9話 二日酔いとサンドイッチ
「……っ、頭いてぇ……」
のそりと体を起こすと、回る視界と激しい頭痛に顔を歪める。
久々になった二日酔いは、相当に酷い。
昨日、友人たちと昼食をとった流れで、そのままだらだらと酒盛りへもつれ込んだ。
個室の外から聞こえていた店内の騒がしさもいつの間にか消え、太陽が傾き始めた頃、店が一段落したからと、店主のフォルディオが復帰祝いの酒を差し入れにきた。
持っていたのは透明な細長い瓶。
蒸留酒を水のように飲み干すトーカでさえ、ショットグラス一杯が限界という恐ろしく度数の強いウォッカらしい。
味はイコルネ好みの辛めだから飲んでみろと、なみなみ注いだグラスを渡された。
友人に祝いだと勧められては、飲まないわけにいかない。
おそるおそる口をつければ、舌触りは自分好みの辛め。しかし、喉を通るなり焼ける様な熱さを感じ、同時に視界が揺れた。
頭を直接揺さぶるような、きついアルコール。
思わず呻くと、よく似た意地の悪い笑顔でフォルディオとトーカに笑われた。
そこからの記憶はあやふやだ。
意地でもグラスを空にした気はするが、その後のことは全く思い出せない。
支払いをした記憶も、店を出た記憶もなく、あまつさえ自分が寝ているこの部屋がどこなのかも分からなかった。
ベッド横の窓に目をやると、三階ほどであろう高さの景色と晴れやかな空が見える。日の高さからして、もう昼近くだろうか。
重い頭を動かして辺りを見回せば、部屋には小さなテーブルと椅子、そして木のベッドが置いてあった。
おそらく冒険者たちがよく利用する安宿だ。
ベッド脇には、揃えて立て掛けられた乙女ノ炎舞。
そして、明らかに自分のものではない荷物が床に転がっていた。
「どこだよ、ここ……」
そう呟いた時、部屋の外に足音が聞こえた。
イコルネが刀に手をかけて警戒を示すと同時に、勢いよく部屋のドアが開く。
咄嗟に抜きかけた刀をすんでの所で堪えられたのは、入ってきた人物が、昨日酒を交わした友人のタイラーだったからだ。
「おーイコ、起きたか」
「おはよ……」
警戒を解き刀を置く。
そんなイコルネの様子に、タイラーは呆れた視線を投げた。
「お前なぁ……酔い潰れたお前を担いで、運んで、寝床まで譲ってやった俺に、得物抜きかけるってどーなのよ」
「なんも覚えてないんだよ……くそ、頭いてぇ……」
再びベッドへ寝転がるイコルネを横目に、タイラーは椅子に座りながら、テーブルに置いた分厚い紙の包みをひとつ投げて寄越した。
「朝飯。これ食ったらギルド行けよ」
「……なんか約束でもしてたっけ」
「いや、さっきギルドに依頼取り行ったら、マリアテールが低ランクの掲示板の前で仁王立ちしてた。……あれ絶対、お前がランク上がるまで付きまとうつもりだぞ」
「まじかぁ……」と苦笑しつつ体を起こすと、ほのかに温かい紙の包みから刺激的な香辛料の香りが漂ってきた。
食欲をそそるその匂いで、盛大に腹が鳴る。
そのまま包みを開きたい気持ちを抑えて、一度ベッドに置くと、イコルネは重い身体を引きずるように部屋を出た。
廊下には人影がない。
木造の床や壁は日焼けして色褪せているが、きちんと掃除されていて清潔感があった。
廊下の壁にある小窓からは陽の光が差し込み、明かりをつけなくてもそれなりに明るい。
タイラーの部屋を出て左奥、廊下の突き当たりに取り付けられた小さな洗面台まで行って、顔を洗う。
二日酔いで重かった頭にもついでに水をかぶり、軽く頭を振ってから部屋へ戻った。
「おっまえ、タオルはぁ? びちょびちょじゃねーか!」
部屋に入った途端、先に朝飯を食べていたタイラーが、濡れたままのイコルネを見てタオルを投げつけてくる。
何かと世話焼きなところは昔から変わっていない。
「ほんと昔っから、ズボラなとこ変わんねーのな」
似たようなことを考えていた友人に思わず顔を綻ばせ、イコルネはタオルで雑に頭を拭きながらベッドへ腰を下ろす。
再び鳴った腹の音に急かされて紙の包みを早速開けば、中は厚切りのライ麦パンに野菜や薄切りの肉をこれでもかと挟んだ、分厚いサンドイッチだった。
薄く焦げ目の付いたパンはまだ温かく、香ばしい匂いによだれが溢れる。
勢いよくかぶりつくと、肉に絡められた辛味の強いソースが口いっぱいに広がり、程よい刺激が二日酔いの体に染みた。
夢中で食べていると、既に自分の分を食べ終わったらしいタイラーが立ち上がる。
「俺、もう出るわ。イコ、まだ宿とってないなら二、三日ここ使っていいぞ。今回受けた依頼、一日じゃ終わりそうにねぇんだわ」
「ここ日払いじゃないの?」
「曲がりなりにもBランク様だぞ。この部屋は俺のなんだよ」
荷物をまとめながらタイラーが言う。
冒険者が多く泊まる安宿では、泊まる日ごとに一日分の料金を支払う形が一般的だ。
数日まとめての支払いも、荷物の預かりも、拒否されることが多い。
それは、いつ帰らぬ人となるか分からない冒険者相手に商売するからこそ、持ち主不在となってしまう荷物を宿が抱えなくていいようにする工夫だ。
長期滞在するには不便だが、一般的な宿よりかなり安く泊まれるため、安定した収入のない駆け出しの冒険者などにはありがたい場所だった。
そんな安宿を、そこそこ稼いでいるはずのBランクにもなって、いまだに借りている物好きはタイラーくらいなものだろうが、豪華な宿は落ち着かないと事ある毎に言っていた彼なので、おそらく宿屋の主人と長期契約の交渉でもしたのだろう。
「なら、ありがたく使わせてもらうわ。報酬が入ったらすぐ出てくから」
「おー、そうしてくれ」
「鍵はフロントな」と短く言い残し、タイラーは大剣を背負って足早に部屋を出ていった。
懐かしい仲間の背中を見送ると、イコルネはサンドイッチの最後の一口を口へ放り込む。
窓から見える空はまだ朝の色を残し、二度寝したくなるほどいい天気だ。
普段なら満ちた腹と二日酔いの誘惑に負けるところだが、復帰早々パーティに受け入れてもらった手前、早朝から待ち構えているらしいマリアテールを無視するわけにもいかない。
残る頭痛を振り切るように、水の滴っていた頭を肩のタオルで拭き、ベッド横に置かれていた服や防具で準備を整える。
最後に新しく手に入れた相棒を腰に下げ、イコルネは大きく伸びをした。
「俺も行くかぁー」
向かう先は冒険者ギルド。今日から本格的に再出発だ。




