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神のサイコロ Another  作者: Kiyo
第一幕 運否天賦

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19/22

第19話 終点

 人生で最も公平なものは何か。


 それは死だと言われる。


 金持ちも。


 貧乏人も。


 天才も。


 凡人も。


 善人も。


 悪人も。


 最後には死ぬ。


 だから公平だと。


 だが本当にそうだろうか。


 死そのものは平等かもしれない。


 しかし。


 死へ至る道は驚くほど不平等だ。


     ◇


 森本明は六十七歳になっていた。


 退職していた。


 会社員人生は無事終わった。


 大きな成功もない。


 大きな失敗もない。


 穏やかな人生だった。


 世間はそう評価するだろう。


 本人も否定しない。


 だが。


 心の奥にはずっと一つだけ残っていた。


 ピアノだった。


     ◇


 指は少しずつ回復した。


 本当に少しずつ。


 若い頃ほどではない。


 だが簡単な曲なら弾ける。


 両手で。


 ゆっくりと。


 昔の自分から見れば笑われるだろう。


 それでも。


 明は嬉しかった。


 不思議なくらい。


 若い頃より。


 今の方が。


     ◇


 ある日の夕方。


 明は一人でピアノを弾いていた。


 実家から引き取った古いピアノ。


 父は亡くなった。


 母も亡くなった。


 友人も少しずつ減った。


 人生とはそういうものだ。


 人が消えていく。


 静かに。


 順番に。


     ◇


 曲が終わる。


 音が消える。


 明は鍵盤を見つめた。


 そして思った。


(結局)


 長い人生だった。


 本当に。


(俺は負けたのかな)


 昔なら即答した。


 負けたと。


 夢を失ったと。


 才能を奪われたと。


 だが今は違う。


 負けたとも思えない。


 勝ったとも思えない。


 ただ。


 生きた。


 それだけだった。


     ◇


 一方。


 山畑裕英は六十八歳になっていた。


 相変わらずだった。


 驚くほど。


 大病なし。


 事故なし。


 資産も順調。


 家族も健在。


 運は最後まで彼を守った。


 誰もが羨む人生だった。


 本人も認める。


「運が良かった」


 それは事実だ。


 否定しようがない。


     ◇


 だが。


 その裕英ですら。


 ある日病院で告げられた。


「余命一年です」


 医師は静かだった。


 淡々としていた。


 悪性腫瘍。


 進行が早い。


 手遅れ。


 治療は難しい。


 説明は短かった。


     ◇


 裕英は笑った。


 最初は。


 本当に。


 笑った。


「ついにか」


 そんな言葉まで出た。


 医師が困惑するほどに。


     ◇


 病院を出る。


 空を見上げる。


 青かった。


 昨日と同じだった。


 なのに。


 世界は変わっていた。


(終わるのか)


 初めて思った。


 人生は続くものだと思っていた。


 どこかで。


 無意識に。


 だが違った。


 終わる。


 本当に。


 誰でも。


     ◇


 一方。


 前田典子は六十七歳。


 現役弁護士だった。


 まだ第一線。


 テレビにも出る。


 有名人だった。


 だが。


 ある日。


 倒れた。


 法廷で。


 突然。


 脳出血だった。


     ◇


 人は運命を予告されない。


 裕英のように例外もある。


 だが多くは突然だ。


 典子もそうだった。


 昨日まで普通だった。


 今日も普通の予定だった。


 それだけだった。


     ◇


 三人は久しぶりに集まった。


 病院だった。


 皮肉な再会だった。


 若い頃なら笑っただろう。


 今は少し違う。


「終わるな」


 裕英が言う。


「そうですね」


 明が答える。


 典子はベッドで笑った。


「縁起でもない」


「事実だろ」


「そうだけど」


 沈黙。


 だが嫌な沈黙ではなかった。


 長年の友人だけが共有できる静けさだった。


     ◇


「なあ」


 裕英が言う。


「覚えてる?」


「何を」


 明が聞く。


「人生は運か才能か選択か」


 若い頃の話だった。


 喫茶店で。


 三人で。


 何度も議論した。


「ああ」


 明が笑う。


「懐かしいですね」


「結局」


 裕英は窓の外を見る。


「何だったんだろうな」


 答えはない。


 誰も答えない。


 答えられない。


 人生が終わる寸前になっても。


 分からないものは分からない。


     ◇


 数か月後。


 最初に逝ったのは典子だった。


 静かな最期だった。


 家族に囲まれて。


 穏やかに。


 まるで眠るように。


     ◇


 次は裕英だった。


 最後まで笑っていた。


「運良かったよ」


 それが最期の言葉だった。


 本当に。


 最後まで彼らしかった。


     ◇


 そして。


 明だけが残った。


 友人たちを見送る。


 一人で。


 静かに。


 長い人生だった。


 本当に長かった。


     ◇


 その夜。


 明はピアノを弾いた。


 昔の曲。


 若い頃に弾いた曲。


 途中で指が止まる。


 技術が足りない。


 年齢もある。


 だが。


 構わなかった。


 最後まで弾く。


 ゆっくり。


 丁寧に。


 そして。


 最後の音が消えた。


 静寂。


 誰もいない部屋。


 明は目を閉じた。


 不思議と。


 満足していた。


     ◇


 翌朝。


 森本明は眠ったまま目を覚まさなかった。


 苦しまず。


 穏やかに。


 静かに。


 人生という旅を終えた。


 六十八歳だった。


     ◇


 三人とも死んだ。


 ゲームは終わった。


 盤上の駒はゴールへ辿り着いた。


 そう。


 誰もが思った。


 だが。


 それは違った。


 本当の物語は。


 ここから始まる。


【最終話 盤上の神々 へ続く】

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