だった。
いや。
人の人生だった。
生まれる。
進む。
転ぶ。
笑う。
泣く。
死ぬ。
全てが盤上で動いている。
数え切れないほど。
◇
(何だこれは)
『人生だ』
老人が答える。
『君たちが生きていた世界』
(誰が動かしている)
老人は少しだけ困った顔をした。
そして。
言った。
『君たちだ』
◇
意味が分からなかった。
(俺たち?)
『そう』
老人は頷く。
『寿命を迎えた者は次の盤面へ移る』
『そして次に生まれる人間たちを見守る』
(神……)
『人間はそう呼ぶ』
明は言葉を失った。
◇
その時だった。
別の気配が現れる。
振り向く。
山畑裕英だった。
「……は?」
死んだはずだった。
だがいる。
いつもの顔で。
いつもの間抜けな顔で。
「森本?」
互いに固まる。
数秒。
「死んだよな?」
「死にましたね」
「だよな」
「だと思います」
そして。
二人同時に。
「何これ?」
と言った。
◇
さらに。
前田典子も現れた。
周囲を見回す。
状況を理解しようとする。
数十秒後。
「最悪」
第一声がそれだった。
裕英が笑う。
「らしいな」
「死んでも働かされるの?」
「かもしれない」
「最低」
典子は本気で嫌そうだった。
◇
老人は楽しそうだった。
『君たちは次の担当になる』
(担当?)
『新しい人生たちの』
盤面が光る。
無数の光点。
新たな命。
これから生まれる人間たち。
まだ何も知らない。
まだ何者でもない。
ただ存在だけがある。
◇
『才能を与える者』
老人が明を見る。
『運を与える者』
裕英を見る。
『選択を与える者』
典子を見る。
それぞれが担当する。
それぞれの人生を。
◇
「待ってくれ」
明が言う。
初めて。
強い口調だった。
(じゃあ)
盤面を見る。
(俺の人生も誰かが決めたのか)
老人は答えない。
沈黙だけがある。
それが答えだった。
◇
明は拳を握る。
怒りだった。
若い頃の。
失った頃の。
あの怒り。
(ふざけるな)
才能を奪われた。
未来を奪われた。
苦しんだ。
絶望した。
十年以上。
いや。
何十年も。
◇
『本当に奪われたのか?』
老人が静かに問う。
明は言葉を失う。
『君は最後にピアノを弾いた』
『友人もいた』
『家族もいた』
『笑った』
『泣いた』
『生きた』
静かな声だった。
だが。
否定できなかった。
◇
『人生は結果だけではない』
老人は言う。
『道そのものだ』
明は黙った。
裕英も。
典子も。
誰も話さない。
◇
長い沈黙の後。
裕英が言った。
「なあ」
全員が見る。
「つまり」
少し考えて。
「俺たち神様?」
老人は笑った。
『そうとも言う』
「マジか」
裕英は頭を掻いた。
「責任重大だな」
本当にそうだった。
◇
その時。
盤面の奥で光が生まれた。
新しい命だった。
一人。
また一人。
また一人。
無数に。
世界へ降りていく。
新しい人生。
新しい物語。
新しい苦しみ。
新しい幸福。
◇
そして。
森本明は気づく。
盤面のさらに向こう。
もっと高い場所に。
誰かがいる。
◇
見えない。
顔も分からない。
姿もない。
ただ。
確かに感じる。
視線だけが。
こちらを見ている。
◇
(まさか)
老人は何も言わない。
だが。
微笑んでいた。
◇
その瞬間。
明は理解した。
終わっていない。
ここもまた盤上だ。
神だと思っていた自分たちも。
駒なのだ。
さらに大きな盤面の。
さらに大きな人生ゲームの。
◇
誰もゴールを知らない。
神ですら。
神を見下ろす何かがいる。
その上にも。
さらに上にも。
どこまでも。
無限に。
◇
人生は続く。
死んでも。
終わらない。
駒は進む。
盤面は広がる。
サイコロは振られる。
誰の意思かも分からないまま。
◇
そして今日もまた。
一人の赤子が生まれる。
泣き声を上げる。
何も知らずに。
自分が駒であることも。
神がいることも。
その神ですら駒であることも。
知らないまま。
◇
だが。
それでいいのかもしれない。
知らないから歩ける。
分からないから生きられる。
未来が見えないから。
人はサイコロを振る。
◇
そして盤上のどこかで。
新しい物語が始まる。
また。
何度でも。
永遠に。
終わりなく。
⸻
『神のサイコロ 第1幕』 完




