第14話 操縦者
人は自由だと思っている。
自分の意思で選び。
自分の意思で決め。
自分の意思で生きていると。
前田典子は、その考えを半分だけ信じていた。
残り半分は信じていなかった。
なぜなら。
人は思っている以上に簡単に動くからだ。
◇
大学二年の春。
典子は法学部のゼミに所属していた。
討論形式の授業が多い。
法律を学ぶ。
判例を学ぶ。
論理を学ぶ。
だが。
典子が興味を持ったのは別の部分だった。
人間だ。
法律ではない。
人間。
同じ事実を見ても。
受け取り方は違う。
同じ説明を聞いても。
納得する人間としない人間がいる。
そこが面白かった。
◇
ある日のゼミ。
グループ発表があった。
議題は企業の労働問題。
典子の班は揉めていた。
「この方向性は違うと思う」
「いや、こっちだろ」
「資料が足りない」
「時間もない」
議論は平行線だった。
誰も折れない。
誰も譲らない。
典子は黙って聞いていた。
五分。
十分。
十五分。
そして。
「じゃあさ」
口を開いた。
全員が静かになる。
いつものことだった。
「誰が正しいかじゃなくて」
全員を見る。
「どれが通るかで考えない?」
沈黙。
数秒。
「どういう意味?」
典子は説明する。
教授が評価するのは何か。
必要な資料は何か。
論点は何か。
感情を抜いて整理する。
すると。
不思議なほど簡単にまとまった。
「それでいこう」
「確かに」
「最初からそうすればよかった」
会議は終わる。
典子はペットボトルの水を飲んだ。
別に難しいことではない。
ただ。
人が見ていない方向を見るだけだ。
◇
帰り道。
同じゼミの女子が話しかけてきた。
「前田さんってすごいよね」
「何が?」
「人をまとめるの」
典子は苦笑した。
「そんなことないよ」
「あるよ」
「たまたま」
「それ絶対違う」
女子は断言した。
典子は笑う。
だが。
少しだけ違和感があった。
(まとめてるのかな)
本当にそうだろうか。
自分ではよく分からない。
昔から自然にそうなっていた。
だから実感がない。
◇
一方。
森本明は経済学部の図書室にいた。
統計学の本を読んでいる。
数字。
確率。
期待値。
運。
不思議だった。
人生にも計算式があればいいのにと思う。
努力を何時間積めば成功する。
何%の確率で夢が叶う。
そんな数字が見えれば。
どれほど楽だろう。
だが現実は違う。
努力しても届かない。
何もしなくても届く。
そういうことがある。
明はそれを知っている。
嫌というほど。
◇
裕英は相変わらずだった。
サークル仲間と麻雀をしている。
「またか!」
誰かが叫ぶ。
裕英が勝った。
しかも最後の最後で。
「お前、絶対何か持ってるだろ」
「持ってない」
「持ってる」
「持ってない」
全員が同時に溜息をついた。
本人だけが納得していない。
◇
ただ。
最近少し変わった。
裕英は運について考えるようになった。
前なら笑って終わりだった。
だが今は違う。
大学に入った。
周囲には頭の良い人間がいる。
努力家もいる。
夢を持つ人間もいる。
その中で自分は何だろう。
運だけ。
本当にそれだけなのか。
◇
数日後。
三人は大学近くのファミレスにいた。
裕英が呼んだ。
「たまには飯でも」
それだけ。
気軽な集まりだった。
料理が来る。
ドリンクバーもある。
学生らしい光景。
「前田ってさ」
裕英が言う。
「将来何になるの?」
典子は考える。
「弁護士かな」
「おお」
「たぶん」
「たぶん?」
「絶対じゃないし」
裕英は頷く。
「森本は?」
明は少し考えた。
そして。
「まだ決めてない」
そう答えた。
嘘ではない。
本当でもない。
決められないのだ。
未来を。
「お前頭いいんだから何でもなれるだろ」
裕英が言う。
明は笑った。
「そんなことない」
本気だった。
だが。
裕英には理解できない。
典子にも。
才能がある人間の苦しみは。
失った人間にしか分からない。
◇
食事の終わり頃。
典子が聞いた。
「山畑は?」
「ん?」
「将来」
裕英は考える。
本当に考える。
数秒。
十秒。
十五秒。
「幸せになれたらいいかな」
そう答えた。
静かになった。
明も。
典子も。
少し驚いている。
「変かな?」
裕英が聞く。
典子は首を振った。
「変じゃない」
明も頷く。
「たぶん一番難しいです」
その言葉に。
三人とも少し笑った。
◇
夜。
典子は帰宅後、一人で考えていた。
窓の外は暗い。
静かな部屋。
大学に入ってから。
少し変わった。
人を見る目が。
森本明。
才能を失った人間。
山畑裕英。
運に愛された人間。
そして自分。
何なのだろう。
(私は)
問いかける。
答えはない。
だが一つだけ分かる。
人を動かすことはできる。
説得もできる。
導くこともできる。
しかし。
自分自身だけは動かせない。
それが少しだけ怖かった。
◇
三人は選択を続ける。
気づかないまま。
未来へ向かって。
だが人生は。
選んだ道だけでできているわけではない。
選べなかった道。
失った道。
与えられた道。
それらもまた人生だ。
そして。
彼らはまだ知らない。
これから訪れる出来事が。
自分たちの価値観を根底から揺さぶることを。
【第15話 賭け へ続く】




