第18話 神
人は神を作る。
昔からそうだった。
雷が落ちれば神。
洪水が起きれば神。
病気が流行れば神。
説明できないものに名前を付ける。
それが神だった。
では。
運命はどうだろう。
才能は。
偶然は。
死は。
それらを支配する存在がいるとしたら。
人は何と呼ぶのだろう。
◇
三十五歳になっていた。
気づけば。
本当に気づけばだった。
大学を卒業し。
就職し。
転職し。
結婚する者もいた。
子供が生まれる者もいた。
親を亡くす者もいた。
人生は進む。
待ってはくれない。
◇
森本明は管理職になっていた。
仕事は順調だった。
部下もいる。
収入も安定している。
右手は少し回復した。
だが。
ピアニストにはなれない。
それは変わらない。
今では受け入れていた。
完全ではない。
それでも。
昔ほど苦しくはない。
◇
山畑裕英は営業職になっていた。
不思議なほど成績が良かった。
能力は平均的だ。
本人も認めている。
だが。
重要な商談はまとまる。
偶然いい客に出会う。
ライバル企業が勝手に失敗する。
相変わらずだった。
運が良い。
本当に。
異常なくらい。
◇
前田典子は弁護士になっていた。
予想通りだった。
いや。
予想以上だった。
勝率が高い。
依頼人も多い。
テレビ出演までしている。
人を説得する能力。
人を動かす能力。
それが最大限活かされていた。
◇
三人は今でも交流があった。
頻繁ではない。
だが続いている。
年に数回。
食事をする。
近況を話す。
それだけ。
それだけなのに切れなかった。
不思議な縁だった。
◇
その日も三人で会っていた。
四十歳目前。
若くない。
だが老人でもない。
中途半端な年齢だった。
店は昔と同じ喫茶店。
マスターだけが少し老けていた。
「もう四十か」
裕英が言う。
「怖いな」
「今さら?」
典子が笑う。
「いや、急に来た」
「十年くらい前から来てる」
「俺だけ通知来なかった」
笑いが起きる。
昔と変わらない。
少しだけ。
◇
しばらくして。
話題は自然と人生になった。
この年齢になるとそうなる。
健康。
仕事。
親の介護。
老後。
死。
避けられない。
「なあ」
裕英がコーヒーを飲みながら言う。
「神様っていると思う?」
典子が吹き出した。
「急だなあ」
「最近考えるんだよ」
「どうしたの」
「いや」
裕英は窓を見る。
「運が良すぎるから」
珍しく真面目だった。
◇
「俺さ」
続ける。
「今まで死にそうな目も結構あったんだ」
二人は知っている。
何度も聞いている。
だが。
本人の口から改めて聞くと重かった。
「全部助かってる」
「うん」
「全部」
沈黙。
「理由が分からない」
その言葉は本音だった。
初めて聞くくらいに。
深い本音だった。
◇
「森本は?」
裕英が聞く。
「神」
明は少し考えた。
昔なら即答していた。
嫌いだと。
許せないと。
運命を奪った存在だと。
だが。
今は違う。
「いたとしても」
ゆっくり言う。
「好きじゃないですね」
笑いが起きる。
「正直だな」
裕英が言う。
「でも」
明は続ける。
「昔ほど嫌いじゃない」
典子が少し驚いた顔をした。
その変化を知っているからだ。
◇
「前田は?」
今度は明が聞く。
典子は考える。
少しだけ。
「いると思う」
そう答えた。
「意外」
裕英が言う。
「なんで?」
「信じなさそう」
典子は笑った。
「信じてないよ」
「どっちだよ」
「でも」
窓の外を見る。
「人間じゃ説明できないこともあるから」
静かな答えだった。
◇
帰り道。
明は一人で歩いていた。
夜風が涼しい。
空を見上げる。
星は少ない。
都会だから。
だが。
見えなくても存在はする。
それは知っている。
◇
神。
運命。
人生。
若い頃は戦っていた。
抗っていた。
負けたくなかった。
だが。
今は少し違う。
理解したことがある。
人生は公平じゃない。
最初から。
最後まで。
驚くほど不公平だ。
才能も。
容姿も。
運も。
寿命も。
全部。
均等ではない。
◇
それでも。
人は生きる。
不公平なまま。
答えがないまま。
歩き続ける。
たぶん。
それしかできないから。
◇
その夜。
三人とも知らなかった。
自分たちが人生の終盤へ入っていることを。
ゲームで言えば終盤。
残りのマスは減り始めている。
だが。
プレイヤーは知らない。
あと何回サイコロを振れるのかを。
誰も。
本当に誰も。
【第19話 終点 へ続く】




