第12話 才能
才能とは何だろう。
努力を続けた結果だろうか。
生まれ持った資質だろうか。
環境だろうか。
運だろうか。
たぶん、その全部だ。
そして厄介なことに。
才能を持つ人間ほど、その正体を知らない。
呼吸と同じだからだ。
失うまでは。
◇
大学生活が始まって二か月。
森本明は少しずつ周囲に馴染んでいた。
友人もできた。
講義にも慣れた。
アルバイトも始めた。
表面的には順調だった。
誰が見ても。
本人以外は。
◇
ある日の講義後。
裕英が声を掛けてきた。
「飯行かない?」
「いいですよ」
「奢らないけど」
「期待してません」
「ひどいな」
二人は学食へ向かった。
窓際の席。
昼時は過ぎている。
人は少ない。
「森本ってさ」
裕英が言う。
「頭いいよな」
「普通です」
「それ優等生が言うやつ」
「本当に普通です」
「俺からしたら異常」
裕英は笑った。
明も少し笑う。
だが。
その言葉に違和感が残った。
頭がいい。
そう言われても嬉しくない。
昔なら嬉しかったかもしれない。
だが今は違う。
頭が良いのは代用品だった。
失ったものの代わり。
それだけだった。
◇
「森本」
「はい」
「昔なんかやってた?」
明の箸が止まった。
嫌な勘だった。
「なんでですか」
「いや」
裕英は首を傾げる。
「時々さ」
「うん」
「終わった人みたいな顔するから」
明は思わず笑った。
「ひどいですね」
「だろ?」
「自覚あるんですね」
「ある」
二人は笑った。
だが。
裕英の言葉は当たっていた。
終わった人。
まさにその通りだった。
夢が終わった人。
未来が終わった人。
明はそれを隠して生きている。
◇
その夜。
部屋に帰る。
参考書を開く。
だが集中できない。
裕英の言葉が頭に残っていた。
(終わった人か)
否定できない。
むしろ正確だった。
明は立ち上がる。
クローゼットを開く。
奥から箱を取り出す。
古い楽譜。
コンクールの賞状。
新聞記事。
全部しまってある。
見ないようにしていた。
見ると苦しくなるからだ。
だが。
今日は見た。
久しぶりに。
写真の中の自分が笑っている。
自信に満ちている。
未来を信じている。
まるで別人だった。
◇
(何で俺だったんだろう)
久しぶりに思った。
高校時代ほどではない。
昔ほど苦しくもない。
だが消えてはいない。
傷跡みたいに残っている。
もし。
本当にもし。
あの日、指が動かなくならなかったら。
今頃どうしていただろう。
音大か。
海外か。
コンクールか。
考えても意味はない。
だが人間は考える。
失った未来ほど美しく見えるからだ。
◇
翌週。
経済学部合同ゼミ説明会があった。
学生たちが集まる。
教授が話す。
皆、真面目に聞いている。
その中に。
前田典子もいた。
法学部だが合同イベントだった。
そして。
なぜか。
また目が合った。
◇
一瞬だった。
だが典子は覚えていた。
入学式の日の男。
真面目そうな方。
(またいる)
ただそれだけだった。
話したこともない。
名前も知らない。
だが記憶に残る人間というのはいる。
理由はない。
たまたま。
本当にそれだけだ。
◇
説明会後。
典子は先輩たちに囲まれていた。
「前田さん、生徒会入らない?」
「入りません」
「なんで」
「面倒だからです」
「即答だな」
笑いが起きる。
典子も笑う。
こういうやり取りは慣れていた。
人と話すのは苦じゃない。
むしろ得意だ。
だが。
最近少し疲れていた。
理由は分からない。
期待されることに。
応えることに。
少しだけ。
◇
一方。
裕英はサークル勧誘のくじ引きで海外旅行券を当てていた。
「お前またか!」
周囲が叫ぶ。
本人が一番驚いている。
「え?」
「え?じゃねえ!」
「俺の人生と交換しろ!」
「嫌だ」
「なんでだ!」
笑いが起きる。
裕英も笑う。
だが。
その夜。
少し考えた。
また運だ。
また偶然。
また自分だけ。
(これって本当に良いことなのかな)
初めてだった。
そんなことを考えたのは。
◇
大学の中庭。
昼休み。
明はベンチに座っていた。
本を読んでいる。
そこへ。
「隣いい?」
声がした。
顔を上げる。
前田典子だった。
明は一瞬固まった。
理由は分からない。
ただ驚いた。
「あ、どうぞ」
「ありがとう」
典子は自然に座る。
沈黙。
少し気まずい。
「経済学部だよね?」
「そうです」
「やっぱり」
「法学部でしたっけ」
「覚えてたんだ」
「二回くらい見ましたから」
典子は笑った。
綺麗だった。
だが明はそんなことより。
不思議な感覚を覚えていた。
この人は。
周囲が思っているほど気楽に生きていない。
なぜかそう思った。
根拠はない。
本当にない。
ただ。
音楽をやっていた人間特有の感覚だった。
人の声の奥にあるもの。
表情の裏にあるもの。
それが少し見えた気がした。
◇
人生は不思議だ。
失った才能は戻らない。
幸運は理由なく訪れる。
人を動かす力もまた説明できない。
それでも人は生きる。
理由を探しながら。
答えを探しながら。
そして気づかない。
その探している時間そのものが。
人生だったりすることに。
◇
この日。
三人の距離は少し縮まった。
まだ友人ではない。
仲間でもない。
ただ。
同じ場所にいる。
それだけ。
だが。
人生を変える出来事というのは。
案外その程度のところから始まる。
【第13話 幸運 へ続く】




