第15話 賭け
人は誰でも賭けをしている。
株や競馬の話ではない。
もっと日常的なものだ。
勉強を頑張れば報われる。
この会社に入れば幸せになれる。
この人と結婚すれば大丈夫。
そう信じて選ぶ。
未来に賭けている。
結果が分かっているなら、それは賭けではない。
分からないから賭けなのだ。
◇
大学二年の冬。
三人は以前より頻繁に顔を合わせるようになっていた。
理由は単純だった。
居心地が良かった。
明は無理に明るく振る舞わなくて済む。
裕英は気を遣わなくて済む。
典子は期待されなくて済む。
珍しい関係だった。
友人。
と言えば友人。
だが少し違う。
どこか距離がある。
その距離が心地良かった。
◇
その日も大学近くの喫茶店にいた。
チェーン店ではない。
個人経営。
古い木のテーブル。
静かなジャズ。
客も少ない。
典子のお気に入りだった。
「ここ落ち着くな」
裕英が言う。
「うるさい人来ないから」
典子が答える。
「俺のこと?」
「少し」
「ひどい」
笑いが起きる。
いつもの流れだった。
◇
しばらく雑談が続く。
講義。
アルバイト。
サークル。
他愛もない話。
だが。
話題は自然と将来へ移った。
「就活どうする?」
裕英が聞く。
典子は即答した。
「法科大学院」
「やっぱり」
「たぶん」
「またたぶんだ」
典子は笑う。
「絶対って言葉好きじゃないから」
明はコーヒーを飲んでいた。
「森本は?」
裕英が聞く。
明は少し考える。
「まだ分からない」
本音だった。
経済学は嫌いじゃない。
成績も悪くない。
だが。
情熱はない。
人生の本命ではないからだ。
「お前、本当に分からないな」
裕英が苦笑する。
「そうかも」
「俺より分からない」
「それはない」
「ある」
また笑いが起きる。
◇
だが。
ふと。
典子が真面目な顔になった。
「ねえ」
「ん?」
「二人は人生って何で決まると思う?」
裕英が笑う。
「急だな」
「急じゃないよ」
典子はストローを回しながら言う。
「最近考えるの」
沈黙。
先に答えたのは明だった。
「才能」
即答だった。
自分でも驚くほど。
迷いがなかった。
「やっぱり」
典子が言う。
予想していたらしい。
明は続けた。
「才能がある人間は有利です」
「うん」
「努力も大事です」
「うん」
「でも才能がなければ届かない場所もあります」
静かな声だった。
だが。
重かった。
経験が乗っていた。
失った人間だけが持つ重さが。
◇
裕英は少し考えた。
そして言う。
「俺は運かな」
典子が笑う。
「それも予想通り」
「だろ?」
「だろじゃない」
裕英は肩をすくめた。
「だってそうじゃん」
「そう?」
「俺、才能ないし」
明は黙っている。
「でも何とかなってきた」
「確かに」
「結局、運じゃない?」
それも一理あった。
少なくとも裕英の人生を見ていると。
説得力がある。
◇
「前田は?」
明が聞く。
典子は少しだけ考えた。
そして。
「選択かな」
そう答えた。
裕英が首を傾げる。
「選択?」
「うん」
「運でも才能でもなく?」
「うん」
典子は窓の外を見る。
冬の夕暮れだった。
「才能があっても失敗する人いる」
「いるな」
「運が良くても不幸な人いる」
「いる」
「でも」
そこで言葉を切る。
「選んだのは本人だから」
静かだった。
明はその言葉を聞いていた。
裕英も。
◇
「じゃあさ」
裕英が言う。
「森本は才能を失ったけど」
空気が止まる。
言ってから気づいたらしい。
「あ」
「別にいいですよ」
明は笑った。
本当に怒ってはいなかった。
昔なら違ったかもしれない。
だが今は。
少し違う。
「もし失ってなかったら」
裕英が続ける。
「人生変わってた?」
明は考える。
長く。
とても長く。
そして。
「分からない」
そう答えた。
本心だった。
昔なら即答していた。
絶対変わっていた、と。
だが今は違う。
「変わってたと思う」
明は言う。
「でも」
「でも?」
「幸せだったかは分からない」
典子が目を細める。
裕英も黙る。
それは以前の森本明なら言わなかった言葉だった。
◇
「山畑は?」
今度は明が聞いた。
「運がなかったら?」
裕英は笑った。
「終わってたな」
「即答」
「だって事実だろ」
笑いが起きる。
だが。
半分は本音だった。
裕英自身も気づいている。
今の自分は運に支えられている。
だから怖い。
もしそれがなくなったら。
何が残るのだろう。
◇
「前田は?」
裕英が聞く。
「もし今の顔じゃなかったら」
「最低な質問だな」
典子が笑う。
だが怒らない。
「たぶん」
少し考える。
「もっと苦労してた」
正直だった。
自分の容姿が人生に影響している。
それくらい理解している。
「でも」
典子は続けた。
「それでも何とかしたと思う」
「自信あるな」
「あるよ」
その瞬間だけ。
典子の目は強かった。
初めて見る表情だった。
◇
外は暗くなっていた。
店内にはジャズが流れている。
他の客はいない。
三人だけ。
不思議な時間だった。
「結局さ」
裕英が言う。
「人生って賭けなんじゃない?」
明が見る。
典子も見る。
「賭け?」
「うん」
「どういう意味?」
「才能に賭ける人もいる」
指を一本立てる。
「運に賭ける人もいる」
二本目。
「選択に賭ける人もいる」
三本目。
「でも結果は最後まで分からない」
沈黙。
誰も否定しなかった。
◇
人生は賭け。
その言葉は妙にしっくりきた。
森本明は才能に賭けた。
山畑裕英は運に守られた。
前田典子は選択を信じた。
そして。
三人ともまだ答えを知らない。
人生の途中だからだ。
答えは最後にしか分からない。
賭けの結果は。
ゲームが終わるまで見えない。
◇
その夜。
三人はそれぞれ帰路についた。
知らない。
本当に知らない。
ここから先。
人生が大きく動き始めることを。
大学という穏やかな時間が終わり。
社会という巨大な盤面へ出ることを。
そして。
今夜交わした会話が。
いつか自分たち自身を救う言葉になることを。
【第四章 死 第16話 崩壊 へ続く】




