6話 襲撃
視界を真っ白に焼く閃光に包まれた瞬間、イコルネは崩れ落ちるように前へ倒れ込んだ。
耳に届いたのは、妹の名を叫ぶトーカの声。
地面に広がっていた光は瞬く間に消え、残ったのは身体に感じる強い衝撃と硬い石畳の感触だけだった。
「……ッ」
受け身もとれずに顔を打ち付け、思わず呻き声が漏れる。
起き上がろうとするも、左腕と両脚にはまるで力が入らない。
「イコッ!?」
頭の上で聞こえた声になんとか顔を上げれば、心配そうに駆け寄ってきたマリアテールが、すぐ側にしゃがみ込んだ。
イコルネは、辛うじて動く右腕で上半身を持ち上げて辺りを見回す。
人気のない通りにいるのは自分たち四人だけ。
だが、目の前で片膝をついているトーカは苦しそうに顔を歪め、大剣を杖代わりにしたタイラーも荒い息をしていた。
「随分といい格好じゃねーか! なぁ《ただ前へ》?」
静まり返る通りに、野太いダミ声が響く。
石畳を踏み鳴らす足音とともに路地から出てきたのは、大きな戦鎚を背負ったガタイのいい男。
太い腕に無骨なガントレットをはめ、剃り上げた頭に蛙の刺青を入れたその顔は、以前、魔窟の入口で揉めたことのあるCランクの冒険者、ナイン・シュレーダーだった。
後ろからは、痩躯の男とフードを目深に被った男もそろりと姿を現す。
「この前はデカい借りを作っちまったからなぁ! きっちり返さねぇとと思ってたんだよ!」
ナインは二メートル近い体躯を揺らして、こちらへ歩いてくる。
地面に這いつくばるイコルネを見下ろすと、この状況が余程嬉しいのか、ニタニタと下卑た笑みを浮かべた。
イコルネはナインを睨みながら、咄嗟に右腕で乙女ノ炎舞を抜く。
だが、普段ならすぐさま魔力を溢れさせる相棒は、ピクリとも反応しなかった。
自分たちを包み込んだ光――おそらくあれに、魔力を根こそぎ奪われた。
右目は全く視えず、魔種も機能していない。
なにより、込み上げる吐き気と頭痛が、魔力枯渇のそれだ。
イコルネは刀の柄を強く握り込み、必死に頭を回す。
腰のポーチには魔瓶があるが、片腕しか動かせない今、素早く取り出して飲むのは難しい。
自分同様、魔力枯渇を起こしているタイラーやトーカも、まともに戦える状態ではないだろう。
マリアテールだけは、トーカに守られたのか無事そうだが、ナインとの体格差が倍以上ある上、三対一のこの状況は圧倒的に不利だった。
なんとかこの場を切り抜ける方法を探していると、隣でしゃがんでいたマリアテールが静かに立ち上がる。
そのまま軽く膝を曲げたかと思えば、一足飛びにナインの顎へ膝蹴りを叩き込んだ。
「ぐぁ……!」
大きく仰け反ったナインがその場に崩れ落ちる。
彼女ではナインを蹴り飛ばすことこそできないものの、的確に急所を狙いにいくあたり、戦闘慣れしている。
彼女は着地するなり取り出した三本のナイフを、ナインの横に立つ痩躯の男へ投げる。
深々と刺さったのは両脚と左肩。
男の悲鳴が上がるより早く距離を詰め、肩のナイフを無造作に引き抜く。
悶絶する男を尻目に、フードの男の後ろへ素早く回り込むと、血のついたナイフをピッタリと首にあてがった。
「私たちに何をしたの」
マリアテールとは思えない、冷たく鋭い声が響く。
「ヒッ……」
「いいから答えて。何をしたの」
「お、俺は言われてやっただけで……」
「何をしたのかって聞いてるのよ! さっさと答えないと、その首掻っ切るわよ!」
ナイフを強く押し当てられ、男の首に血が滲む。
「ま、魔力を……霧散させる、魔法陣を描いた……」
彼女はナイフを持つ手へ、さらに力を込める。
「ほ、本当だ! 信じてくれ!! 魔力枯渇を起こしてやれば勝てるって、ナインのやつが言うから! お前らが、店に入るのを見て、出てくるところを狙って……!」
「じゃあなんでイコが倒れてるのよ!」
「し、知らねぇよ! 俺は本当に陣を描いただけだ!!」
フードの男は声を裏返らせながら、懇願するように叫ぶ。
ナイフをつたう赤い筋がぽたりと垂れた時、「……マリちゃん」と静かな声が響いた。
「多分、彼の言ってることは間違ってないよ。僕らは本当に、魔力を取られただけだと思う」
小さく息を吐いたトーカが、よろめくことなく立ち上がる。
彼は、いまだ起き上がれないナインへゆっくり近づいていくと、腰に差していた細身の長剣を抜いて、倒れ伏す首元へ当てた。
「とりあえず……マリちゃんはそいつ殺しちゃダメだよ。殺るなら僕がやるから。それと、いつまでも伸びてるナイン君さ。その程度の実力のくせに、魔力を奪った程度で僕らに勝てるとか思ってたんだね。あの子の動きを目で追えもしないくせに」
トーカは石畳を擦る剣先に片足を添え、首を押し潰すように刃をめり込ませていく。
「君の信念に則って言えば、借りはきっちり返さないといけないんでしょ? 僕らから奪った魔力分、君は何で返してくれるのかな」
笑顔で首を傾げてみせる仕草は、いつも通り過ぎて薄ら寒い。
「あとそーだな……マリちゃんの服を汚した分と、イコくんの顔の傷の分もだね」
