5話 お花とお店
「きゃ!」
路地から飛び出してきた小さな人影が、短い悲鳴を上げる。
腰に感じた衝撃に視線を落とせば、イコルネの足元には小さな白い花が散らばっていた。
マリアテールに買い物へ連れ出されていたイコルネたちは、馴染みの道具屋であるソーンの店へ向かう途中だった。
昼下がりの賑わいを見せる西の大通りを抜け、路地へと入ろうとした時、突然飛び出してきた子供がイコルネとぶつかった。
咥え煙草のまま見下ろすと、散らばる花の中央で、編みかごを抱えた五歳ほどの女の子が尻もちをついている。
「大丈夫?」
真っ先に駆け寄ったのは、後ろを歩いていたトーカ。
妹に向けるような優しい声音で話しかけ、体を持ち上げて立たせてやる。
しばらく呆けていた女の子は、足元の花を見回し、徐々に目を潤ませ始める。
「……ご、ごめんなさい……前、見てなくて」
「こっちこそ驚かせてごめんね。怪我はない?」
「……だい、じょーぶ」
「良かった。このお花は、おつかいかな?」
トーカはしゃがみ込んで目線を合わせ、しゃくり上げる女の子に拾った籠を手渡す。
「ううん……ママに……お花を、売ってきなさいって……」
「そっか、じゃあ君はお花屋さんだね。とっても綺麗なお花だから、これは全部、僕が買い取るよ」
「……え?」
顔を上げた女の子が不思議そうにトーカを見つめる。
柔らかく微笑んだ彼は、おもむろに指をパチンッと鳴らした。
その途端、ふわりと吹いた風が地面の花を舞い上げる。
くるくると踊る花は、イコルネの隣に立つマリアテールの周りを軽やかに巡っていく。
彼女が風に合わせてその場でくるりと回ると、舞い散る花弁の中で白金色の髪がキラキラと輝いた。
「ね、綺麗でしょ? 僕の妹に似合う可愛いお花を、ぜひとも全部売って欲しいんだ」
「わぁ……! お姉ちゃんとっても綺麗!」
目を輝かせた女の子は大きく頷く。
胸の前に抱える籠へトーカが銀貨を二枚入れてやると、嬉しそうに「ありがとう!」と笑った。
「ねぇねぇ、お兄さんは魔法使いさん?」
立ち上がったトーカを見上げ、女の子が尋ねる。
「そうだよ。この街を守る、良い魔法使いなんだ」
「そっか! でも、お兄さんは杖を持ってないのね? 絵本では、みんな魔法の杖を振って呪文を唱えるのよ!」
人差し指を立てて精一杯魔法をかける真似をする姿に、クスリと笑ったトーカが少しだけ腰をかがめた。
そのまま内緒話でもするかのように囁く。
「僕の杖は特別で目に見えないんだ。その代わり、なんでも杖にできるんだよ」
彼は足元の花をいくつか拾い、手のひらに乗せてフッと息を吹きかける。
すると、短く摘まれていた茎がスルスルと伸び、絡み合うように捻れたかと思えば、二十センチほどの小さな杖へと姿を変えた。
目を丸くする女の子に、トーカは杖を手渡す。
「これは少しの間だけ魔法使いになれる杖。くるくる回せば風が吹くよ。可愛いお嬢さんの服を汚しちゃったお詫びにプレゼント」
「わぁ! すごい!!」
「ただし、日が落ちる頃にはお花に戻っちゃうから、みんなには内緒にね」
「わかった!」
嬉しそうに杖を受け取った女の子は、満面の笑みでお礼を言うと、早く試したくて仕方がないというように駆けていった。
小さな背を見送ったトーカは、こちらへ振り返りながら、人差し指を立てて円を描く。
先程より強く吹いた風が、地面に散らばる花を一つ残らず巻き上げ、道の端に放置されていた空の水瓶へと入って消えた。
「お花はこれでいいかな。マリちゃん、付き合ってくれてありがとう」
「んーん。私も昔、よくあの杖作ってもらってたわね。懐かしい」
そう言って目を細めたマリアテールを、トーカが愛おしげに見つめる。
「子供の相手が上手くなったのは、マリちゃんのおかげだよ。ちゃんと謝れて、とっても偉い子だったね」
「そうね。さっさと蚊帳の外決め込んでた、どっかの誰かさんたちも、見習った方がいいんじゃない?」
こちらを振り向いたマリアテールは、何食わぬ顔で煙草をふかすイコルネとタイラーへ、物言いたげな視線を向ける。
「俺らよりトーカが相手した方が丸く収まんだろ」
面倒くさげに呟いたタイラーに、彼女はムッとした顔で噛み付く。
「なんでもかんでも兄さんに押し付けて! 子供の扱いくらい覚えたらどうなの?」
「ハッ、あんなキザったらしい台詞、誰が言うか!」
「そんなだからタイラーはモテないのよ!」
「はぁ!? それは今関係ねぇだろうが! それにな、お前がそうやって無駄にもてはやすから、トーカの格好つけが悪化すんだろうが」
「格好つけたって兄さんはかっこいいんだからいいのよ!」
