1話 栄養剤
書類の山を前に、ランティスはため息をつく。
まだ始業前だというのに、ギルド長室の執務机は報告書や素材確認の書類で、今にも雪崩を起こしそうだった。
「昨日は珍しく早く帰れたってのに……」
ボヤきながら椅子へ座る。
各支部のギルド長との定例会議があった昨日、ギルドのことは気にするなと部下たちに言われ、数ヶ月ぶりに日付を超えることなく帰宅した。
そして今日、いつもより少し早く来てみればこの惨状だ。
ひとまず一番上に置かれていたメモ紙を手に取る。
そこに書いてあったのは『明日トーカさんが報告に来るそうです!』という実に簡潔な一文。
見覚えのある丸い筆跡はおそらくニコルのものだろう。
何時に何の報告をしに来るのかを書いていないあたり、相変わらず抜けている。
そんなかわいい部下のメモに苦笑しつつ、その下の紙へ視線を落とすと、目に入ってきた文字に顔が引きつった。
――買取魔核数:230個
――持込者名(パーティ名):《ただ前へ》
先程挨拶を交わした夜勤の職員たちが、やけにぐったりとしていた理由は、間違いなくこれだ。
一昨日、《ただ前へ》が持っていった依頼は、確か二、三十匹程度の朱猿の討伐だったはず。
それが、一体何をどうしたらこんな数になるのか。
うんざりした顔でため息をこぼしたランティスは、切り替えるように頬を叩き、山のような書類の確認作業へと取り掛かった。
* * *
トントンッ
ギルド長室にノックの音が響く。
ランティスはペンを走らせる手を止めることなく、短い返事をした。
静かに扉が開き、足音なく入ってきたのは白金髪の長身な男。
薄く笑みを浮かべながらこちらへ来るその人物は、件の問題児パーティ《ただ前へ》のリーダー、トーカ・ロットだった。
「やぁランティスさん。随分忙しそうだね」
「誰のせいだと思ってんだ……毎度毎度、面倒ごとばっかり寄越しやがって」
「僕らもわざとやってるわけじゃないんだけどな」
悪びれる様子なく言った彼は、視線を執務机の脇へ移す。
そこにあるのは、ランティスが出勤する前から置かれていた五段積みの木箱。
中身は黒い液体の入った手のひらに収まるほどの小瓶だった。
トーカは足音を鳴らしながら近づいてくると、わずかに開いていた蓋の隙間から瓶を一つ摘み上げる。
窓から差し込む陽にかざすと、黒く淀んだ液体は、光を透かした端の方が血のように濃い赤色をしていた。
「それはなんだ?」
握っていたペンを置き、トーカを見る。
彼は視線だけをこちらへ向けると、意地の悪い笑みを浮かべた。
「なんだと思う?」
「そういう回りくどいのは好きじゃねぇ。簡潔に答えろ」
「せっかちだなぁ」
ふふっ、と笑ったトーカが執務机の上にある一枚の紙を指さす。
「報告書にはちゃんと『農作物の栄養剤』って書いておいたでしょ」
「お前がわざわざこの部屋へ運ばせたもんが、ただの栄養剤なわけねぇだろ」
「随分信用してくれてるみたいで嬉しいな。でもこれは、本当に作物の栄養剤として使われていたものだよ。ただ……」
トーカはそこで言葉を区切ると、おもむろに指を鳴らす。
音と同時に現れたのは、拳大ほどの丸い《火球》と《水珠》。
どちらも初歩的な攻撃魔法に用いられるものだ。
空中にふわりと浮く二つの球へ、彼は瓶の液体を少量垂らす。
その途端、《火球》が天井へ着くほどの火柱となり、それを飲み込むかのように《水珠》も膨れ上がった。
ぶつかり合う二つはシュウシュウと音を立て、瞬く間に水蒸気となって跡形もなく消える。
目の前で起こったことの意味がわからず、ランティスは怪訝な顔でトーカを見つめた。
「今のは……なんだ?」
「極小量の魔力で作った《火球》と《水珠》。でも、僕がしたのは作ることだけ。威力が上がったのはこの薬剤のせいだよ」
そう言った彼は、わずかに中身の減った小瓶を振ってみせる。
「凄いよね。子供でもできるような魔法に、ほんの少し垂らしただけで威力が倍以上になった」
「どういうことだ」
「この薬剤にはね、魔力を膨張させる効果があるんだよ」
「膨張……?」
「魔法の威力を上げる時ってさ、さらに魔力を込めるか、別の魔力を注ぎ込む必要があるでしょ? どちらも魔力消費が激しい上、違う魔力が混ざると制御も難しくなる。でもこの薬剤は、触れた魔力自体を膨れ上がらせることができるみたいなんだよね」
トーカは再び指を鳴らし、小さな竜巻を作り出す。
そこへ薬剤を垂らせば、途端に大きくなった竜巻は机の書類を巻き上げ、するりと解けるように消えた。
