3話 交渉
「なッ!」
「は……!?」
ダレンとランティスの声が重なる。
驚愕に見開かれた瞳は、信じられないものを見るかのように、一人微笑むトーカを映していた。
「被検体、だと……?」
「えぇ。もう二十年近く前の話になりますが、この国の北方にあった合成魔獣研究所の『人と魔物を掛け合わせる』実験。その被検体です」
淡々と話すトーカの声は、自分でも驚くほど温度がなかった。
「当時の合成魔獣研究は、現在のように広く知られてはいませんでしたから、実験に歯止めをかけるものがなかったのでしょう」
「だ、だが! そんな非人道的なことがおこなわれていたのなら、研究に対する国の措置が『規制』程度で済むはずがないだろう!」
机に拳を打ちつけるダレンへ、トーカは小さく眉を下げる。
「その点に関しては、私の落ち度でしょうね。研究資料や実験のデータは、魔力暴走による爆発ですべて消失してしまいましたから。孤児であった私が、実験だの研究だのと騒いだところで、大人たちは誰も相手にしませんし、信じて貰えないならと、それ以上訴えることもしませんでした」
「……ッ」
ダレンが口を開きかけ、かける言葉を見つけられずに押し黙る。
そんな彼を見つめ返し、トーカは静かに笑みを消した。
「今……あの研究を引き継ぎ、実用段階まで進めている者がいます。私個人の意見を言うなら、すぐにでもその人物を探し出し、辞めさせたい……。ですが、迅速な戦力の増強を求めている騎士団としては、そうもいかないのでしょう?」
「な!? 貴様、どこでそれを……!」
ダレンが勢いよく立ち上がり、ガタンと椅子が鳴る。
彼の目には今までにないほど、焦りと動揺が浮かんでいた。
「私には友人が多いのです。みな噂好きで、少し尋ねれば色々なことを教えてくれます。……例えばそれが、騎士団内で新たに検討されている魔獣部隊の話や、魔法士団の人工的な魔力増強の噂であっても」
「……ッ!」
「一方では魔物へ手を加え、もう一方では人間へ手を加える。この二つが合わさることで、どんなものが生み出されようとしているのか、聡明な貴方なら見えているはずです」
トーカは自らがそうだとでも言うように腕を広げる。
魔物と人間、その境目は魔力の違いでしかない。
――心身ともに他者を受け入れやすい魔物を生み出す研究。
――膨大な魔力に耐えられる状態へと人の身を近づける研究。
それぞれが別角度のようで、行き着く先は人間の合成魔獣化という、おぞましい帰結だ。
再び笑みを浮かべたトーカは、声色を少し和らげる。
「私は別に、騎士団が戦力を拡大することに反対しているわけではありません。国の盾たる貴方がたが強固な存在となるのは、私たち国民にとっても喜ばしいことですから。しかし、その手段が良くない」
苦々しげに顔を歪めるダレンへ、トーカはさらに言葉を重ねる。
「合成魔獣研究は、それにかかるコストも、生み出されるもののリスクも大き過ぎるんですよ。現に、副産物であるその薬剤は、国家転覆を目論むことができるほどの代物です。騎士団がまだ深く関わっていない今のうちに、製作元である研究所と、販路を作っているファウグス伯爵を潰しておくべきです」
拳を握りしめたダレンが、視線を外して低く唸る。
「……研究所と提携した戦力強化の件は、すでに国王陛下からの許可が下りている。我々だけで、おいそれと対処できる問題ではないのだ」
「そうですか……」
トーカは落胆の滲むため息をつくと、空気を変えるように軽く手を打ち鳴らした。
「では、ここからは取り引きです。貴方がたが有している、合成魔獣研究に関わるすべての情報を、私に開示してください」
「なに?」
「今回の件、騎士団は大々的に動けないようですので、代わりに私が引き受けます。この研究にどれだけの人物が関わり、何が使われているのか、ある程度は把握していますよね? それらを渡していただきたい」
「自分が何を言っているか、分かっているのか? 貴族を相手取るなどできるわけが……」