「お前もブラコンかよ! ……ったく、やってらんねぇ」
吐き捨てたタイラーが、一人で先に歩きだす。
その背中へ、べーっと舌を出したマリアテールに、イコルネは思わず苦笑した。
* * *
揃って路地を進みながら、イコルネは新しい煙草に火をつける。
マリアテールの機嫌は既に直っているのか、タイラーの後ろを鼻歌交じりに歩いていた。
「ソーンさんの店で何買うの?」
唐突に尋ねられ、イコルネは首を捻る。
「なんだっけ……? 忘れた」
「えー、なにそれ。なんのためにみんなで向かってるのよ」
不服そうな彼女の声に、タイラーが振り返る。
「魔瓶だろうが、魔瓶! 自分の分くらいちゃんと持っとけっつったろ!」
「あー、それだ」
イコルネの適当な返しに呆れ顔のタイラーは、ため息をつきながら路地を抜ける。
後に続いて通りへ出れば、ソーンの店はすぐそこだった。
ドアベルの軽快な音を鳴らし、店の扉を開ける。
「いらっしゃい」と奥から顔を出したソーンは、こちらを見るなり顔を綻ばせた。
「おいおい、なんだ。勢揃いじゃねーか」
「お久しぶりです、ソーンさん」
「やっほー」
「おーっす」
「おやっさん、魔瓶ちょうだい」
口々に挨拶をして入っていくと、元々商品で埋まっている店内は途端に狭く感じられる。
「奥詰めろよ」
「あんたの大剣が邪魔なのよ!」
ギャーギャー騒ぎながら四人並べば、ソーンは笑いながら「待っとけ」と口にして、カウンターの奥へと入っていった。
程なくして、鮮やかな赤色の小瓶を持って戻ってくる。
「ほらよ。うちにある高品質の魔瓶だ。ラストだったから運がいいな」
「別に質が良いのじゃなくてもいいんだけど……」
「ちゃんとしたの持っとけっつったろーが」
ぼそりとこぼした呟きをタイラーに拾われ、怒られる。
魔瓶は品質の善し悪しで回復できる魔力の量にかなり差が出る。
そしてその分、値段もそれなりだ。
昔から割と金欠気味だったイコルネは、値の張る質の良い魔瓶をほとんど買ったことがなかった。
「……これ、いくら?」
「一瓶で大銀貨一枚だな」
「たっか……」
「うちはかなり良心価格だぞ? 薬屋に行けば、銀貨があと五枚は付くだろうよ」
「いやぁ、そうかもしんないけど……」
なおも渋い顔をするイコルネへ、タイラーが呆れを滲ませる。
「お前なぁ……冒険者が大銀貨程度で渋ってんじゃねぇよ。そこそこ依頼行ってんだから、金はあんだろ」
「まぁ……」
「じゃあ買っとけ」
「……わかった」
諦めたように懐から出した大銀貨をカウンターへ置く。
ソーンは苦笑しながらそれを受け取ると、魔瓶の小瓶をイコルネの前に置いた。
「まいどあり。タイラー、お前イコ坊の世話焼きに磨きがかかってんじゃねぇか?」
「うっせぇ! こいつがだらしなさ過ぎんだよ。俺が言わなきゃ、いまだに一日飯食わなかったりすんだぞ? 学生じゃねぇんだから、体調管理くらい自分でしろっての……。おやっさんからもなんか言ってやってくれよ」
「お前らはほんと変わんねぇなぁ」
ソーンが豪快に笑いだす。
うんざりした顔のタイラーと他人事のように魔瓶をしまうイコルネを眺め、彼は懐かしげに目を細めた。
ひとしきり笑った後、ソーンは軽く咳払いをしてから四人を見回す。
「他は、なんか要るもんあるか?」
「僕らは大丈夫。タイラーとイコ君は?」
「俺も特にねぇな」
「俺は……まぁ、いいや。無駄遣いしても怒られるし」
ちらりとタイラーを見れば、彼はじっとりとした視線をこちらへ向けていた。
「ははっ、ほんとに母ちゃんみてぇだな! ま、いつでも顔出せ。お前らが滅茶苦茶やってる話聞くのは、俺の楽しみの一つだからな!」
「別にいつもしてるわけじゃないわよ!」
「割と頻繁に問題は起こしてるけどね」
「誰のせいだと思ってんだよ!」
再び騒ぎ出す友人たちに、ソーンが堪らず笑い出す。
いつになく楽しそうな彼へ「また来る」と声をかければ「おう!」と大きな返事が返ってきた。
店から出ると、通りには傾き始めた午後の日差しがさんさんと降り注いでいた。
眩しさに目を細めたイコルネは、不意に視界の端でなにかを捉え、振り返る。
店の扉が開き、最後に出てきたトーカと一瞬目が合うが、すぐにその視線は彼の足元へと落ちた。
石畳の一つに描かれた、落書きのような丸い模様。
かすかな魔力を感じ、トーカへ声をかけようとした時――音もなく飛んできた小瓶が石畳に当たって砕ける。
飛び散った黒い液体が模様を濡らし、途端に広がった陣が足元を埋め尽くす。
そこから放たれた眩い光は、イコルネたちもろとも、通りを包み込んだ。