「作用する魔法の種類も問わなければ、あくまで魔力を膨張させてるだけだから、制御も簡単にできる。ちなみにイコ君の魔眼でも確認済みだよ」
そう言いながら人差し指を軽く振ると、床に散らばった書類は風に乗るようにトーカの手の中へと集まった 。
「村の人たち曰く、この栄養剤を百倍に希釈して畑へ撒けば、日照時間が少なくても豊富な作物が取れるらしい。実際、あの村で採れた野菜はどれも王都の市場に並んでもおかしくないほど品質が良かった。……それと、数時間前に撒いたばかりだっていう畑を見せてもらったんだけど、全く魔力の痕跡がなかった」
「……?」
「魔力が膨張するのに比例して、作物の生命力なんかも強くなるんだけど、この薬剤自体の魔力は溶けてなくなるみたいなんだよね。……魔眼ですら見つけられないほど綺麗に」
書類の束とともに小瓶を差し出され、ランティスは険しい表情でそれを受け取る。
中でどろり揺れる液体は、妙に禍々しい気配を孕み、言いようのない不気味さが滲み出ている気がした。
「魔力を増幅させる薬剤なんて、魔法士なら喉から手が出るほど欲しい代物でしょ。それが、シダナみたいな普通の村で日常的に使われてるのに、国や情報機関にまったく知られていなかった。間違いなく、これ自体が持つ隠匿性の高さ故だろうね。……そして、ここからが本題」
そう言ったトーカは、珍しく笑顔を消す。
紅茶色の目を静かに細め、小さく息を吐いて声色を一段落とした。
「この薬剤は魔物にも効く」
「は……?」
「今回の討伐依頼、魔窟化が起きたのは偶然じゃないよ。この薬剤が、朱猿を魔窟にしたんだ」
「……魔窟にした、ってお前」
「別におかしな話じゃないでしょ。元々魔窟は、膨大な魔力を溜め込んだ魔物が発生させる現象なんだ。瓶を飲み込んで魔力を膨張させた魔物がそうなったって、何ら不思議はない」
「だが、そんなことができちまったら……」
ランティスは言いかけた言葉を飲み込む。
報告書にあった突発的な魔窟化。
小瓶を持ち出して攫われた子供。
核の腹から出てきたガラス片。
そして、魔力を膨張させる薬剤。
これだけの条件が揃えば、誰でも行き着くであろう結論――魔窟が人の手で作れてしまった。
しかも今回は、なんの力も持たない子供の手ですらそれができると証明された、最悪の事例だ。
眉間に指を押し当て、深いため息をつく。
「……お前が、ここへ入ってくるなり《隠蔽》を使った理由はそれか」
「気づいてたんだ?」
飄々とした口調のトーカへ忌々しげな視線を向ける。
気配の一切を消せる彼が、分かり易く靴音を響かせるのは、相手の力量を測る時のやり口だ。
音や動き、呼吸に至るまで、あらゆる動作に魔法を仕込んでいるくせに、大事な話をする時に限ってこういうことをする。
それなりに長い付き合いで、いまだに力量を測られるのは癪だが、今回は内容が内容なだけに、部屋へ《隠蔽》をかけたのは正解だろう。
ランティスはもう一度ため息をつくと、トーカへ向き直る。
「お前から持ち込まれる面倒ごとには慣れてるつもりだが、流石にこれは俺の手に負えねぇ。冒険者ギルドだけでどうにかできる範疇を超えてる。……もし、この話が広まるようなことになれば、下手すりゃ国が揺らぐぞ」
「そうだね。でも、それじゃあ困る。ここはマリちゃんが安心して暮らせる国でいてもらわないと」
トーカはいつもと変わらない笑顔で言う。
「だから、ランティスさんには繋ぎをお願いしたいんだ」
「繋ぎ……?」
「そう、騎士団への繋ぎ。この薬剤の出処に少し心当たりがあってね。善良な国民として、情報提供をしようと思うんだけど……一冒険者の僕じゃ、騎士団長へは簡単に面会させて貰えないでしょ? その点ランティスさんなら、この前の合同作戦で作った騎士団への貸しもあるし、上手いこと話しをつけてくれるかなって」
こちらを見据える瞳には、獲物を狙うような鋭い光が宿っている。
こういう時のトーカは、例えランティスが断っても、既に次の手を用意している。
それならせめて、少しでも目の届くところにいさせたい。
ランティスは顔を顰め、椅子の背に寄りかかる。
「お前が善良な国民ってたまかよ……。直接出向かなきゃいけねぇような情報なのか?」
「そうだね。僕が会って話しをしないと意味がない」
「そうか……とりあえず面会の話はつけてやる。だが、その時は俺も着いていくぞ」
これだけは譲らない、と強い意思を込めて見つめれば、トーカは数秒見つめ返した後、ふっと目元を緩めた。
「心配性だなぁ。騎士団相手に喧嘩売ったりなんかしないよ」
「どうだかな……」