「ファウグス伯爵家程度でしたら、半月とかからずに解体させられますよ。研究所についても、情報さえ揃えばそう難しくはないかと」
言い切った言葉に、ダレンの顔が険しさを増す。
「ですが、厳格なことで名高い貴方が、人の情報を売るような真似を良しとしないことも理解しています。ですので、私からは情報の対価として、こちらを提供致しましょう」
トーカはおもむろにジャケットの内側へ手を入れ、コインケースのような小さい布袋を取り出す。
紐で固く閉じられた口を、慎重に開いた途端――溢れ出した濃い魔力が部屋の空気を一変させた。
息が詰まるほどの圧迫感に、ダレンとランティスの視線がトーカの手へと吸い寄せられる。
袋から慎重に取り出したのは、手のひらにすっぽりと収まる透き通った塊。
一見、楕円形の水晶にも見えるが、凹凸のある表面には規則的に鱗が並び、細い四肢が胴に沿って折りたたまれている。
尾を咥えるように丸まるそれは、小さな蜥蜴を形作り、窓から差し込む夕日を透かして細かな光を散らしていた。
だが、美しいその身から溢れ出す魔力は、まるで魔窟の中にいると錯覚させるほどに濃い。
トーカは透明な蜥蜴を手に乗せたまま、ゆっくりとダレンへ歩み寄る。
「そ、それは……なんだ……?!」
顔を引き攣らせたダレンの目の前、机上にある黒い小瓶の隣へ、トーカはそっと蜥蜴を置いた。
「……透晶蜥蜴」
後ろから呟くようなランティスの声が聞こえる。
トーカは軽く振り返ると、唇だけで「正解」と微笑んだ。
「噂くらいは聞いたことがおありでしょう。何者にも捉えることのできない透き通った身体を持ち、触れたモノすべてに潤沢な魔力を与えるという幻の生き物『透晶蜥蜴』。先日、魔窟内にて遭遇したので、私のパーティで倒したのです」
ダレンは呆然と視線を落とし、目を瞬かせる。
「これは既に死んでいますので、生きていた時ほどの魔力はありませんが、触れたものへ魔力を分け与える性質は変わっておりません。王城の研究機関で詳しく調べ、装備や魔道具に転用すれば、騎士団の兵力を底上げするのには十分な成果が出ると思いますよ」
トーカは言いながら、黒い小瓶を指さす。
「多くの犠牲を払ってでも、強大な力を手に入れるか……」
その指をゆっくりとずらし、透明な蜥蜴へ向ける。
「騎士たちの力を伸ばすことで、磐石な力を手に入れるか……、選ぶのは貴方です、騎士団長。後悔のない選択を」
ダレンがごくりと唾を飲み、小瓶と蜥蜴、そしてトーカを見比べる。
自身を落ち着かせるように深く息を吐くと、焦りの消えた真っ直ぐな視線をこちらへ向けた。
「トーカ・ロット、一つだけ聞かせろ。……貴様は、その過去を抱えてなぜ、この国のために動くことができる?」
「国のため? 違いますよ。私は最愛の妹が、安心して暮らせるようにしたいだけです」
一瞬の迷いもない答え。
トーカにとってはそれがすべてで、他の事柄はただの惰性に過ぎない。
マリアテールが毎日楽しそうに過ごし、幸せに暮らす国だから――それを脅かす危険分子は、どんな手を使ってでも排除する。
たとえその相手が、騎士団や冒険者ギルドに変わろうとも、妹と敵対することがあれば、迷わず潰しにいく。
今回の件では、たまたま騎士団が使えそうだったので交渉を持ちかけたが、そこに国への忠誠なんてものは微塵もなかった。
「……家族のため、か」
ダレンは噛み締めるようにこぼし、やがて小さく頷く。
「その取り引き、受け入れよう。ただし、貴様の言葉をすべて鵜呑みにしたつもりはない。こちらでも調査を進め、当然介入もさせてもらう」
「えぇ、構いません。薬剤による混乱への対処は、騎士団の方が適任でしょうから。こちらとしても、目的に専念できて助かります」
「では、証人はランティス殿で構わないか?」
「そうですね。お願いできますか? ギルド長」
同時に見つめられ、後ろで一人狼狽えていたランティスは「はいっ」と硬い声で返事をした。