「兄さん……私、服なんて汚してない……」
「こんな奴らに触ったんだ、汚れたに決まってるでしょ。後で新しいのを買ってあげるよ」
場違いなほど軽い口調のトーカに、マリアテールの張り詰めていた表情が、自然と呆れ顔へ変わっていた。
「それで? 君らの手持ちは足りる?」
「……ふざ、けんな」
ナインが唸るような声を上げる。
トーカの剣は切れ味が悪いのか、ナインの首からは血の一滴も出ていない。
その代わり、深く食い込んだ刀身が、ぎりぎりと喉を押し潰していた。
「大真面目だよ。君たちの真似ってわけじゃないけど、やられたらやり返すのは、うちでも信条だからね。きっちり支払ってもらわないと」
トーカは強く剣をめり込ませながら、身を屈めてナインの耳元に顔を近づける。
「『殺生法』に守られてると思ったら大間違いだよ。君ら程度、痕跡を残さずに消すことくらい容易いんだから」
「ガハッ……」
空気を吐き出すようにむせたナインの口へ、トーカはするりと親指を差し込む。
その指先からはバチバチと火花が散り、音を立てながら口の中を焼いた。
驚愕と痛みに目を見開き、暴れようとするナインを、トーカはさらに剣で押さえつけて顔を上げる。
余裕の笑みを浮かべたまま視線を向けた先は、マリアテールにナイフを突きつけられているフードの男だった。
「そういえば、ロン・テイル君に一つ聞きたいんだけど。あの魔法陣を発動させたのは本当に君?」
ロンと呼ばれた男は困惑気味に目を逸らす。
「あれ、対象物だけじゃなく、陣の中にある魔力すべてを霧散させる魔法でしょ。普通なら、発動するだけでも相当な魔力が要るはずなんだよね。それを、君程度の魔法士が、一人で、発動させたとは到底思えないんだけど?」
黙ったまま答えようとしないロンへ、マリアテールが首のナイフを押し当てる。
「ヒッ……! お、女に、黒い魔瓶を貰ったんだ。これを使えば、俺でも、王城魔法士団並の魔法を使えるって言われて!」
「女?」
「そ、そう、女だ! 髪が赤くてひょろっこい女! 飲み屋で急に声をかけてきて、お試しだとか言って渡してきたんだよ!」
彼は青い顔で必死に石畳を指さす。
その先には、粉々に砕けたガラス瓶が転がっていた。
「……赤い髪の女……そう」
トーカは小さく呟くと、ロンへにっこりと微笑む。
「情報提供をありがとう。さて、話を戻そうか。君らの手持ちはいくらかな?」
「お、俺は持ってねぇ! うちの財布は、レイリーがまとめて管理してる!」
レイリーと呼ばれた痩躯の男が、ビクリと身体を震わせる。
手足から血を流して涙目になっている彼は、細い悲鳴を上げながら、慌てて懐に手を突っ込んだ。
そのままジャラリと音のする袋を地面に置き、手をついて頭を下げる。
「こ、これで全部だ! 今日のことは今後一切口にしねぇ! ナインにももう突っかからせねぇから、見逃してくれぇ!」
トーカはそれを見下ろすと、おもむろに振り返る。
「タイラー、見てくれる?」
「あぁ」と短く返したタイラーは、レイリーの前にしゃがんで袋の口を開く。
「大銀貨四枚に銀貨が二枚、あとは銅貨ばっか。お前ら湿気てんなー」
「うーん……僕らの借りがその程度っていうのはちょっとなぁ。他には何か持ってる?」
わざとらしく悩んだ振りで尋ねるトーカに、レイリーは焦ったように荷物をまさぐりだす。
そして、背負い鞄から四本の魔瓶を出すと、懇願の眼差しでトーカを見上げた。
「こ、これで本当に全部だ! もう何も持ってねぇ!」
「んー……全然足りてはないけど、魔瓶があるから物はこれくらいでいいかな。あとは君らの口を縫い止めるだけで許してあげる」
トーカはナイン、レイリー、ロンへとゆっくり視線を回す。
「今日、君たちはここには来なかった。昼間から酒を飲み、酔って暴れたせいで喧嘩になって、ちょっとした怪我を負った。そういうことにしよう。いいね?」
まるで世間話でもするかのようにトーカが続ける。
「もし今後、少しでも今日のことを口にしたら、君らの大事な人から息の根を止めていく。酔った勢いで喋るようなことがあれば、その日の内に身内の箱詰めが届くと思っておいて。僕の耳も目も、王都の内外問わず幾らでもあるからね。酒の肴に愛する家族や友人がいなくなるのは嫌でしょ? 約束はしっかり守ることをお勧めするよ」
イコルネは、にっこりと微笑むトーカの姿を見上げ、心底味方で良かったと思う。
笑顔の下であらゆる情報を握っている彼を敵にまわせば、国外逃亡でもしない限り、逃げきることはできないだろう。
執念深く、容赦のない彼が、約束を違えたら殺すと言うなら本当に殺すのだ。
それも、絶対の法律である『殺生法』までをも掻い潜ったやり方で。
レイリーが青い顔でこくこくと頷くと、トーカとマリアテールはようやく刃を収める。
三人は互いを支え合いながらよろよろと立ち上がり、足を引きずるレイリーに肩を貸して走り出す。
現れた時よりずっと小さく見えるその背中が、路地を曲がり見えなくなった途端、トーカとタイラーは崩れるようにその場へ座り込んだ。




